悪魔の詩と英語教育
テレビを見ているとたまに日本語を勉強しているという外国人が出てくる。かなり流暢に話す人もいて、すごいなあとただただ感心するばかり。
そういう人にインタビュアーが日本語学習のきっかけを聞くと、「漫画が好きだから」と返答する人が多い。日本の漫画に惚れて勉強し始めちゃう、これはもう「コミック」なんて外来語使ってる場合じゃないですよ、「漫画」で通しましょう、文科省!
それは置いといて、言語学習にはやはりそれなりの動機が必要とされる。ただ国益のためにやみくもに英語を学べ話せと、小学校でまで必修科目にしてしまう、そういうやり方には疑問を抱かざるをえない。それより何より動機付けだろう、と。
英語なんて興味があれば自発的に勉強し始めるし、結局そういう人しか身に付かないのだから。それにそもそも英語である必要性もない。英語=世界って見方は甚だ時代遅れな気がする。
と大放言した後で恐縮ですが、僕も英語学習者の一人です、実は。
けれども本気で英語を勉強し始めたのはこの数年のこと。大学では南米文学を専攻していてスペイン語を学んでいたし、卒業後も英語を使う必要なんて一切なかった。
それが一冊の本、と言うか一人の作家との出会いで英語を学習し直すことになった。
その小説こそ、サルマン・ラシュディの『真夜中の子供たち』である。僕の一番好きな小説で、読書傾向やら嗜好やら価値観やら世界の見方やら、とにかく今までの自分の読書生活を一変させてしまった本。
とにかくすごく面白い小説なんですが、今回はその小説についてではなく、作者のサルマン・ラシュディについて。
稀代のストーリーテラーとして現代文学に君臨するインド人作家のおじいちゃんですが、文学史至上最も血生臭い事件を巻き起こした人物でもある。それが問題作『悪魔の詩』。
まずはラシュディの作風について。
『真夜中の子供たち』に「一人の人物を理解するためには、その奥に横たわる世界全体を飲み込まなければならない」という一節があるように、歴史、宗教、文化、風習といった世界の構成要素を盛り込んで一冊に仕上げるため、スケールは大きくなる。ともすれば猥雑と言えそうなほど情報過多な物語を、独特のマジックリアリズムの手法でまとめあげる手腕は感嘆せずにはいられない。
歴史や宗教に翻弄される個人を描いたものが多く、そのせいか攻撃的な風刺も多くあるが、ユーモラスな語りの中で香辛料のような役割を果たしている。
そして本題『悪魔の詩』。
移民問題を扱った物語ですが、その一部がイスラム教を侮辱している、と当時のイランの代表であったホメイニがブチ切れ。
あろうことかラシュディの処刑を全世界のムスリムに呼び掛けたのである(イスラム法でファトワと言うらしい)。それを受けて、ムスリムの多い地域で焚書が起こり、発禁処分にする国が続出。そしてファトワの刃先は作家だけでなく翻訳家にも向けられ、ヨーロッパやアラブ地域で殺傷事件が続発する始末。
このファトワ、処刑が完了するか、あるいは発した人物が取り消さない限り終わらないらしく、ホメイニは既に故人。
ラシュディは以来30年に渡って逃亡生活を余儀なくされている。
では何がそれほどまでにホメイニを怒らせたかと言うと、ムハンマドに啓示を授けたジブリール(英語だとガブリエル)が実は悪魔だったというシーン。物語的には大事な場面なのだけれど、風刺というかメタファーというか、イスラム教を揶揄し過ぎた。
この事件は表現の自由とか権利の問題以前に、フィクションが現実世界に及ぼす影響を考えさせてくれる。まるでコルタサルの「続いている公園」みたいな話だ。フィクションがナイフを持って生身の人間を殺す。
このファトワによって日本でも翻訳者が殺害された。イスラム教やアラブ世界に理解の深い研究者であったらしい。
それを受けてか、ラシュディの小説の邦訳はほとんど行われていない。
でもファンとしては読みたい。全部読みたい。ラシュディの書いた文章を一字残らず吸収したい。
というわけで、待てども出版されぬ邦訳を待つよりは、原語で読んでしまおうと決意したのだ。もともと英語は得意だったし大丈夫だろうと安易に考えていたのだが、無惨にも僕の高踏な余裕は打ち砕かれた。
これまでもスティーヴン・キングやら、フィッツジェラルドやら、J・G・バラードやら、ちょくちょく英語では読んできたのだけれど(もちろん大学ではスペイン語で南米文学も)、ラシュディの小説には全く歯が立たない。知らない単語のオンパレードで、場面がしょっちゅう飛ぶ上に、比喩が物語の促進力ということもあって、『淡い焔』とは別の意味で迷宮に迷いこんだよう。
でも読まずにはいられない。使い古した辞書を相棒にコツコツと読み続けている。言語を超越した物語がそこに横たわっているのがわかる。
まだまだ完璧に英語を理解したと断言できるまでは長い道のりだが、とにかくそれまでは読みまくってやろう。
ちなみにファトワを宣告されたラシュディ氏ではあるが、以後も精力的に小説(相変わらず途方もない小説)を書き続けている。その姿勢に作家としての情熱や使命感を垣間見ることができる。
サイン会や講演も積極的に行っているようだし、「ブリジット・ジョーンズの日記」にカメオ出演もした。極めつけはU2がラシュディの小説を曲にした(The ground beneath her feet)のがきっかけで、イギリスのツアーに同行して全ステージにゲストとして上がったことだろう。
いやはや、度胸があるというか、無鉄砲というか、なんというか。とにかく人間としての巨大さを感じずにはいられない。
あっぱれ。
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