三点倒立

「読書が好きだ」と人に言うと必ず何の本が好きか、と尋ねられる。

 昔は適当に思いついた本を答えていたが、あまりにチョイスがめちゃくちゃなことに気付き (ある時には『死せる魂』ある時には『チャンピオンたちの朝食』という具合。もちろんどちらも好き)、ここは統一させるべきだろうと、うんと考え込んだ。


 好きな本と尋ねられてパッと思い浮かぶものはそれほど多くない。どの本も読んだ後はそれなりに感動するが (二度と読みたくないものもある)、時間が経つと自然と記憶から抜け落ちていく。また読み返したくなる本は意外にも少ない。五十冊読んで一つか二つくらい?そういう本が例えば十冊そろえば、その中にまた読み返したくなる本が一冊はあるわけで。

 というわけで、そう言えば毎年読んでるな、とか、無性に読みたくなるな、という本をベスト小説として挙げてみると、だいたい三冊くらいに絞れる。というか無理に三冊に絞った。最近ではその三冊を、あるいはその中の一冊を、自己紹介の名刺みたいに差し出すことにしている。


『真夜中の子供たち』サルマン・ラシュディ

『ブリキの太鼓』ギュンター・グラス

『都会と犬ども』バルガス・リョサ


 あくまで三冊取り出すことに意味があるわけで、三つくらいあればそれを支点にして僕の読書世界、あるいは嗜好、または性癖を理解してもらえるかな、と思うわけである。

 まさに三点倒立、バランスが良い。

 と思いきや、『真夜中の子供たち』はラシュディが『ブリキの太鼓』にインスパイアされて書いたって言ってたから 、めっちゃ大きな左手(この二つの小説が右手なわけがない)と普通サイズの右手の倒立になってるわけだが、まあ好きなものは仕方ない、とこれで通している。

 この三つの小説に関しては、またじっくり読んだ時にでも何かここで書いてみたい。


 で、本題に入るわけだが、三つの立脚点というのが案外小説にも大事なんじゃないかなあ、と感じたのは『グレート・ギャツビー』を読んでおもったこと。ちなみに僕は野崎訳の「華麗なる~」ではなく「グレート~」世代です。ロバート・レッドフォードじゃなくて、ディカプリオ世代です。

 20年代アメリカを描き、米文学史上最高傑作と誉れ高い本作ですが、この作品の三つの立脚点は言わずもがな、ギャツビー、デイジー、ニックでしょう。


 第一次世界大戦により空前のインフレに沸くアメリカの体現者ギャツビーはとんでもないロマンチストで、裏家業で成り上がった大富豪。

 彼の想い人デイジーは、当時流行した新しい自由な女性、いわゆるフラッパー。

 その二人の禁断の愛を偏執狂的に見守る語り手ニックは、第一次世界大戦への従軍で精神的瑕疵を負っていると考えられる。今でいうPTSD。

 このニックがクセモノ。隣人のギャツビーにのめり込んでいくニックの狂気は理解できないでもない。同じ戦場で戦ったギャツビーが華やかな生活を送る反面、自分はあまりに冴えないのだから。

 ことさらデイジーの描写に際して、ニックの筆は精度を増していく。ほとんどニックがデイジーに囚われてるんじゃないの、と言いたくなるほどにカラフルでロマンチックだ。

 こういうヤバい感じのする語りは、もはやそれだけで『グレート・ギャツビー』を雲の上の存在に突き放している。


 三人がそれぞれの役割を担いながら、20年代アメリカの狂騒とその終焉を彩っていく。そして最後のニックの語りによって、狂騒が20年代アメリカの特徴なのじゃなくて、狂騒こそアメリカなのだと気づかされる。


 たぶん、このニックの語りなくして『グレート・ギャツビー』は傑作たりえなかったのじゃないかなあ。

 ギャツビーとニックだけだともの足りないし、ギャツビーとデイジーだけでも普通の悲恋。デイジーとニックならただの狂人日記か。


 いやはや、しかし恐ろしい狂騒の20年代。ジャズにしろリチャード・ライトにしろ、20年代にインフラに沸いた白人の余裕がなければ絶対生まれてないもんね。


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