C-LOVERS next one

佑佳

cute angel fly on the stage

 その日、文化会館の大ホールは開演前のざわつきと高揚感、そして期待感で満ちていた。嬉しいことに空席はない。

 オレンジ色の会場内ライトは決して明るいとは言い難いが、観客は迷わず着席してゆく。

 やがて、まだざわつきが残る大ホール内の空気に、ビーッと長い一音が響き渡った。オレンジ色のライトは一斉に、しかしゆっくりと消えてゆく。途端にざわつきは無くなり、皆が一様に目の前のどっしりとした緞帳どんちょうへ視線を注ぐようになった。

 長い一音は三〇秒間続いた。

 止んだ途端に入れ代わるようにやってきた一瞬の静けさが、大ホール内を独特な緊張感で染め上げる。緞帳は未だ上がらない。

 舞台の両袖に設置されている音質の良い巨大スピーカーから、ヴァイオリンやティンパニの低音が流れてきた。これは生演奏ではなくどうやらCD再生らしい。『鐘の行進曲』と名のついたそれは、シのフラットから始まる長調で、行進曲特有のやや軽快な四拍子である。管楽器の幅広い音域と打楽器の低音が、丸く心地よく響く。

 約二八小節曲が進むと、ようやく緞帳は上げられた。共に会場内はしばし大きな拍手に包まれる。

「緞帳が上がったこの瞬間が、演じ手でも観客でも一番ドキドキするのよね……」

「ハハ、ちょっとわかる気がする」

 壇上は昼間のように明るく、無数のライトがそこを照らしていることがわかる。

 その背景は教会を模しているのだろうか、欧州のような風景画が用意されていた。大きな金色の鐘が実にリアルに描かれている。


 これはバレエ演目、コッペリア第三幕。主人公・スワニルダの結婚のための村祭りの情景。

 スワニルダとその恋人・フランツが、舞台の端と端で気まずそうに背を向けあっている場面から始まる。ちらほら居る村娘が二人を優しく諭し、ひとまず仲直りをさせた。

 二人は優しく手を取り合い、はにかみながら謝り合うと、やがて幸せそうな笑みに変わり下手しもてへと引っ込む。

 そのまま管楽器の緩やかな曲調を、残った村娘たちの踊りで色付け締め括る。

「やっぱりあのくらいになると細部まで丁寧に踊るわね」

「美意識が経験とリンクするようになるからね。伸ばそうとするなら、直にもっともっと良くなるよ」

 『鐘の行進曲』が止み、観客の拍手に村娘役の高校生世代の生徒ら六人が丁寧にお辞儀をする。余裕や優雅ささえ感じさせる滑らかな動作は、実年齢よりも彼女らを年上に錯覚させる。

 村娘役の彼女らが舞台からはけ、拍手が止むと、次いで舞台袖から舞い出てきたのは『時の踊り』の役の子らだ。

 年齢は七才と八才の総勢一六名、四人ずつの列となり、丁寧にそのゆったりとした三拍子に乗り、よく揃っている。そのハープの低めの音色は実に幻想的である。

「かわいいわぁ。まだバレエシューズだからつま先で立たないのよ……フフフ、ホントみんなかわいい」

 そう客席で微笑むのは、この舞台の衣装製作を担った柳田蜜葉やなぎだみつば。しかし、公にその名前は公開されていない。

「あの四色のチョイス、キミらしくていい」

 蜜葉の隣で微笑み囁くのは柳田善一やなぎだよしかず。かつてYOSSY the CLOWNヨッシー ザ クラウンとして世界的に有名なパフォーマーであった。現在はパフォーマー兼講師として世界を飛び回っている。

「そう? 私も昔踊ったの、この曲。だからなんだか思い入れが抜けなくて、色はホンット悩んだ……」

「彼女らにとても合ってる。成功だったみたいだね」

「そうだといいな。フフ、ありがとう」




「ハァ……」

 舞台袖にて『時の踊り』の様子覗いをしていた柳田芽衣やなぎだめい・九才は、胸が苦しくなるような浅い呼吸にのまれそうになっていた。

(待って、このトウシューズの調整完璧だったかな……。石膏の部分、丁度いい柔らかさになってるんだっけ? 試し履きのときの記憶ないよー。ああ、髪の毛のここのピンちょっと痛いかもしんない! でももう触れないし……。ていうか、ピルエットしたときに耳飾り取れちゃったらどうしよう! ノリでちゃんとくっ付けとけばよかったかなあ……)

 ぎゅう、と知らないうちに胸元に置いた手を強く握り絞めていた。

 ダメダメ、と軽く頭を振り、壇上で華やかに舞う後輩たちを眺める。

(みんな練習どおりに、間違えないでひとつずつ出来てる……)

 私も、ちゃんとできるかな──そう思った瞬間。

「芽衣ちゃん、芽衣ちゃん。 あっちにオニイサンとオネエサン来てるよっ」

 同じ出番の友人に、耳打ちでそう声をかけられた。「ええっ?!」と目を丸くし振り返る。

 外と舞台袖を繋いでいる扉付近に、ブロンドの髪の大人の男女二人を見つけた。優しく微笑み、女性の方が芽衣へ手を振っている。

「サム! エニー!」

 芽衣は満面の笑みと温かい想いを胸に、彼らに駆け寄った。思わずトウシューズの先端の石膏がコンコンコンと鳴る。本来ならば、講師の先生による「足先鳴らさない!」などの雷が落とされる場面だ。

「メーイ! 会いたかったあ、間に合ってよかった!」

 長い腕を広げ、駆け寄ってきた芽衣を優しく強く抱き締めるのは、エニー・柳田。芽衣と血は繋がっていないが、実の姉である。

「おかえりなさい! どうして芽衣がここにいるってわかったの?!」

「ボクらも半年前、ここでステージやったからね。それに、『本番直前は舞台裏』ってのは舞台へ上がる者の決まり事だろ?」

 そうして頬を紅潮させているのは、サム・柳田。同じく芽衣と血は繋がっていないが、実の兄である。どうやら二人はかなり急ぎ駆けつけたようだ。

 サムとエニーは二卵性の双子である。共にブロンドの艶やかな毛髪、まるでガラス玉のような深い緑色の瞳、その透明感につい魅入ってしまう白色の肌のすらりと長い手足は完璧な美しさを保っている。

 芽衣は、いつも優しく、そしてキラキラと輝く二人のことが心の底から大好きだ。

「いやーそれにしても本当に間に合ってよかったよ、メイ!」

「ホントは楽屋でゆっくり、と思ってたんだけど。そこはごめんね」

「ううん。オーストラリアから間に合わせてくれてありがとう。たくさん……急いだ?」

「うん、たくさん急いだ! でもそれは、アタシたちがメイに会いたくて会いたくてたまらなかったからよ」

「そうそう。一秒でも早くメイの顔を見たかったんだ。キミは幸せを運ぶANGEL天使ちゃんだからね」

 サムはそうしてしゃがむと、舞台メイクを施した芽衣の頬を左掌でそっと撫でた。エニーは、芽衣の両手を取って優しく微笑みかけている。

 芽衣は照れながら顎を引き、二人の瞳を交互に見詰める。すると緊張の糸がほんの少しだけ緩んだようで、ためらいがちに口を開いた。

「芽衣ね、緊張してたの……。胸が詰まって、息苦しくて……もうすぐ出番だし、芽衣ソリストなのに」

 バレエでいうソリストとは、一人で踊る踊り手の事を指す。芽衣は今回、同じ役の友人四人とは別にメインを張るというわけだ。この舞台の主役は『スワニルダ』であるが、それとはまた別のソロ役を任されたのである。

 眉をハの字にする芽衣の表情は母親によく似ていた。エニーはそれを感じ胸の奥がじんわり暖かくなる。

「そう……それは苦しかったわね……あっ! じゃ、アタシたちが魔法かけてあげる!」

「魔法?」

 優しく囁くエニーはニイ、と口角を上げサムへ目配せをする。サムはフフ、と小さく笑うと芽衣へ優しく語りかけた。

「そう、魔法。じゃ、まず目を閉じて」

 芽衣はエニーに手を握られたままサムの言葉に素直にしたがってゆく。幼い目元に貼り付けられた長いつけまつげがファサリと頬へ影を落とす。

「鼻で深く、お腹の底まで沢山空気を溜め込んで……──はいストップ」

 く、と芽衣は口をつぐむ。

「ONE……TWO……THREE……!」

 二人の声が揃ったカウントに、芽衣は春風のような温かい安心感に全身がくるまれるのを感じた。エニーのその包み込む優しく温かな手の温もりのためであろうか。

「はい、息吐いて。今度はお腹の底から溜めた空気を一気に静かに細く吐くんだ」

 フー……、とその息の続く限りまで吐き出す。すると不思議なことに、今まで抱いていたネガティブな思考やマイナス要素をその空気に溶かしたような錯覚をした。

「っはぁ!」

 吐ききり、再び呼吸をすると、浄化し澄みわたった空気をその体へ取り込んでいるような気持ちになった。

 ぱち、ぱち、とゆっくり二度瞬きをする。

「どう?」

 サムとエニーが満面の笑みで芽衣をしげしげと窺う。その微笑みにつられて芽衣もニイっと口角が上がる。

「すごい……二人の魔法、ホントだね! 緊張どっか消えちゃった」

 フフフ、とエニーが微笑む横でサムがやや早口で説明に入る。

「ボクらも昔、ヨッシーにかけてもらったことがあるんだ」

「ヨッシーに? 『世界のサム』も緊張するの?!」

 芽衣はついそうして驚いた。サムはムッと片眉を上げる。

「失礼な! ボクだってネガティブなことを考えちゃう時くらいあるよ」

「アタシは無いよ」

「ちょ、……エニーも緊張するだろ。ステージ横でよくジタジタするじゃんか」

「あっ、あれは……その……すっ、ステージ前の興奮を発散してんのよっ」

「はぁーん、どうだかっ」

「何よォサムだって──」「ふふっ!」

 芽衣が二人のやり取りに、肩を小刻みに震わせ笑う。すっかりと緊張やネガティブな感情が無くなったようであった。サムとエニーは顔を見合わせ、声に出さずに「カワイイ……」と囁き合う。

「ねぇメイ、よく聞いて」

 サムは芽衣の瞳をじっと見詰めながら囁いた。

「キミの笑顔は抜きん出て素敵だ。だって、YOSSY the CLOWNのだけじゃなくて、キミには蜜葉の優しさとか慈しむ心も一緒に入ってるんだから」

 芽衣は心の柔らかい部分がキュンとつねられたように感じた。照れを混ぜて肩を竦める。

「……うん」

 次いでエニーがその瞳を覗きこむ。

「充分世界を魅了しうるメイの表現、胸張って今日のお客様みぃーんなに振り撒いてきてね。あなたはアタシ達の自慢よ。何事も、必ずやり遂げられるよ」

 エニーの甘く爽やかないい匂いが芽衣の鼻先を横切った。壇上に居ても二人がついていると思えた。

「……うんっ」

 頷いた芽衣の瞳に、舞台で活躍し続けた父親によく似た自信が浮かんでいた。

 舞台で流れる音楽がクライマックスへと向かいだす。壮大な曲調になりつつある中の「シャン!」とシンバルが鳴った音を合図にしたように、兄と姉は知らぬ間に声を合わせていた。

「さあ、行っておいで!」

「うんっ!」

 大きく頷いた芽衣は、同じ出番の友人らへと駆けて行く。

 途中、一度振り返り、迷惑にならない程度に声を張った。

「見ててね! 芽衣がここのみんなを、日の出の金色の世界へ連れていくから!」

 そうして再び駆けていった。芽衣はもう振り返らなかった。

「あの大口……まるでヨッシーそのものね。もーう……相変わらず『天使ちゃん』なんだから」

 ゆっくりと立ち上がるエニーは腕を組み、フフフと首を傾げる。

「だね。集中世界にダイブするのも特段早い。あれは才能だ」

「メイには、世界を軽く舞える特別な羽根が生えてるのね」

 サムもその横へ立ち並び、チラリとエニーへ口角を上げた。

「それじゃ、我々の天使ちゃんのお言葉どおり、魅せられちゃいましょうかね」

「そうね。YOSSY the CLOWNの魔力を血で継ぐ子の、お手並み拝見ね」




「緊張するねー……」

「間違えちゃったらどうしよう!」

「大丈夫! これは先生の居ない練習と同じだよ!」

「芽衣ちゃん!」

「遅くなってごめんね、みんな!」

「ううん、オニイサンとオネエサンに会うの二ヶ月ぶりだったんでしょ?」

「これで『あけぼのの踊り』全員揃ったね」

「ソリストがいないまま、どうやって舞台に出たらいいのかって話してたところだよ」

「ふふ、ごめんね。……ねぇみんな、先生にあれだけビシビシやられてきたでしょ? だからもう充分上手だし、今日は素敵に踊れると思わない?」

「フフフっ、芽衣ちゃんにそう言われるとほんとにそんな気がするよね」

「わかるわかる! だから芽衣ちゃん待ってたし、芽衣ちゃんがソリストやるのとってもいいよね!」

「みんながいるから、芽衣も頑張れるんだよ!」

「ああっ、ねぇ、曲終わるぅー……!」

「よーし。みんな笑顔で、軽くて楽しい時間を観てもらおう!」




「芽衣、次だっけ?」

「そうよ、あーあこっちが緊張しちゃう……。あの子ソリストよ?」

「ホント大抜擢だなぁ、何度聞いてもこっちが心踊る」

「舞台に強いところはあなたに似たんだなって、つくづく感じてる」

「またまた。芽衣はまっすぐ真面目に頑張るからだよ、キミに似てる」

 やがて拍手が止み、フッと壇上のライトが濃い紫色へ変わる。


 まるで夜明けのファンファーレのようなパーッ、という管楽器の音が三つ重なる。次いでポロン、ポロン、ポロンとハープの音色で上手から一人駈けてきた。

 一人、また一人と上手かみてから計四名が舞い出で、壇上で斜め一列を成す。そしてポーズを決めピタリと揃う。

 右腕のみを上げる『アン・オー』の形を取り、細かな足捌きの『パドブレ』で舞台の中心へ移動。そこで四人で円を描く。同時に上手から一人、ゆったりと歩き出でる。それが芽衣であった。

「きた、芽衣っ」

 ぐ、と善一は思わず身を乗り出すように、背もたれからその背を外す。

 曲調がそこで一転すると、壇上のライトも、パッと明るいオレンジや黄味の暖色へ変わった。

 まるで妖精が飛んで跳ねるような軽やかな曲調。合わせるように芽衣らも跳ねる、回るを重ねてゆく。

 芽衣らは『曙の踊り』の役どころである。

 曙とは朝陽の昇る頃の事を指し、このコッペリア第三幕で言うならば『結婚への期待感、未来への飛躍』などを連想させ象徴している。

 芽衣の晴れやかな笑顔、伸びた首筋や背筋、絶えず集中力を注いでいる手先足先、そして柔らかな着地と膝のバネ。全てが、九才とは思えないほどの完成度である。

「なんて楽しそうなの……」

 独り言として呟いたそれに、蜜葉自らの心が震えた。

 芽衣が楽しそうに踊り跳ねる様を視界に捉える他の四人は、彼女につられより楽しそうに華やいでゆく。芽衣もまたそうして華やかに回る。

 クライマックスへさしかかると、九才には広いくらいの舞台をいっぱいに使い、片足でクルリとコマのように回る『ピルエット』を二度重ね、合間を『パドブレ』で繋ぐ。そうして広く一周し終わる直前に、両足をつま先立ちにしたまま進行方向へクルクルクルと回って行く『シェネ』。繋ぐという意味の『シェネ』は、真っ直ぐに進行方向へ向かうため子どもにはやや難しく、『ピルエット』よりも上手く首を使わねば簡単に目が回ってしまう。

 しかし芽衣の『シェネ』は、実に速く細かく美しかった。

「……あんなに……」

 蜜葉は愛娘の『シェネ』の繊細さに胸打たれ、知らぬ間に涙が伝った。自らがバレエを習っていた頃、ここまで出来たであろうかと震えた。

 下手側で止まり、ジャン、の音でポーズ。曲も見事に合致し、『曙の踊り』は終わった。


「Braaavo!」

 舞台袖から発せられたその一声にワンテンポ遅れたが、ワッとあっという間に会場は拍手に包まれた。

 子どもの、それもバレエ教室の小さな発表会で「ブラボー」と飛ぶことはほぼない。

 壇上では芽衣を中心に、五人横一列で並び立ち丁寧なお辞儀で締め括る。再び顔を上げた芽衣は、客席にて誰よりも大きく拍手をする父母を見つけた。

(ああ、よかった……! 喜んでもらえてる!)

 なんて嬉しそうなのだろう、と胸の奥がジンとした芽衣は、一層晴れやかに微笑んでみせた。うんうん、と客席で頷く父・善一へ今すぐに駆け寄り抱き付きたいと思った。

 そんな惜しむ気持ちを残しつつも、次に『祈りの踊り』が控えているため、五人は駈け足で下手へと引っ込んでいった。

「あれ……泣いてんの?」

 客席の善一は拍手をする手を徐々に止め、隣の蜜葉へ視線を向ける。滲む涙を拭う蜜葉はスンとひとつ鼻を啜った。

「ダメだわ、最近涙腺弱くて」

「親になると、みんなそうなるよ」

「……なんかね、私のデザインを芽衣が着て踊るなんてと思ったら……。しかも、あんなキラキラして」

「ハハ……公私共に感極まったのか。でもまだ終わってないよ、舞台」

「もちろん。『祈り』の衣装も素敵に作ったの。きちんと見てあげなきゃね」




「もうサム! 舞台袖なんだから大声出しちゃダメでしょ!」

「なんだよ、エニーだって袖口ギリギリから観てたじゃんか。あれ角度によっちゃ客席から見えるんだよ」

「だって! メイのキラキラを一身に浴びたいじゃない! なんのために急いだのよ?」

「もちろんボクもそうだよ。そんで、称賛したいからブラボーを贈っただけ。エニーだって言いかけてたクセに」

「き、客席だったら……きちんと言ってたわ! メイもみんなも輝いてたんだもの」

「じゃあ、ひとまず……来るべき『コーダ』に備えて客席に行きませんか、エニーさん。今度は遠慮なくブラボーを言えるように」

「まぁ……そうね。まだ最後の締めの一幕が残ってるんだった」

「『コーダ』は全員が出てきて、お客さんにありがとうの気持ちで舞うから最高に舞台が盛り上がる──んでしょ?」

「もう、サム……よく六才のアタシが言ったこと覚えてるわね。……恥ずかしいくらいに」

「あの頃があったから、ボクもエニーも今こうして世界へ飛べるんだ。ヨッシーと出逢ってからは、いろんなこと忘れてない」

「メイにもあんな風な経験、してもらいたいよね」




 主役を勤めたスワニルダ役の彼女は、この舞台の後にバレエ教室を卒業する。いわば卒業講演となったに等しい。

 彼女は贔屓ひいき目に見ても、桁違いに巧いだとか演者としてとてつもなく素晴らしいとは言い難かった。しかし、最後の晴れ舞台としては特別なものになったことは誰しもがわかった。

 幕袖から、目一杯楽しそうに踊るスワニルダを眺め、芽衣は安堵したように微笑む。

「やっぱり将来、舞台のお仕事したいな。演者じゃなくても、裏方でも……ウチの家族みたいに舞台に関わるお仕事が出来たらいいな!」

 スワニルダ役の彼女が満面の笑みで観客席へお辞儀をする。丁寧に、ゆっくりと、まるで「ありがとう、本当にありがとう」と何度も繰り返し噛みしめているかのように。

 その雄弁な背に胸が詰まる。感極まったように鼻の奥がジンとした。スワニルダの姿がまるで自らの事のように感じ、芽衣は涙ぐみそうになった。

「芽衣ちゃん! そろそろコーダの準備だよ、上手かみて行こう!」

 友人から声をかけられ、彼女へ振り返る。

「うんっ!」

 昂った感情のせいか、つい彼女の手を握った。彼女も微笑み握り返す。

 そうして、舞台裏を走って行く。コツコツという音が極力鳴らないように、キラキラのトウシューズに気を配る。

 どこからともなく白い羽根が、芽衣の後ろへふわりと舞い落ちた。これは本当に天使の羽根なのかもしれない。彼女の背のみならず、輝く人には皆一様に、何かしらの羽根があるのかもしれない。


 キラキラの魔法は、そうして笑顔になって繋がってゆく。

 きっと、ずっと。



  happy birthday to ODEO's CEO.



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