第3話 タヌキの知らせ
次の朝、天気は快晴で、まさにツーリング日和であった。
しかし、快適な朝を迎えた俺に対して我愛車は、今も林道脇でお休み中である。
何とか修理、もしくは修理できる店がある町まで運びたいのだが、どうしたものか? とりあえず、梅さんに電話を借りて(携帯は県外だったので)、近くの町のバイクショップを探そうと彼女の部屋に向かうと、何故か梅さんは台所前の廊下で寝ていた。
(婆さん寝相悪っ………………いや、待て)
よく見れば、梅さんは寝ているのではなく、息を荒げ、苦悶の表情で苦しがっていた。
「どうしたんすか、お婆さん?」
「う〜ん、いや、ちょっと持病の腰痛での。よく季節の変わり目なんかに、古傷が傷むことがあるじゃろ。昨夜は少し冷えたから、若いころになったギックリ腰が、痛たたた……………………………」
何とまあ、前かがみの仕事が多い農家の人でギックリ腰とは、気の毒な話だ。
知らない人はギックリ腰を軽く見ているようだが、あの傷みはハンパではない、らしい。俺が以前勤めていた運送会社の先輩で、やはり荷物運搬中に腰を傷めた人がいて、彼が言うには、あまりの痛さに寝返りもうてず、朝起きて布団から出るだけで、30分近くもかかったと、壮絶な腰痛談を語っていた。
ごつい運送屋の人間であれだ。年老いた梅さんには、とんでもない痛みに違いない。
「ど、どうします? お医者さんを呼んで来ましょうか?」
「いや、いいよいいよ。こうして休んでいたら、じきによくなるから。それに呼んで来ようにも、この村にはもう診療所もないから、どうすることもできないよ」
「え?」
「昨日、言ったように過疎のせいさ。あと何年かしたら、この村も無くなってしまうだろうよ」
たしかにこの村の過疎化は、そうとうなものであった。
昨日、この家に来る道すがら見渡した村の様子を見たって、もしも人の気配さえなかったら、廃村かゴーストタウンと思ったかもしれないほどだ。
「と、とにかく布団で休んでいて下さい。今は無理をしないほうがいい。朝食の準備は俺がしますから」
「そ、そうかい。すまないねぇ」
俺は梅さんを部屋に戻し、台所で梅さんの分の朝食の準備をした。
これでも実家を出た後は、ずっと一人暮らしをしてきたのだ。
多少は台所仕事もできる。
とりあえず俺は、簡単な朝食を作って梅さんに届けた。
まだ布団の中で横になってはいるが、容態は思ったほど悪くはなさそうだ。
「…………………しかし困ったのぉ」
「どうかしたんですか?」
食事を終えた梅さんが、ため息まじりに呟いた。表情もどこか深刻そうである。
「いや、実は今日のうちに畑仕事を終えておかないといけないんじゃ。明日から雨が降るみたいなんでのぉ」
「え、こんなに天気がいいのに?」
「こんな田舎でも、長年住んでいると分かるもんだよ。湿気だとか気温だとかで、何となくな。こりゃ、大雨になるよ。水田の方は何とかなると思うが、畑の作物が大雨で水に浸っては大変じゃ」
言うと梅さんは、困り果てたように深いため息をひとつついた。
しかし、こんなときに大雨とは困ったぞ。
これではたとえバイクの修理先が見つかっても、こんな山奥ではすぐに来てくれるとも思えないし、明日以降では雨のせいで当分はどうすることもできないではないか?
いや、それより今は、こっちの方も心配だ。
畑の様子を心配する梅さんを、黙って見ているわけにもいかないではないか?
「畑の方は、村の他の人に手伝ってもらってはどうです?」
「無理だよ。他の者も自分の畑で手いっぱいだろうし、昨日言ったように、この村は年寄りばかりで、そんな余分な体力などありゃせんよ」
「じ、じゃあ…………………」
俺は少し躊躇いがちに、
「俺が畑に行きます。なに、俺の実家も農家で、ガキの頃はよく手伝わされましたからね。勝手は少し違うかもしれませんが、何とかなると思います」
「そ、そうかい? すまないねぇ」
梅さんには一宿一飯の恩義がある。
受けた恩を返さず帰ったら、関西人の汚名を残すではないか。
俺は梅さんから畑の場所を聞き、農具を担いで向かった。
そして俺は、実に10数年ぶりの畑仕事に、額に汗を流すことになった。
まずは実った作物を大急ぎで収穫する。そして雨水があふれないよう、溝を掘って水が水路へ逃げるようにした。念のために水田の方を確認したが、こっちは問題なさそうだ。
それにしても、ほんの数時間程度畑仕事をしただけで、手足はガクガクになるほどの疲労を俺は感じた。まさかこんなところで、自分の運動不足を実感することになろうとは?
昔は今と同じくらいの仕事をしても、何ともなかったのだが…………………?
「やっぱ、野良仕事は性に合わないわ、俺」
こんなことになると分かっていたら、運送会社でもっと真面目に働いておけばよかった。これでは俺までギックリ腰になってしまう。
ようやく仕事も一段落し、一休みしようかと思ったそのとき、背中に妙な視線を感じた。
何事かと振り返ると、畑横の茂みの中で何かが動くのが見えた。
いったい何かと見ていると、しばししてその茂みの中からオズオズと、1匹の仔ダヌキが出てきた。
「何だ、ポン子じゃないか? 早速俺にエサをねだりに来たのか?」
だが、どうにも様子がおかしい。
ポン子は俺にエサをもらおうとするそぶりもなく、何故かしきりに俺と、梅さんの自宅の方を何度も何度も交互に見ては、そこいらを走り回っていた。
そして、時折俺を見上げる目が、妙に何かを訴えかけているかのように見えた。
「ま、まさかっ?」
俺は妙な胸騒ぎを感じ、梅さんの家の方に向かった。
すると、ポン子がまるで道案内をするかのように、俺の前を必死に走りだした。
やはり梅さんに何かあったのだ。
「もう歳だからな、何か無理でもしたんじゃねぇだろうな?」
いいしれない不安に、俺は言葉にできない不安を感じていた。
昨日会ったばかりの赤の他人。
なのに、この緊張感は何だ?
目と鼻の先にあるはずの梅さんの家までの距離が、とても長く感じられた。
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