【番外編】初めてのチョコレート

 龍くんの誕生日ケーキは中学一年の時から毎年手作りのチョコレートケーキ。何年か前にビターチョコで作ったらかなり怒られた。女子力はない私だが、この一年に一回の行事でチョコレートケーキだけは上手に作れるようになった。今年は砂糖不使用チョコ蜂蜜ケーキにしてみた。ケーキの飾り付けが終わったタイミングで携帯が鳴る。この音は龍くんだ。仕事は無事に予定通り終わったみたいで安心する。

「あと一時間くらいで着くわね、買ってきて欲しいものはある?」

「それ今日の主役が言うセリフじゃないよ。早く来てくれたら嬉しいかな」

「わかったわよ、雨降ってるからタオル用意してもらえるとありがたいわ」

 電話を終えた後に外を見ると、予想外に傘の花が沢山咲いている。今日は青が多めだ。梅雨入りしたとは言っていたが、今朝の天気予報で雨が降るなんて言ってたっけ?

 この春から龍くんはよく時間を作って家へ来てくれるようになった。メールのやり取りや電話の内容だけ切り取ると付き合ってるんじゃないかと思う。でも、私は龍くんと幼馴染のままだ。この青いタオルも来客用だったはずが龍くん専用になっているし、勝手に龍くんはマグカップと着替えを家に置いているし、そしていつの間にか棚には龍くんの好きな銘柄の珈琲と蜂蜜が常備されるようになった。でも、龍くんは彼氏ではない。好意を利用されている、都合のいい女……なのかもしれない。でも、仲良くしてくれるならそれで良い。龍くんが誕生日にくれた化粧品で今日も顔を作る。毛穴もニキビも醜い本心も、見えないように塗りたくる。


 ケトルのお湯を全てドリッパーに注ぎ終えると同時にインターホンが鳴った。ドアを開けると、龍くんが花束を持って立っていた。男って言われるのが嫌だから、水も滴るいい……人間? 惚れ直した。でも、幼馴染のままで居なきゃいけない。前回遊んだ時にフラれたのに、未だに好きだなんて口が裂けても言えない。ずっとこの想いをごみ箱に捨てられず部屋の片隅に置いていた。たまに時間があったら眺めて、そして落ち込んでいた。そんな私の姿はきっと抽出し終わった珈琲粉のカスよりも汚い。

「ねえ、ねえってば? ぼーっとして大丈夫??」

「あ、ごめん。風邪ひいちゃうよね、入って入って。タオルも用意してあるよ」

「いい匂い。珈琲?」

「うん、時間計算して今入れたところ」


 龍くんがジャージに着替えて戻ってきた。化粧も落としたため髪の長い男性に見える。いつも通り向かい合わせに座って珈琲で乾杯。もちろん、龍くんの珈琲には蜂蜜を入れて。

「ねえ、年々珈琲へのこだわり強くなってない?」

「そ、そうかな? そんなつもりないんだけど」

「カップを温めておくっていうのはまだわかるけど、抽出時の温度と飲み頃の温度がどうとか、硬水と軟水の違いがどうとか、食べるお菓子によって豆は変えるとか、気にする人は少ないと思うわよ」

「龍くんが珈琲飲めないから興味ないだけじゃない?」

「辛辣ね、お姉さん泣いちゃう」

 無視していつも通りケーキを切り分けようと準備を始めると、ちょっと待ってと言って相手が私の横に来る。近い、頻繁に家へ来るようになったとはいえこんな距離になったことはない。何も言われずにナイフを握る手を上からギュッと掴まれる。

「初めての共同作業です、なんちゃって」

「は、恥ずかしいからやめて龍くん!」

「もう、いけずねえ」

「プレゼント用意したけど渡さないよ!」

 頬を膨らませるが、龍くんの上目遣いに私は弱いので渋々誕生日プレゼント渡す。「先日買うか悩んだけど車検があるから」と言ってやめていたワンピースとレインコートにした。お店へ買いに行った時に場違いな気がして買い物中ずっと落ち着かなかった。私にはやっぱりおしゃれは分からない。迷っていた時に画像を見せられたが「カッパ?」と言ってしまい怒られた。レインコートとカッパの違いがわからない。そして、なんでこの二つであんなに高いのかがわからない。来年の誕生日は洗濯機を買ってもらおう。

「ありがとう、大切に着るわね」

「龍くんも花束ありがとう」

 紫陽花の花束なんて初めて見た。いや、そもそも私が今までの人生で花束を見る機会がほとんどなかったから知らなくても当然かもしれない。有名なのだろうか。

「紫陽花ってね、花言葉は移り気とか家族団欒とかあるらしいんだけど、青い紫陽花の花言葉は、辛抱強い愛情なの」

「そうなんだ! 色によって花言葉が違うんだね。龍くん花言葉詳しいなんておしゃれ」

「そ、その」

 龍くんの手には手作りのチョコレートがあった。手作りのお菓子なんて初めてもらったかもしれない。

「……その、今まで我慢させてごめんなさい」

 静かな部屋、聞こえるのは雨声。らしくない龍くんの顔は、お酒を飲んでいないのに真っ赤だった。

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