HIPHOPにノーベル賞を!

 秋の楽しみと言えば、サンマと松茸とノーベル賞である。と言うと、何を季節外れな、とツッコミもありそうだが、続ける。

 毎年誰が文学賞を獲るのだろうとうきうきしながら発表を待つわけだが、近年は驚きが多い。中でも個人的に驚いたのは選考委員のスキャンダル、、、ではなくてボブ・ディランの受賞。


 確かにずっと以前からボブ・ディランが候補に挙がっているという話は聞いたことがあったが、まさか本当に受賞するとは。

 でもよく考えると、彼の芸名はディラン・トマスから拝借しているわけだから、詩人としてのプライドというか、意気地みたいなものはあるのだろう。と、ボブ・ディランの話を始めたところではあるが、実はそのくらいしか知らない。曲も有名なものを二、三曲知っているだけだ。

「語り得ぬものについては語るな」とはヴィトゲンシュタインの言葉であるが、その謎多き哲学者の忠言に従うことにしよう。


 で、よく知らないフォークシンガーの名前を出してまで何を主張したいかと言うと、この賞のタイトルである。


 HIPHOPにノーベル賞を!!!


 ノーベル文学賞のカバー範囲が歌詞にまで及んでいることがボブ・ディランの受賞でわかったので、じゃあ今度はHIPHOPだろうと。

 これには幾つかの理由がある。


 文学のそもそもの発端が歴史や伝説の継承にあるとするならば、言葉の最大の特質こそ情報伝達機能に他ならない(偉そうに言うほどのことでもないが)。文字が発明されるよりも遥か昔から口頭によって様々な物語が受け継がれてきた。その伝達の際、言語のもつ音楽性が大きな役割を果たしたことは間違いない。


 祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり…

 君が行く海辺の宿に霧立たば……

 あるいは

 にいちがにににんがしにさんがろく


 と、20年も前に覚えた言葉の音楽はなかなか体から抜けない。


 そのようにして発展したのが、言わずもがな詩であろうが、リズムや韻を重視するその形態は文学のプロトタイプであり、また王道である。


 いきなり結論に入るが、HIPHOPのlyric(歌詞とは言うまい)こそ究極の詩、それも詩の芸術性・文学性が軽視されがちな現代においても熱狂的に迎え入れられる現代詩の最先端であると僕はおもう。

(余談ではあるが、スペイン語やイタリア語圏内では、詩こそ一流の文学とみなす風潮があるようで、散文はその下位に属すらしい。)


 そして詩の音楽性と同様に忘れてはならないのが、その政治的プロテスト。

 そもそもHIPHOPというジャンル自体が、黒人の黒人による黒人のためのもので、いわば人種的団結の象徴のような働きがあった。

 ロス暴動に代表されるような、アメリカでの人種差別へのプロテストとして、彼らはHIPHOPを生み出したわけだ。つまり、一種の文学的武器である。

 その辺りはジャマイカのレゲエにも通じるものがあるだろう。これはブッカー賞を受賞した A Brief History of Seven Killngsに詳しい。


 90年代に入るとギャングスタラップという形でギャングの手先がHIPHOPを使って、ゲットー、あるいはストリートの実情を歌うようになる。たぶん、この辺から麻薬、殺人、セックスなどを露骨に歌いあげるHIPHOPのいかがわしさが全面に押し出されていく。それに加えて西海岸と東海岸のギャングの抗争が激化し、2pacとThe Notorious B.I.Gという二大巨塔が殺されてブームが下火になっていくけど、その頃にはHIPHOPはいよいよ危ない音楽みたいな立ち位置になってしまった。


 例えばチカーノラップの代表格Cypress Hillなどは、ステージで特大のパイプからマリファナを吸ってラリった状態でパフォーマンスしたりする。そういうのを見ると素直にヤバいとしか言えない。


 でも裏を返せば、黒人(やチカーノ)がギャングになって麻薬を売り歩かざるをえなくなった背景には、やはりアメリカに深く根を下ろす人種差別問題があるとおもう。


 そんな中でも特に異彩を放つのがIce Cubeである(個人的に)。コワモテ俳優としても人気のIce Cubeであるが、実はギャング上がりではなく、結構なインテリ。

 Death CertificateやThe Predatorなどは暴力的なギャングの日常に絡めて、アメリカの問題点を鋭く突き、泥沼から同胞を救いあげて団結させようとするポジティブな力が底流にあって、音感的にもリリック的にもギャングスタラップの名盤だと思う。


 そしてEMINEMの登場で、そういう危険な環境で育つのはなにも黒人だけじゃないよ、という感じになったけど、EMINEMの偉大さは黒人の公民権運動の分流ともいえるHIPHOPを、人種の壁を越えて白人にまで押し広げたことだと思う。そう、辛い思いをしているのは黒人だけじゃないのだ。

 そういう意味でHIPHOPは人類に普遍的なものでもある。辛い環境から抜け出すために反面教師的に過酷な現実を教え、抑圧から脱却し、本来的な意味で市民としての姿を取り戻すためのプロテストだとも言える。まあ、逆にギャングに憧れちゃう人もいるけど。


 長くなったけど、つまりHIPHOPのリリックこそ現代詩の一つの極みであり、そこには現代社会への疑問、批判、プロテストが凝縮されているということだ。過剰な暴力や性表現、放送禁止用語なんかも多用されるけど、それもストリートの実情を映し出す一つの表現の在り方だと考えることができる。そう考えると、HIPHOPのリリックはこれはもう文学以外の何物でもないだろう。


 というわけで、スキャンダラスなノーベル賞選考委員会の皆さま、白人受賞者が異常に多い文学賞の候補に、何とぞHIPHOPをよろしくお願いいたします。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る