汲めども汲めども
赤木衛一
病気としての文学
チリの作家、ロベルト・ボラーニョの残した講演の原稿に『文学+病気=病気』というものがある。
『2666』や『野生の探偵たち』といった大作を著し、小説家として脂の乗ってきた頃、肝不全により死去した作家の文学に対する情熱と諦めがそこにはつづられている。
死が晩年のボラーニョのオブセッションであったことは明らかで、詩的な抽象表現に満ちた講演はたびたび性の話題へと飛躍する。論考の中で、ボラーニョ自身も述べているように、「セックスは死にゆく人間が唯一望むこと」であるようだ。
死の対項としての性。思えばD・H・ロレンスが「チャタレイ夫人」を書いたのも、若いロレンスの病弱な体質こそが理由であり、それは肉体の解放という、いわば祈願的側面を備えた昇華活動と考えることもできる。そこには生への渇望と同時に強い肯定がある。
死を日常として受け入れた人間にしか理解できない、あるいは到達できない世界がある。
ボラーニョに戻ろう。
昔から散々議論されてきたことではあるが、どれほど崇高な精神、重大な問題が書かれていようと、文学とはつまるところ、作家の頭の中を記号を使って翻訳したものでしかない。丸谷才一も言うように、現実以上のリアリティーを持つ小説や文章など決してありえない。それは絵画など他の芸術も同じ。
遺伝子が大切なのであって、保護システムの細胞ではないのと同様に、意味があるのは病気の方であって決して文学ではない。つまるところ文学とは、一冊の本に散りばめられた病気を繋ぎ止めている文章の総体にすぎない (そのような文章の作用について敏感であったソローキンは自らの作品をテクストと呼び、決して小説とは呼ばなかった。最近は小説と呼び始めたらしいけれど)。
あらたまってこの場で偉そうに書くほどのことでもないけれど、どのような小説であれ、そこには作者の熱が閉じ込められている。一人の人間をしてその物語を書かせしめた衝動を汲みとることが読み手の責務であるようにもおもう (もちろん、いつもそれほど熱心に読んでるわけじゃないけれど)。
だけども問題は、長い時間をかけて読み手が汲みとったものが果たしてそれほど価値のあるものなのか、あるいは病気に取り憑かれた作家の創作に意味があるのか、とボラーニョは考える。
読むこと、書くことに対する自身の考えをボラーニョはボードレールの詩に託す。
倦怠の砂漠のなかの 恐怖のオアシス
倦怠から抜け出すために、人間はオアシスを探し求める。そしてたどり着いたオアシスで欲求を満たすが、そのオアシスこそあらゆる悪に染められた毒水の源泉だと言う。それを本能的に理解していながら、しかし、人間はオアシスを求めてやまず、すがらずにはいられない (この辺り、詩的で抽象的表現がつづくが、人間の本質を悪と捉えているのだろう)。
その倦怠の砂漠と恐怖のオアシスとの中間に存在するものこそ文学である、とボラーニョは考える。恐怖のオアシスを前にして、負け戦だとわかりきっている闘いこそが文学なのだと。そしてしばしば作家はその闘い自体に何の意味もないことに気付く。ちょうど彗星のごとく現れたランボーが、彗星のごとく光輝いて、やはり彗星のごとく散ったように。
それでも僕らは読まずにはいられないようだ。読んで読んで読みまくって、熱狂と興奮と疲労にまみれて、現実の着地点をも失って、それでも読まずにはいられない。たぶん、書くことも同じなのだとおもう。
そういう意味で執筆とはある種の狂気、または病気であり、読むこともしかり。
ボラーニョは「病気とカフカ」、という章をもって講演をしめくくる。
「ぼくが言いたいのはたぶん、カフカは、旅とセックスと書物は、どこにも導いてくれない道でありながらも、そこが入り込み、迷い込むべき道であることを分かっていたということだ。」
まさに病気と言わずして何と言う。
ボラーニョにとって文学は病気以外の何ものでもなかった。そしてそれは僕らも同じ。病気なくして文学は存在せず、感染者なくして書物は成立しない。
しかし、ただ虚無なだけではない。ボラーニョは、「運が良ければ、何らかの方法が見つかるかもしれない」と続ける。
この「何らかの方法」こそ、病的な作家が、あるいは読者が求めてやまぬものなのだろう。だからこそ読み手はまたページに向き合う。運が良ければ、その先で見つかるものこそ、読者の精神の奥深くにあるもので、あるいはその精神の一部となるもので、たぶん、プライベートな分だけ共有しがたいものなのだ。
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