第2話 峠の老婆とタヌキのランチタイム
そんな話しを聞いて、やって来たのはいいが、さすがに言っていただけのことはある。もしやと思い、郡山のコンビニで買った東北の最新の地図を見ても、川崎君が言っていた村らしい場所は見当たらなかった。
(え、スマホ? グーグル? 何ですソレ? 通話オンリーのガラケー使用者には何のことやら)
それでも道を進んでいくと、いつの間にか舗装道路は未舗装の砂利道になり、そこから1㎞も行かないうちに、林道へと変わってしまった。
我愛車は重量級の大型オンロード車。しかもかなりの年代物。泥濘みにはまろうものなら、もうおしまいだ。
そう言えば、川崎君のバイクは軽量のオフロード車だったことを思い出す。
こんな道なのなら、前もって言ってくれればよかったのに。
「む〜、参ったなぁ………………」
ここまで来て引き返すのも何なので、そのまましばらく走り続けたが、道は悪くなるばかり。今までちゃんとした道を走っていたこともあり、まさか日本で、こんな未舗装の道が、延々と続くとも思っていなかったのだ。
そのうちに、ちゃんとした広い道に出ると信じ、気がつけば戻るに戻れない山奥へ。仕方なく、川崎君からもらったメモと手書きの地図を頼りに、林道を走ること約30分。こんなことなら、もっと軽量のバイクに乗ればよかったと、今さらながら後悔し、
「このメモの通りなら、あと少しのハズなんだけど………………………」
もう一度場所確認をし、再び走り出した。
しかしここに来て、我愛車の調子が急変! 今にもエンジンが、爆発しそうな音をたてだした。
「うそーっ、マジやばいかもっ?」
慌てて道の端に寄せてエンジンを止めると、ラジエーターから白煙があがった。
元々が年代物の中古車。いつ壊れてもおかしくないと思いつつ、ここまで騙し騙し乗ってきたが、まさかよりにもよってこんな山奥で壊れないでくれと、俺は神に祈った。
(ああ、神様仏様、何とかお助けをっ!! 実家に帰ったら春日大社にも法隆寺にもお参りに行くから、どうか助けてぇ〜っ!!)
しかし、たっぷり1分ほど間を置いて、セルボタンを押すが、やはりと言うか残念と言うか、エンジンはウンともスンとも言わない。
年代物のバイクなので、今ではこのクラスでは珍しいキックスタートも可能だったが、これもダメだった。
最後の手段として、ギアを入れてクラッチを握り、車体を押して無理矢理起動させる押し駆けを試みたが、やはり無理だった。
というより、悪い足場にクソ重い車体のために、できなかったと言った方が正しいが。
すでにラジエーターからの白煙はおさまっているが、それでもエンジンがかなりの熱をもっていることは分かった。
その後、いろいろとエンジンの再起動を試みてみだが、日頃の信心が足りないのか、それとも身勝手に実家を出て行ったバチでも当ったのか、それ以後、バイクのエンジンが動き出す気配はなかった。
(ああ、天は俺を見放した〜っ)
八甲田で言いそびれた名言を、俺は半ばやけくそで心の中で叫んだ。
気がつくと、西の空が紅みがかってきている。このままだと、日が暮れるのに2時間とかからないであろう。
まさかこんな山の中で野宿をするわけにもいかず、俺はバイクをその場に置いて、もう少し道を進んでみることにした。(戻ろうかとも思ったが、今来た方向には、10㎞近く町も村もなかったのだ)
足場も悪く、泥濘んだ林道の上り坂をしばらく進むと、少し先に一本の桜の木が見えた。
「あれは、もしかしたら川崎君が言っていた目印の桜か? だったら、その先に目的地の村があるはずだっ!」
ここに来て、ようやく希望の光が見えてきた。最初は川崎君が言っていた絶景を楽しみにしていたが、今はそんなことよりも、今晩泊まる場所を見つけなければならない。村に行って、どこかの民家で一晩やっかいになろう。バイクの修理と町に帰る手段はその後だ。もはや疲労困憊だったが、俺は無意識に小走りで桜の木を目指した。
やっとの思いで桜の木の下まで来ると、とたんに視界が開けた。
桜の木は林道の峠にあったので、そこから眼下に小さな村が一望できたのである。
谷間に細長く古い民家が点在し、大小様々な畑があちこちにある。米所の新潟だけに、傾斜地には棚田も見え、まるで絵本で見るような田舎の風景が、そこにはあった。
しかし、
「た、たしかに景色としてはいいけど、何も絶景というほどでも? 川崎君はいったい何を言いたかったんだろう?」
そう言えば、秋がお勧めだとか言ってたような? すでに8月末だが、秋と呼ぶにはまだ早いかもしれない。
そんなことを考えていると、
「おや、こんなところで何してんだい、兄ちゃん」
と、おそらくこの村の人なのだろう、七十〜八十歳ほどの老婆が声をかけてきた。畑仕事の帰りなのか、農具を担いで泥まみれになっている。
「え、ええ、ちょっとそこでバイクが故障してしまって…………………………」
「ばいく? ああ、単車のことかい? そりゃ困ったことだねぇ」
老婆は特に困った様子もなく(まあ、困っているのはこっちなので、所詮は他人事ということか?)、無表情のまま桜の木の下に腰かけ、一休みとばかりに水筒のお茶を飲んだ。
しばし夕日に染まる村を見下ろし、思い出したかのように、
「そいじゃあ、今夜はどうするね? この村には宿なんて気の利いたモノもないがねぇ」
(うあっ、反応遅っ!! てか、俺のこと忘れてたろっ?)
心の中で絶叫したが、俺はそれを顔には出さず、
「はぁ、実はそれで困ってるんです。どこか泊めてもらえる家はないですかねぇ〜?」
「ふ〜ん。それは困ったねぇ」
と、またも老婆は困った様子もなく答えた。
そして、
「仕方ないねぇ。今夜は家に泊まっていきなさい」
老婆がそう答えたのは、それから数分後のことだった。
老婆は、名前を鹿島梅さんといい、この村で生まれ育った、御歳八六という、村一番のお年寄りだった。
とはいえ、この村も高齢化と過疎が進み、今では村民は十数人しかおらず、みんながみんな高齢者ばかりであった。
「昔は若い者もおったんじゃがなぁ、今では見ての通り年寄りばかりになってしもうた。町に引越した息子夫婦や孫も、年末くらいにしか帰ってこないから寂しいもんさね」
梅さん宅へ向かう道すがら、彼女は村を見渡し残念そうに言った。
まあ、こんな山奥の小さな村のことだ。
いずれは無くなってしまう運命を感じとっているのだろう、生まれ故郷が無くなるというのは、きっとせつないものに違いない。
梅さんの自宅は、村でも山を背にした傾斜部にあり、すぐ裏庭から先が森になっていた。その自宅に通された俺は、夕食をいただき、就寝時までの間、俺は梅さんとこれまでの旅の話をして時間を潰した。
出身の奈良県のことから、今まで旅した多くの土地の話しを、今まで1度も村を出たことがないという梅さんは、とても楽しそうに耳を傾けてくれた。
「ほぉ、話しには聞いたことがあるが、そんなにすごいのかい、函館の夜景ってのは?」
「ええ、もう雑誌や写真で見たって、その迫力は決して伝わるものじゃありませんよ。函館山から見下ろした夜景が、こう、何て言うのかな、押し迫ってくるような、町の光に圧倒されるような、言葉で表現できない最高の絶景ですから」
「ふ〜ん、そんなにすごい景色なのなら、死ぬまでに1度見ておきたいものじゃが、あいにくこの年寄りには、そんな遠くに行くことなんてできそうにないしのぉ〜」
梅さんは残念そうにそう言うと、ふと裏庭の方に視線をやった。
「おお、いかんいかん。あんたの話しに夢中になりすぎて、すっかり忘れておった」
「え、何をです?」
梅さんは台所に行くと、夕食の材料の残りやパンくずを持って、裏庭の雨戸を開けた。小さな裏庭を挟んで、すぐそこから森になっているのだが、その森の茂みの中に輝く6つの目が。
「あ、あれは?」
「おお〜い、ポン太、ポン吉、ポン子やぁ、出ておいでぇ」
「ポ、ポンって…………………」
茂みを見つめていると、しばらくして3匹の仔ダヌキが出てきた。
3匹は見知らぬ俺を警戒してか、それこそ目からタヌキビームでも発射しそうな眼差しで、こちらを睨みつけている。
(し、しかしポン太にポン吉ポン子って、何とまぁベタなネーミングだなぁ〜)
仔ダヌキ達は、少し躊躇いがちに梅さんからエサをもらうと、やはり俺を警戒してか、森の手前にまでさがってから食べ始めた。
「餌付けしてるんすか?」
「いや、そんなつもりはないんだけどねぇ。まあ、何となくさね」
きっと寂しさを紛らわしているのだろう、俺は仔ダヌキ達を見て、
「俺もエサ、やってもいいっすか?」
「ああ、いいよ。でも、見知らぬ人の手からだと、ちゃんと食べてくれるかどうか分からないけどね」
俺は梅さんからパンくずをもらい、タヌキ達の方に放り投げると、3匹のうちで一番体の小さい1匹が、投げた俺のパンの臭いをクンクン嗅いでから口にくわえた。
「おやまあ、見も知らない人からモノをもらうなんて、ポン子は行儀の悪い子だね」
「ポン子ってことは、あのタヌキはメスですか?」
「多分そうじゃろ? だって3匹の中で一番体が小さいからねぇ」
俺は森の方に去り行くポン子を見ると、股間にメスにはありえないモノがぶら下がっているのに気がついたが、そのことはあえて梅さんに言うのはやめた。
その夜、俺は町に引越したという、梅さんの息子さんが使っていた部屋に泊まらせてもらった。全国を走り回る毎日で、久々に休んだ家庭の匂いがする布団の感触に、俺はしばらく眠りにつけなかった。
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