境界はどこにある

「何が良いのかしら……?」

 いつもの席、いつもの蜂蜜入り珈琲を飲みながらため息をつく。ため息の似合う女性は影があって素敵だなと昔は思っていたが、今は全く憧れない。最近買ったお気に入りのくすみピンクのトレンチスカートなのに、ほぼ寝てないため全くテンションが上がらない。化粧ノリも最悪で、メイクさんと言われる職業としてどうなんだろうと思うくらい、今日の化粧は何度やり直しても上手くいかなかった。SNSに隠し撮り写真とか上げられてないことを祈るばかり。世の中、とても息苦しい。

「たつのが眠れないほど悩むなんて明日は大雪? あと今日スカート着て来てるけどちゃんと髭剃った?」

「ママ、私全身脱毛してるから髭はほとんどないのよ。文明の力様々よ」


 自宅近くの喫茶店は、誰にも教えていない秘密の居場所。芸能界と関わる仕事はとても不規則なお仕事で、そしてありがたいことにここ数年はお仕事を沢山頂いているから、最近はあまりゆっくり来られていないけれど。

 店内はいつもクラシックが流れ、家具は洋風の物でまとめられている。幼馴染と遊ぶ時は必ずと言って良い程に行く喫茶店と、なんとなく雰囲気が似ていて大好き。……あと、店主であるママが私と同じく性別のことに違和感を抱いていて色々話せることも、ここによく来る理由。ママの場合、周囲に内緒にしているからずっと紳士服を着ているし、お化粧も全くしていないし、他のお客さんが居る時は話し方も変わる。そう言えば初めてワンピースを着た時に訪れたのもここだった。それまでレディースの服は着たことはあったが、カジュアルだったりモノトーンだったり、パッと見だと紳士服に見える服を選んで着ていた。有名ではないけれど顔を出してお仕事は始めていたから、ソワソワしながら喫茶店まで歩いたことを今でも鮮明に覚えている。


「そうだママ。今朝のテレビ、日本海側は大雪って言ってたわよ」

「あなたのそういう冗談通じない時がある所、嫌いじゃないわ」

 そう言ってママは奥の棚へ入っていった。今日は金曜日だから、豆と外部委託のスイーツが届く日か。あと天気も良いから、ママが長年片想いをしている常連の男性がモーニングを食べに来るかもしれない。こんなことまで分かるくらい通いつめている。ママに「ここはカウンセリングルームじゃない!」ってとても低い声で怒られたこともあったけれど。


 幼稚園から大学まで同じだった幼馴染の誕生日プレゼントは、友人として当たり障りのないものを。あとあの子は女子力が低めなので女子力が上がりそうなもの。昔からそうやって考えて雑貨屋さんで色々選んでいたはずなのに、年々どうしたらいいのか分からなくなっている。……私の中で膨れ上がる相手への想いも。

 昔から笑顔の裏で色々考えてパンクしそうな姿が放っておけなくて、ついついSNSを見る時間があればあの子はほとんど呟かないと分かっていても見てしまう。こちらから連絡はできない。私が心配しているはずなのに、気が付けば「龍くん忙しいでしょ? ちゃんと食べてる?」と心配をかけてしまうから。だから、あの子へ向けてブログやSNSはマメに更新している。おすすめの化粧品、担当している雑誌の話、流行の洋服、書ける限りの事を書いて、ファンからの質問にも極力答えている。


「ねえ、新しいスイーツ入ったけど食べるわよね?」

「ビターチョコとか、苦いのは嫌よ」

「分かってるわよ。毒味も兼ねてるから無料で良いわ」

「毒味って……まあ、ここのケーキ美味しいに決まってるから食べるけど」

「残念ながら、今回はケーキじゃないのよね」

 目の前に現れたのは黄色くて四角い物体であった。店内に似つかわしくない、ザ・和風な羊羹である。私は思わずママを見るが、微笑むだけで何も言わない。1口フォークで取って食べると、口の中は予想とは違う味が広がった。頑張って味を説明をするなら、スイートポテトに近い。良い意味で裏切られた。あの子にも食べさせてあげたい。

「……美味しい。洋風の芋羊羹?」

「たつの、そういうことよ」

「えっ?」

 慌てて顔を上げると、頬杖をついて私の顔を見つめてくる。大きな目、高い鼻筋、厚めの唇。メイクしなくても、魅力が溢れる顔立ちが、とても羨ましい。

「好いてもらってる自信があるのなら、あなたらしいものにしちゃいなさい。きっと、どんなものでも受け入れて貰えるわよ」

 そう言ってウインクをしたママは自身の珈琲を入れるべく作業を始める。何種類も並ぶ豆を見ながら、どの豆にしようかと選ぶ笑顔がとても素敵。

「ありがとう、ママ」

 聞こえるか聞こえない程度で言った私は2口目を頬張った。プレゼントは、決めた。直接渡せなければ送り付けてしまおう。年明けてから1日休みあったかな……。


 食べ終わった頃にママが思い出したように口を開く。

「そう言えば、たつのって珈琲に蜂蜜を入れる知識どこから仕入れたの?」

「昔から幼馴染と行ってる喫茶店のマスターに教えてもらったの。コクが出るし健康にも良いしって」

 ママの表情が一瞬暗くなる。でも、すぐ元に戻った。初対面の人では絶対に分からないくらい、本当に一瞬。客商売が長いと辛くても無理して笑うのが上手くなる、以前オカマバーで働いていた子が話していた。

「元彼がよく珈琲に蜂蜜入れてたのよ、ブラックも好きだけど蜂蜜を入れるとコクが出るんだって」

 ママの元彼。長年付き合い、周囲にはルームシェアだと言い張って同棲もしていたが、ある日突然「もうムリだ」という殴り書きメモを残して姿を消したという酷い男性である。

 ママは残っていた珈琲を一気に飲み干し、シンクに立つ。上の棚に頭をぶつけそうになっている姿を見て、190センチの身長の高さを実感する。顔も整っているし、モデルやれそう。まあ、裏側を知っているのでやるなんて言い出したら絶対止めるけど。

「まあ、まさかね。世の中うちみたいな小さなお店も含めたら喫茶店なんて沢山あるでしょうし」

「そうよママ。元彼さんの地元、私たちと違うでしょ?」

「忘れたいのに嫌になっちゃう、本当駄目ね。たつのも、覚悟がないなら幼馴染ちゃんと付き合っちゃ駄目よ」

「付き合わないわよ。あの子、女よ?」

「でも、あなたが幼馴染ちゃんの話する時、正直男に戻ってるわよ。俺が守らなきゃ、みたいな顔してる。あなたをそんなに魅了するなんて、1度会ってみたいものよ」

「ママやめてよ」

 性別のこと、ブログで発表しなければ……。そうすれば、何も気にせず堂々と付き合えていたのかもしれない。あの子は気にしないと言ってくれているが、世間が気にする。変な目を、酷い言葉を、あの子に向ける奴が居るかもしれない。自分のせいでそんな風になるなら、死んでしまいたいとも思う。この感情は友人だから出てくるものなのか、恋人になりたいから出てくるものなのか。自分には、検討がつかない。ママが2杯目の珈琲に少しずつミルクを注ぐ。ユラユラと揺れる、黒と白。混ざりあって、分からなくなる。


 ──私はあの子とどうなりたいの?

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