第5話 金色の河
その後も雨は、3日間降り続いた。
その間、病状が回復する様子のない梅さんを心配して、ポン太達も頻繁にやって来るようになっていた。
床についたままの梅さんも、
「畑の方はどうなってるのかの? それから……………………………」
と、あれこれと気にしているようで、しきりに俺に聞いてくるが、俺にはその表情が、もっと別のことを問いかけてきているように、見えてならなかった。
(息子達は、いつになったら着くんだい?)
俺には、そう言っているように見えた。
4日目にして、ようやく雨もあがり、封鎖されていた林道も、何とか車一台が通れるほどになっていた。
幸い、梅さんが気にしていた畑も稲田も無事で、隣のお爺さんの話しでは、今年は例年にないほどの豊作が期待できるそうだ。
昼前には、梅さんが待ちに待った、息子さんも到着。半年ぶりの親子の再会と思われた、しかし当の梅さんは、
「母さんっ、母さんっ!!」
「う…………ああ、……………………」
昨夜、容態が急に悪化しだして、今朝から息を荒げて、どうにも手がつけられない状態になっていた。息子さんが到着したのは、俺達が慌てて救急車を呼ぼうとしたところだったのである。
「は、早く病院に送って行った方が?」
「そ、そうですね…………………」
梅さんの病状に、彼は顔を蒼白にしている。
予想以上に病気が悪化していることを知り、いてもたってもいられない、といった顔だ。
ふと、裏庭の方を見ると、家の異常を感じとったのか、ポン太達までが、心配そうに窓越しにこちらを見ていた。
「救急車を呼んでいる余裕はない。私の車で行きましょう! 内海さんでしたか。すみませんが、私達と一緒に来てもらえますか?」
「わ、分かりました。では……………」
俺と彼とで、梅さんの体をかつぎ、車の方に運ぼうとすると、梅さんは俺の腕をつかみ、
「やめてくれ、ワシはこの村を離れたくないんじゃ…………………」
消え入りそうな、弱々しい声で言った。
そんな梅さんを俺達は、諭すように、
「母さん、そんなわがまま言わないで」
「このままじゃ、ホントに死んでしまいますよ」
言うが、梅さんは俺達の手を振りほどき、
「死んでもええ。ワシはここを一歩も動かんぞっ!」
とうとうその場で座り込んでしまった。
「か、母さんっ!!」
「知らんっ……………………」
俺達がいくら声をかけても、手を差し伸べても、一向に答えようともしない。
そっぽを向いて、駄々っ子のように、もうこっちの言葉など聞こうともしなかった。
するとそこへ、廊下を横切りポン太達が、梅さんの前に走り寄ってきた。
3匹は梅さんに鼻を押し付けて、悲しげな潤んだ目で『クークー』と小声で鳴いている。それはまるで、梅さんの体を心配のあまりに、気遣っているかのようだった。
きっとポン太達も、梅さんの体がよくないことを、本能で感じとっているのだろう。3匹の鳴き声が、とても悲しげに聞こえる。
「ほら、ポン太達も心配してるんですよ。早く病気を治して、元気な姿を見せてやらないと、こいつらも安心して山に帰れないじゃないですか?」
「………………………」
俺のその言葉に、梅さんはうなだれてポン太達3匹の頭をなでた。そして、
「分かったよ………………………」
小さく答えた。
梅さんと、付添の俺を乗せた車は村を離れて行く。
途中までポン太達が追いかけて来ていたが、
村の出口で3匹は俺達を見送る形で別れた。
「すまないが、車を桜の木のところでとめてくれないか?」
後部座席の梅さんは、申し訳なさそうにそう言った。
「ええ、いいですけど、桜の木が何か?」
「いいから、寄っておくれ」
「は、はい………………………」
村から町に向かう林道の途中に、その桜の木はある。
そこは、俺が梅さんと会った場所でもある。
車はその木のすぐそばに停車した。
梅さんは、窓から村を見渡した。
「どうかした、お母さん?」
「何だかこれが、村の見納めのような気がしてね」
「そんな、縁起でもないこと、言わないで下さい」
俺達は眉根を寄せて言うが、当人の梅さんは苦笑いをうかべていた。
だが、その言葉は現実となった。
病状が思ったよりも悪かった梅さんは、町の病院に入院して5日後、ずっと一緒に暮らしたかった家族に見守られ、帰らぬ人となってしまった。
そして3日後、村で梅さんの葬儀が執り行われた。
俺の方は、梅さんの息子さんの計らいで、何とかバイクの修理を頼める店を見つけることができた。ただ、何せ年代物なので、部品の調達に手間取り、1週間も待たされることとなったが、おかげで俺も梅さんの葬儀に参加することができた。
あれだけお世話になっておいて、そのまま知らぬ顔で去るのも気が引けるだろうから、それはそれでよかったのかもしれない。
梅さんの墓は、峠の桜の木のすぐ横にある、村の小さな墓地に立てられた。
ここならいつも村を見渡せて、天国でもきっと、寂しい思いはしないですむだろう。
そして……………………
「さすがに半月近くもいると、少し名残惜しいな………………」
待ちに待ったバイクの修理も終わり、俺が村を去る日がやって来た。
次は日本海に抜けるか、それとも福島方面に戻って、高速で一気に東京まで行こうか、あれこれ昨夜は悩んでいたが、いざ出発となると、何だか後ろ髪を引かれるような気分だ。
とはいえ、いつまでもここに残っているわけにもいかない。
「じゃあ俺、これで帰るから………………」
最後に梅さんに別れを告げるため、俺は墓がある峠の桜の木に立ち寄った。
気が付くと、季節はすっかり秋となり、峠を吹き抜ける風は、初めてこの村に訪れたときのものより、ずっと冷たく感じられる。
墓前に手を合わせ、いざ立ち去ろうとすると、近くの茂みが揺れて、ポン太達が顔を見せてくれた。
「俺を見送りに来てくれたのか?」
そんなわけがないと、苦笑しながら立つと、俺の視界に赤色と金色の光が飛び込んできた。
「な、何だっ?」
さっきまで茂みで気付かなかったが、その光は村の方から射し込んできている。
何事かと、桜の木の所まで行き、村を見渡すと、
「す、すげぇ……………………」
そのあまりの美しさに、俺は初めて美瑛の絶景を見たときのような感動をおぼえた。山は紅葉に染まり、麓から村にかけての稲穂が陽の光を反射して、
「これか…………、川崎君が言っていたのは……………」
金色の川を見つめ、俺はしばらくそこから動くことができなかった。
※※※※※※※※※※※※※※
以前、バイクが壊れて動けなくなった林道もすっかり舗装され、走りやすくなっていたのが幸いし、予定よりもかなり早くに、思い出の峠の桜の木に到着した。
だが、変わったのは林道だけではない。
村はすっかり廃虚と化してしまっていた。
すでにダムの工事も始まり、村はすっかり無人と化してしまっている。
数年後には、この廃村もダム湖の底に、消えて無くなってしまい、村があったという証しも消えてしまうのである。
「本当に、あの金の川の村が沈んでしまうんだな………………………」
3年前を思い出し、俺はため息をついた。
もう、元には戻らないあの景色を思うと、残念でならない。
思い出のある場所だっただけに、何だか自分自身が、壊されたような気さえする。
「このまま、この国から田舎とか森とか山が無くなったりしない……………よな?」
気にしすぎかもしれないが、この村の無残な有様を見ていると、そうとも限らないような気さえしてきた。
「………何とかしたいな…………………」
そう思ったところで、俺だけでどうにかできるわけはないが………………。
さて、いつまでもこうしていたって仕方ない。せっかくここまで来たのだから、梅さんの墓のお参りをしなければ。
墓地は峠の桜の木のそばなので、ダムができても沈む心配はなかった。
いつでもまた、こっちに来たときには、墓参りができる。
そう思って墓の前に行くと、墓前には何故か栗やキノコ、ドングリなどが、枝がついたままの状態で供えられていた。
「あいつら……………………だな」
俺の脳裏に、すっかり大きくなったポン太達の姿が浮かぶ。
「人間の生活圏だけじゃない。このまま森や山が無くなると、ポン太達の住み処まで無くなるんだな…………………」
人間社会のためとは言え、開発などの工事が、何だか罪深いものに思えてきた。
「ホントに、何とかしたいな……………」
このとき、ここに来た思い出を残そうと、持ってきていたカメラが手の中にあった。
「今は他に手はないか………………」
俺は梅さんの墓前にもう一度、手を合わせて、ある決意をした。
その後、俺は自然保護を世間に訴えるために、失われ行く日本の風景専門カメラマンの道を選んだ。
峠の桜とタヌキとバイク旅 京正載 @SW650
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