第4話 過疎の村

 息を切らせ、慌てて梅さん宅に帰ると、ポン子は俺を先導しながら裏庭に走った。急いで後を追い、そちらにまわると、裏庭ではすでにポン太とポン吉が、やはり裏庭でうろうろとしながら、家の中をしきりに見つめている。そしてそこから家の中を見ると、ガラス戸が閉められた縁側に、梅さんが倒れていた。

「ちょっ、お婆さんっ!」

まさかギックリ腰のままで家の仕事をしようとして、転んだのではと思ったが、どうやらそうではないようだった。

慌てて抱き起こすと、すぐに異常事態だと分かった。息を荒げ、顔を蒼白にしている。苦しみようが異様であった。

「こ、これはギックリ腰なんかじゃない」

そうとは思ったものの、どうしたものか分からず、俺は慌てて近所に助けを求めた。


 何とか隣の家のお爺さんに来てもらうと、彼は呆れたように肩を落とし、

「まったく、だから言ったんじゃ。もう無理はするなとなぁ〜」

言ってため息をつき、いつものことなのか、奥の部屋から薬を持ってきて梅さんに飲ませると、しばらくして容態が安定しだした。

「ど、どうかしたんですか、お婆さん?」

「ああ、あんたは知らんかもしれんが、梅さんは心臓を病んでいてのぉ、麓の町医者からも野良仕事を控えるように言われておったんじゃ。町に引越した息子夫婦からも、一緒に町に来るよう言われておったんじゃが、頑固なのか、村を離れたがろうとはせんなんだ。まあ、生まれてこのかた、1度も村から出たことがないんじゃ。無理もない」

そう、今朝、梅さんが倒れていたのも、本当はギックリ腰などではなく、心臓の病のせいだったのだ。それを俺に余計な心配させまいと、ギックリ腰だと、咄嗟にウソを言ったのである。

「八十年以上もこの村を見続けてきたんじゃ。そう簡単には離れられはせんじゃろうの。じゃが、この村とて、もう数年後には消えて無くなる運命じゃ。せめて最後までいたいと思うのも分からかんではないか?」

「え? 後数年で、って、やっぱり過疎のせいですか?」

「まあ、それもあるがな、何年か後にはこの村は、ダムの底に沈んでしまうんだよ」

「ダム……………ですか」

「すでに決まったことじゃよ。どうすることもできん」

言うや、彼は家の電話をとり、どこかに電話をかけた。

どうやら相手は、梅さんの息子さんらしく、今回のことを詳しく話していた。

もしものときはと、前々から息子さんから頼まれていたらしい。

「ああ、わしの方でも様子を診ておくよ。今回ばかりはいつもより容態がよくないみたいなんでな。…………あ、ああ、町の病院にかい? で、迎えに来てくれるのかの? こんな田舎じゃあ、そっちに送って行く車もバスもないのでなぁ。………うん、そうかい。明日、迎えに来てくれるんじゃな。ああ、分かったよ」

そう答えて、お爺さんは受話器を置いた。

「よかったじゃないですか。まあ、故郷を離れるのは気が進まないでしょうけど、体調が回復したら、また戻ってくればいいわけだし、ダムの建設だって、まだまだ先の話しなんでしょ?」

「うん、まあこれで梅さんも、ようやく息子夫婦や孫と一緒に暮らせるようになるよ」

言ってお爺さんは、安堵のと息をもらした。

だが、翌日になっても、村にその息子さんがやって来ることはなかった。


 その日は、梅さんが予言した通りに、朝から大雨が降った。

まさにバケツの水をひっくり返したような、というのは、こういうのを言うのだろう。その勢いで裏山が崩れるのではないかと、俺は何度も裏庭から山を眺めたほどだ。

そう言えば、ポン太達はどうしているのだろう? 巣の中でおとなしく、雨がやむのを待っているのだろうか?

そんなことを考えていると、突如、家の電話が鳴った。

はたしてその電話に出てもいいものか?

自分の家ならともかく、他人の家の電話というのは、何とも出づらいものだ。

だが、出ないわけにもいかない。

しかも今は、家の中には昨日から寝たきりの梅さん、外は朝からの大雨と、少々陰鬱な気分なせいか、電話のコール音が妙にけたたましく感じられる。

どうも気乗りしないが、数回鳴った後で、俺はようやく受話器をとった。

「はい、もしもし…………………」

『あ…………、あの、私、鹿島といいますが……………………?』

予想外の相手が出て、相手は少々戸惑っているようだった。それにその声は、焦っているようにも聞こえる。

「鹿島? もしかして梅さんの? 俺はこの雨で足止めくって、先日から泊まらせてもらっている内海といいます。今日、こっちに来られると聞いていましたが?」

『そうなんですが、村まで繋がる林道が、この雨のせいで崖崩れをおこして、通行止めになってしまっていて、すぐにはそっちには行けそうにないんですよ』

「そんなっ?!」

『た、多分、2〜3日以内には通れると思うんだが………………、それより、母の様子はどんな具合ですか? 昨日の話しでは、あまりよくないと、隣のお爺さんは言ってたみたいでしたけど?』

「俺も素人なんで、詳しいことは分かりませんが、一応、食事はとってます。ですが、昨夜は夜中に何やらうなされていたようでした。今朝は遅くに目が覚めたみたいでしたが、しきりに畑の様子を気にしています。それから……………………」

俺は梅さんの様子や、体調のことを、できる限り電話で説明した。

息子さんも、少しは安心したようで、何度も俺に礼を言って電話を切った。

「しかし参ったな。まさかこんなときに通行止めとは…………………雨もしばらくやみそうにないし……………………」

このままでは、せっかく額に汗してやった畑仕事が、無駄になってしまうではないか?

いや、それ以前に、早く天候が回復してくれないことには、バイクの修理も何もできないし、旅の続きも家に帰ることもできない。

「ホント、困ったなぁ」

ぼやいて俺は、天井を見上げた。

屋根を打ち付ける雨音は相変わらずだ。

はてさて、どうしたものかと困っていると、雨戸の外で何やら物音がした。

何事かと外を見てみるが、特に変わったところは………………………おや?

「どん……………ぐり???」

裏庭に縁側から下りる足場に、数個の木の実が落ちている。

だが、この家の裏庭どころか、近くにはドングリの実るクヌギなどの木はない。

よく裏庭を凝視していると、草むらの中を去っていく3匹のタヌキの姿が見えた。

「あいつら…………………………」

いつもエサをくれる、梅さんへのお見舞いのつもりなのだろう、なかなか義理堅い連中ではないか。

だが俺は、去り行くポン太達の後ろ姿を見て思った。

俺はどうなんだ、と。

ポン太達は、梅さんの体の心配をしているというのに、俺はこの杖況にいながら、自分勝手な愚痴や、帰ることばかり考えている。

病人である梅さんのことなど、さほど心配していないのではないか、と?

「俺はタヌキ以下なのか」

思い、再び森の方を見たが、もうポン太達の姿はそこにはなかった。

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