俺は、ラベンダー。

ぶらっくまる。

俺は、ラベンダー。

 昼下がりの帰り道。


 空一面に垂れ込めた雨雲は、まるで希咲きさき憂鬱ゆううつな気分を表現しているかのように暗く、重く、俺たちの頭上を圧迫していた。


 校門を出た下り坂を、足早に先を行く希咲を追った俺は、どう声を掛けてよいかわからず、数歩離れた距離を保ち、話しかけるタイミングをうかがっていた。


 希咲は、右肩に掛けた学生鞄の取っ手をギュッと握っている。


 その後ろ姿は、やけに小さくて、弱々しくて、はかなく見えた。


――――――


 今日は、三月九日。


 その学生鞄からは、季節感を完全に無視したサンタクロースと靴下が対になったキーホルダーがぶら下がっており、カチャカチャと音を鳴らしていた。


 それは、去年のクリスマス。


 俺と、希咲、もう一人――直人なおと――の三人で遊びに行ったとき。

 たまたま立ち寄った雑貨屋で、直人が希咲にプレゼントしたキーホルダーだった。


 俺たち三人は、互いの家が近いことから、小さいころからよく一緒に遊んでいた。


 つまり、幼馴染というやつだ。


 ぼっち組な俺たちは、クリぼっちが嫌でクリスマスを三人で過ごしたのだ。


 本当は、希咲が直人を誘ったのだが、あのバカが俺を誘いやがった。


 当初、その連絡を受けた俺は、企画好きな直人のことだから、当然、言い出しっぺは直人だと思っていた。


 しかし、


『呼んでないのに何で友哉ゆうやがいんのよ』


 と、眉根をひそめ、明らかに残念そうな表情をした希咲に言われ、全てを察した。


 俺は、希咲が直人に幼馴染以上の感情を抱いていることを知っていた。


 当然、直人はそんなこととは知らず、俺を誘ったのだろう。


 よく気配りができ、周りのことを把握する観察眼に優れた直人は、どうやら自分自身のこととなると、その能力をちっとも発揮しない。


 俗にいう、典型的な鈍い男だった。


――――――


 今日は、卒業式。


 その独特な雰囲気に三年生だけではなく、俺たち二年生の中にも目を真っ赤にはらし、鼻をすするような音をさせ、感傷的なムードをより引き立てる生徒たちが居た。


 卒業生代表として、前生徒会長であるたちばな先輩の挨拶に、現生徒会長の希咲が在校生代表をの挨拶を務めた。


 そう、希咲もそのムードを引き立てた生徒の一人であった。


 卒業式後に二人で抱き合い、泣き合い、最後には、笑い合っていた。


 しかし、そこで終わらなかった――


 幼馴染だから、という訳でもないが、俺と直人も生徒会の一員で希咲の補佐をしていた。


 当然、前生徒会長である橘先輩のことをよく知っている。


 その橘先輩が、急に俺に耳打ちをしてきて、直人と二人きりで話したいと言い出したのだ。


 目的は、明らかだった。


 だから、希咲にその場面を見せまいと俺は、希咲を連れて先に帰ろうとした。


 しかし、希咲は、何かを感じたのか、途中まで俺と二人で歩いていたのに、直人と三人で帰りたいと言い出し、来た道を戻り、直人を探しに行ってしまった。


 その後を追って止めようとしたが、適当な理由が思い浮かばず、引き留めることは叶わなかった。


 希咲が直人を見つけたのは、橘先輩が直人に告白している最中だった。


 直人が橘先輩にどう答えたかはわからない。


 でも、その内容は想像がついた。


 橘先輩に告白され驚いた表情をしていた直人のその表情は、信じられないといったように嬉しそうに口角が上がっていた。


 直人のその感情が男女のそれであるかは聞いていないが、尊敬する女性だとは聞いていた。


 つまり、橘先輩と直人は、両想い……


――――――


 今日は、降水確率八〇パーセント。


 まだ……


 まだ、雨は降っていない。


 しかし、空一面に垂れ込めた雨雲の様子から、いつ降ってもおかしくなかった。


 肩先まで伸ばした髪を揺らし、肩で空を切るように先を急ぐ希咲は、別に雨を心配している訳ではない。


 その希咲が突然立ち止まり、慌てて俺も足を止めた。


「何でついてくるの?」


 その声は、微かにだが、震えている気がした。


「え?」


 突然のことで、俺はまともな返しができなかった。


「だから……何でついてくるのよ!」

「何でって……」


 希咲が心配で、とは言わなかった。


 ここで同情しても、希咲を余計に惨めにさせると思ったからだ。


「用がないなら放っておいてよ!」


 希咲は、語気を強めたが、未だに立ち止まったままで、そのセリフを言葉通りに受け取ってよいものかと、俺を悩ませる。


「希咲……」

「だから……な、何よ……」


 その声は、震えていた。


 鼻を啜る音が耳に届き、希咲が泣いているのだと確信した。


「直人のこと、好きなんだろ?」


 あー、俺のバカ野郎! と、後悔したが、発した言葉は取り消せない。


 希咲の小さな背中を見つめたまま俺は、ただただ反応を待った。


 数秒……数分……


 どれほどの沈黙だったかは、わからない。


 ただ、その沈黙が俺の精神をすり減らしたのは間違いなかった。


「やっぱり、友哉は気付いてたんだね」

「そ、そりゃあ、まあな。あからさまだったから……」


 いつもおまえのことを見ていた、とは、口が裂けても言えなかった。


「そうだよねー。なのに、直人は全然気付いてくれないし……」

「あいつは……ほらっ、ゆーて鈍感だから」

「それな」

「ああ」


 気持ち希咲の声音が明るくなったが、


「でもね。わたしじゃダメなんだと思う……」


 さっきまで鞄の取っ手を握っていた手には、もう力がこもっていなかった。


 意気消沈するように肩を落とす希咲――


 その拍子に右肩に掛けていた鞄が地面に落ち、その右手も力なくぶらんと落ちた。


 希咲を励ましたかったが、俺には適当な言葉が浮かばなかった。


 そんなことない! と、はっきり言ってやりたかったが、できなかった。


 あんな嬉しそうな直人の笑顔を見ることは、そうそうない。


 当然、希咲もそのことに気付いているはずだった。


 幼馴染だからというか、三人で過ごした時間が長いだけあって、俺は些細な所作で、だいたい二人が何を考えてるかわかる。


 他の二人もそのはずなんだが、恋愛ごととなると極端にそのセンサーが働いていないようだった。


 俺はまだいい方だ。


 俺の希咲への想いは、二人に気付かれないように注意を払っている。


 しかし、希咲の直人への対応を見る限り、希咲は全く隠す気が無い。


 それなのに、直人は希咲の想いに気付いていない。


 もしかしたら、気付いているが気付いていない振りをしてる可能性もなくもないが、直人の性格からして、そんなことはしないはずだ。


 励ましのセリフを考えている内に、いつの間にか思考の世界にはまっていた。


 すると、突然――


「ねえ、わたしは、どうしたらいいかな?」

「え?」


 振り返った希咲の一際大きな瞳に見つめられ、息を呑んだ。


 未だその瞳には涙をたたえ、腫らしたまぶたがトゥルーラベンダーのようにほのかなピンク色に染まっていた。


「どうって……」


 希咲の意図がわからず俺は聞き返す。


 すると、一瞬目を瞑った希咲の目元から涙が落ちた。


 そして、目を開くなり俺の方に歩み寄ってきた。


 俺は、その瞳から視線を外せず、吸い込まれそうになった。


「じゃあ、友哉はどうしたい?」

「は?」


 希咲のまさかの攻撃に俺は、益々混乱した。


 これは、もしや、バレてる?


「いいよ、わたし。友哉だったら……」

「そうきたか」

「何よ、それ……」


 思わず心の声が吐露してしまった。


 しかし、それで問題なかった。


 だって、こんなの俺が好きになった希咲ではない。


「あのな、もし、もしだぞ。直人が橘先輩に告白して、振られた直ぐ後で希咲に告白したら引くだろ」

「ううん。わたしは、嬉しいよ」


 即答だった。


「てか、わたしはまだ直人に振られてないんだけど!」


 思わず俺は笑ってしまった。


「な、何笑ってんのよー!」

「いや、その通りなんだよ」

「え?」


 キョトンとした表情で、希咲は俺の言いたいことに気付いていないようだった。


「これから戻って直人に告白して来いよ。それでダメだったら俺が相手してやるよ」

「な、何よそれー! わたしが言うのもあれだけど、友哉はそれでいいの?」


 まさかこんな返しが来るとは思っていなかったのだろう。


 希咲は、呆気にとられながらも、今更、自分のあり得ない発言に気後れしているようだった。


 ふつうに傍から見たら、希咲が小悪魔のように見えるだろう。


 でも、俺にとってはそんなの関係なかった。


「うーん、よくは無いけど、いいんじゃないか?」

「全然わかんない」


 ここまでくると、流石の希咲も呆れていた。


「だろうな。俺もわからん。ただ……」

「ただ?」

「辛いことや悩み事があったら、そのときは、一緒に悩んでやるから遠慮すんなよ」

「友哉……ありがとう」


 完全に自虐に走ってしまったが、それが功を奏したのか、希咲の顔には一点の曇りもなかった。


 校門への上り坂を駆けていく希咲を見送りながら俺は、


「いいんだよ俺は。希咲が幸せなら……だって、それが俺の望みなんだから……」


 と、その呟きは突然の風に紛れるようにして消えた。


 例え……


 例え、俺が二番目より先に行けなくてもいい。


 俺としては、その距離に居られるだけで幸せだった。


 先程まで垂れ込めていた雨雲に切れ目ができ、俺の心に開いた穴を埋めるように光が差し込み、俺を照らした。

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