046『幻視』


 私は木枠を車から下ろし、それを池のほとりで組み立てた。その上に板を置き白の布をかぶせて祭壇にする。そこへお酒の入った酒瓶と鏡を置く。

 マヒトがしずしずと歩みよりかしずいた。一旦、神楽鈴と榊を置き、御幣を手に持ち払いをする。

 そして、朗々と祝詞を上げた。


「たかあまはらに、かむつまります、かむろぎ、かむろみのみこともちて、すめみおやかむいざなぎのみこと、つくしのひむかのたちばなのおどの、あはぎはらに、みそぎはらひたまふときに、なりませる、はらえとのおほかみたち、もろもろのまがことつみけがれを、はらえたまへきよめたまへとまおすことのよしを、あまつかみ、くにつかみ、やほよろずのかみたちともに、あめのふち、こまのみみふりたててきこしめせと、かしこみかしこみもまおす」


 もう一度祓いをして、神楽鈴と榊を手に持ち池の方へと歩み寄る。


〝シャーーーン!〟 渓全体に響く鈴の音。

 大きく鈴を打ち鳴らし、マヒトが舞いが始まった……。


 右へ大きく踏み出し二回転。シャン! 鈴の音が渓谷に響き渡る。

 一瞬、屈んで伸びあがりながら左へ二回転。シュッ! 榊が振られ水滴が光となって舞い踊る。

 今度は右へ屈みながらの四回転。シャン! そこから伸びあがりながらの二回転。シュッ!

 クルクルとクルクルと舞いながら少女の涼やかな声が祝詞を上げる。


「ひと、ふた、み、よ……いつ、む、なな、や……ここの、たり……ふるへ、ふるへ、ゆらゆらとふるへ……ふるへ、ふるへて、みたまをかえす……ふるへ、ふるへて、たちのぼり……ふるへ、ふるへて、しずまらん……」


 初夏と言っても良い眩い日差しの中、深緑の森に囲まれて、巫女装束の少女が舞っている……。

 夏の日差しに照らされた陽炎の様にたおやかに。野を飛び交う蝶のように……。

 私はマヒトに最初に会った日ノ見院を思い出す……。


 渓谷内の僅かに高台に設置されたその建物からは、村の人々の生活が間近に見えていたのだろう。

 道で挨拶をする村の人。畑を耕す男たち。村中を駆け回る子供の姿。夕餉の支度の煙に、団欒の明かり。

 しかし、マヒトの守ろうとしたそれは全て奪われた。


 そんな思いが、あの 〝まほろば〟 にはあったのだ。未練、そして後悔。そんな思いがあの場所を作り上げた。


 人気も無い深い森に、凛とした鈴の音が鳴り響く。

 沢を渡る涼やかな風に、少女の祝詞が紡がれる。


 私はただ静かにその光景を見守った――。



 舞い終えたマヒトは泣いていた。

 私はそこへ近づきいつかのさくらさんのように、そっと抱きしめた。

 そして、子供の様に声を上げマヒトは泣いた。


「皆、笑っておった……」マヒトが嗚咽を漏らしながらポツリとつぶやく。

「?」その時、吹き付けた風に私はふと西の崖の上を見上げた……。


 そこにはあの晩の様に崖に並ぶ村人の姿……。皆、笑顔でこちらに向けて手を振っている……。

 ――いや、気のせいか、何も見えない。ただの幻視だ……。

 一瞬見えた、そこには今はもう何も見えない。ただ木々だけが、風に揺れ手を振っているように思われた。



 こうして私達は渓谷を後にした。

 後片付けをし、来た道を引き返し、バス道の出口まで無事に戻って来ることが出来た。


「さて、飯でも食って帰るとするか」私はマヒトに聞いてみた。

「うむ……して、どこで食べるつもりなのじゃ」幾分元気を取り戻したマヒトが答える。

「そりゃ、当然ここまで来たんだから蓮池の十吾さんの温泉だろう。何なら今晩は泊りでもいいぞ」

「うむ、そうじゃの……」

「どうした、乗り気じゃないのか?」

「いや、そう言えば新しい西沢温泉の事は、和泉田殿があまり話してくれなんだな、と思ってな」

「ふ-ん」――どう言う事だろう、余り経営が良くなかったのかな?


 私たちは一旦南へ下り、国道まで出て山を大回りして蓮池に向かった。

 真新しい二車線の国道。その峠に掛かる長いトンネル――〝蓮池トンネル〟。

 私の愛車のパジェロはその長く暗いトンネルを抜けた……。


 光が溢れる……。

 そして、〝唖然〟 ――とした。


 そこに合ったのは、巨大な温泉ランド 〝ニュースプリングス〟。

 そして、その看板には確かに小さくこう書かれていた 〝西沢温泉〟 と……。


 ――和泉田……泉……スプリングス……駄洒落か! 頭の片隅に十吾さんの笑顔が浮かんだ。あの親父……。

 現場に来てないセイラが見つけられなかった訳だ……。


「何なのじゃ、これは何なのじゃ、遊園地か? てーまぱーくと言う奴か? これを和泉田殿が創ったのか?」建物から飛び出たウオータースライダーを見てマヒトが腕を掴んでブンブンと振って来る。

 ――何を興奮している、このお子ちゃまは! 運転中だから手を放せ! ああ、確かに温泉テーマパークと書いてある……。


「今晩はここに泊るのじゃろ、のう真」瞳がキラキラと光を放つ。

「ああ……」


 ――これでは、期待をしていた、あの手打ち蕎麦もどぶろくも無いだろうな……。

 まあ、今晩は宴会料理で飲み明かすとするか!


 私は気を取り直し、その広い駐車場に向けて車を乗り入れたのだった。




 ディープフォレスト完!




 ここまでお読みくださった方へ、心より感謝申し上げます。


 当作品につきまして、当初よりこの作品は浅見真誕生秘話的な物語として制作されております。シリーズものにするかどうかはまだ構想中ですが、他作品に探偵役として登場予定ですので今後はそちらでお楽しみいただけると幸いです。


 続編:クリムゾンレイン~吸血鬼との相違点と類似点~https://kakuyomu.jp/works/1177354054890032880

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ディープフォレスト ~人魚は深い森の夢を見る~ (あやかし神社の探偵事務所:序章) 永遠こころ @towakokoro

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