終わりなき性のドミノ

 サメは交尾しながら噛みつくという。人間のそれにも甘噛みくらいはあるが、噛まれることそれ自体が目的化した主人公と作品には初めてお目にかかった。
 本作では世間並み(陳腐な表現で恐縮である)な性欲の持ち主になればなるほど一方的に割を喰わされる構造になっている。ただ主人公を観察していると、咀嚼(そしゃく)に近い行為はされても嚥下(えんげ)はされていない。精々同棲相手に血をなめられたくらいだろう。どのみち精神にせよ肉体にせよ、人が一度に頬張れる量には限界がある。嚥下しないのなら尚更だ。噛みつくという行為はまた、する側がされる側を固定するという一面もある。少なくともされる側の肉体の一部はする側に取り込まれ一体化する。にもかかわらず、主人公の同棲相手は飛べない羽虫を監禁するがごとき意識で主人公に接していた。その意味で、いずれ主人公と同棲相手はああした結末にならざるを得ない。それでいて、主人公の友人の相手とは腐れ縁が続きそうな予感もする。今更主人公の娼婦性だの処女性だのを云々しても始まらないが、無残な最期を遂げた主人公の父親を鑑みるに、主人公は噛まれるという作為によって父親の姿の修復を試みていたのだろうか。
 いずれにせよ、純文学の様式美という名の壁に完璧な歯形を残したご作品だった。