大柄小町とちっちゃな剣士

津軽あまに

大柄小町とちっちゃな剣士

 千葉 小春。

 十七歳。女性。

 身長179センチ。体重を聴いたらグーではたかれたので不明。痛い。


 全日本剣道連盟認定三段。

 僕ら高校生が取れるものとしては最高の段位の持ち主だ。

 通称「万葉ケ原の剣術小町」。剣道専門誌で取り上げられたこともある。


 口の悪い奴らは、その恵まれた体格を妬んで「剣術大町」なんて呼ぶ。

 だけど、大町だなんてとんでもない。

 千葉先輩の剣は大雑把さなんてかけらもなくて、繊細で美しい。


 入学直後の部活説明会で先輩が見せたその剣に、僕は一目で心を奪われた。

 文化系一直線、運動部なんて縁遠い生活だったインドア派の僕がだ。

 そんなわけで、


「せ、先輩っ」


 意を決して昼休みに2年の教室の入口から呼びかける。

 視線が妙に集中しているような気がするが、それどころではない。


「ど、どうした? 大吉くん。こ、ここじゃあなんだ。外で聞こうじゃあないか」


 クラスメートたちのひやかしを背に、わざわざ廊下を出て、人気の少ない階段の踊り場まで移動してくれる先輩。


 なんという気配り!

 僕みたいなへっぽこが人前で先輩を誘うなんて、周りから身の程知らずだとひやかされてもしょうがない。

 そんな外野の声に惑わされないよう、二人きりで話を聞いてくれようというのだ。


 これぞ、礼の心。理想の剣士の姿というものだと思う。


「で、でだ。わざわざ教室になんて、だ、大事な用があるんじゃないのか?」

  

 僕の緊張が伝わったのだろうか。先輩の口調も、珍しく動揺している気がする。

 それではいけない。

 だって、僕はこれから、先輩にお付き合いを申し込むのだから。


「は、はいっ! その!」

「お、おう! 私でよければよろこんでだ!」

「……え?」

「あ、いや、なんでもない。なんでもないぞ。セリフを一個先取りしてしまっただけだ。忘れろ。忘れてくれ頼むから」

「は、はあ」

「ということで、ほら。来い。当方に迎撃の用意ありだ」


 なんだかよくわからないが、とにかく話していいらしい。

 僕は改めて深呼吸をすると、先輩を見上げ、大きなその目を真っすぐに見つめて、


「先輩! 僕の、稽古に付き合ってください!」

「お、おう! 私でよければよろこんでだ! ……ぇ? 稽古?」


 言った! ちゃんと言えた! 

 尊敬する先輩と、一対一の立合い稽古……!


「……そうか、稽古か……そうだよな……うん……」

「先輩?」

「……いいだろう。覚悟して来い。ちょっと今日の私は手加減できそうにない」


 先輩の鋭い目つきに、僕は思わず身震いした。

 さすが先輩、剣のこととなると雰囲気が一変するなあ!



◇  ◇  ◇



 相対。相手への立礼。


 一歩。互いに歩み寄る。

 二歩。静寂。高校生としての心を、剣士へと作り替える。

 三歩。面防具越しに、先輩の視線が刺さる。刃のような鋭さ。


 蹲踞。

 屈んで、この空間と剣を伝えてきた先達へ礼。


「始め」


 立合いをつとめてくれた副部長の声が響く。

 立ち上がる。


 大きい。


 改めて、千葉先輩の大きさに圧倒される。

 体格的なものだけではない。

 あらゆる動きに対応できる余裕のある動き。

 どう打ち込んでも包み込まれていなされそうな、そんな大きさだ。


 技量差は歴然。

 体格も相手に有利。

 身長は腕の長さに通じ、それは即ち、剣による制空権の広さに直結する。


 ならば、どう挑むか。

 まずは足さばき。

 先輩は格上として、こちらの動きに応じる気だ。

 ならば、できる限りその間と呼吸のリズムを乱す。


 左右のすり足。わずかに間を詰め――先輩の竹刀が伸びる。

 こちらの切っ先が吸い込まれるような錯覚。

 先輩の竹刀が円を描き、刀身を絡めとっていく。


 これが、千葉先輩の得意技、巻き上げ小手。

 滑るような足さばきで相手へと踏み出し、竹刀を巻き上げるように無力化して動きを止め、その動作をそのまま打突の予備動作へと転化して攻撃に移る、格闘ゲームでいうところのモーションキャンセルコンボ技。

 幾多の強豪を倒してきた、「剣術小町」の代名詞だ。


 それこそ、僕の期待通りの展開だった。


 もしも先輩が、牽制に適当な技で対応してきていたならば、僕はなすすべもなくやられていただろう。

 けれど僕は、チャンスさえあれば先輩が巻き上げ小手を使うと信じていた。


 それが、先輩の全力だから。

 先輩は、駆け出しの僕にも手加減をしない真摯な人だから。


 見てから対応するのでは絶対に間に合わない「剣術小町」の必殺技。

 それでも、巻き上げ小手「だけ」は、僕にも反応できる。先が読める。

 だって、部活説明会の日に見たその技だけは、先輩の美しい技だけは、毎日のように目に焼き付けてきたのだから。


 一本。この試合だけでいい。先輩から一本を取れれば、僕も勇気を出せる!


 先輩の踏み込みよりも大きく後ろに下がり、そして、空を切った先輩の小手打ちを払って反撃。これならば、リーチの差も無視できるはず――


 が、先輩の竹刀は二度、美しい円を虚空に描いた。


 僕のカウンターの一撃は今度こそその巻き上げに絡めとられ、


「一本! 千葉部長!」


 いっそ気持ちがよいほどの鮮烈な衝撃が、面防具を貫いた。



◇  ◇  ◇



「狙いも動きも悪くなかったが……その、大吉くんはもっと、強引に行くべきだと思うぞ」

「……はい」

「誘いだって、相手を伺い続けてはいつまでもうまくいかない」

「はい」

「技巧は大切だ。体格、筋力で補える部分も大きい。だが、心が揃わなければ踏み出せない境地もあるということだ」

「はいっ! ありがとうございました!!」



◇  ◇  ◇



 中田 大吉。

 十五歳。男性。

 身長151センチ。

 中学の頃から身長が伸びなくなって久しいのだと愚痴っていた。可愛い。


 剣道部員であり、一つ下の高校の後輩であり、そして、私の初恋の相手である。

 真面目で礼儀正しく、それでいて茶目っ気もある。可愛い。

 人にやさしく素直だし、大柄で近寄りにくいと評判の私にも気負わず話しかけてきてくれる。高校から始めたばかりの剣道も、その吸収力でぐんぐん上達している。そして可愛い。


 そんな大吉くんから昼休みに呼び出され、よしこれはもしや告白ワンチャンあるのでは! と喜び勇んで内心小躍りステップしつつ人気の少ない場所へエスコートした私……なのだが。


「やっぱりただの稽古だったねー」

「言うなー! 知ってた! こういうオチだと思ってた! 思ってたけど!」


 女子更衣室で体育座りする私を、副部長がにやにやしながらからかってくる。

 剣の腕は確かだが、稽古より私をからかっている方が楽しいと公言する悪友だ。


「傷は深いぞがっくりしろー」

「容赦ない!」


 私の反応に気を良くしたのか、副部長は私の声真似をしはじめた。


「『その、大吉くんはもっと、強引に行くべきだと思うぞ』」

「やめ……」

「『誘いだって、相手を伺い続けてはいつまでもうまくいかない』」

「あああああああ!!」

「『だが、心が揃わなければ踏み出せない境地もあるということだ』……剣道のアドバイスかなー? それだけかなー? もっと違う欲望とかそういうのがダダ漏れたりしてないかなー? ねー?」

「く、くそっ! 殺せ! いっそ殺せ!!!」

「はい、剣術小町の『くっころ』いただきましたー!」


 ええもう、ばればれだな!

 剣道のアドバイスにかこつけて、告白かと思って勘違いしてしまった八つ当たりにこう、いろんなものが漏れ出した上にこれ、全部自分に突き刺さるブーメラン発言という! ツッコミどころしかない!


 なんで私はこんなに小さい人間なのだろう。図体ばっかり大きいのに。


「ねー、小春ってば、いつもあんなに雄々しいのに、なんで恋愛沙汰はダメダメかねえー。自分でがーっと誘っちゃえばいいじゃんー」

「いや。大吉くんはあくまで剣士としての私を慕っているのであって、「おーい、小春ー」私が彼にそんな下心を持っているとかそんなことを知られたら軽蔑されるというか、「だめだ、全然聞いてない」もしそうなったら私は正直竹刀を握り続けられる自身がないというか「大吉くんさー」むしろ竹刀と勇気だけが友達なアレな存在になり果てそうというか「小春から一本取れたら告るんだってー」そもそも私みたいな剣道バカデカ女から言い寄られたって彼だって困るに決まってるしとにかくそういうわけだからダメなのだ!」

「……ま、いいや。知らない方が面白いでしょ」

「何か言ったか?」

「なんでもないー」

「ということで、頼む。後生だから、大吉くんにこの事は」

「ん。だいじょぶ。言わないからさー」


 副部長は口笛を吹くと、体育座りの私に手を差し伸べてきた。


「それじゃあ千葉部長? わたしめと一緒にたこ焼きでもどうですか? 偶然にも校門で立っているであろう、カワイイ後輩クンも一緒に」

「……お、おう!? なんで大吉くんがいるんだ? いや、それよりその、たこやき!? そのチョイスは許されるのか? 青のりとか歯についたりしないのか?」

「ああもう、はっきり答える! 誘われたら、どう答えるつもりだったのさー? 私を大吉くんだと思って!」


 そうだった。うじうじするなんて私の剣には似合わない。


 ときにはもっと強引に。

 誘いだって、相手を伺ってばかりじゃうまくいかない。

 心が揃わなければ、辿り着けない境地がある。


 全部私が、口にしたことじゃないか。


 大丈夫。できるはず。

 たまにはちょっと強気に、自分のペースに巻き込まないと。

 そういう巻き上げの剣こそ、私の得意技なのだから。


「わ、私でよければよろこんで! だ!」


 打突の発声にも負けない大声が、女子更衣室に響き渡った。

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