■10 饗宴都市

 ***


 トウキョウという都市まちは、いわばひとつの国家だ。かつてとあるリコリスが国家を相手取り、自身の異常性を見せつけて都市を人質にした。日本の首都・東京――二十三区ごと奪い取るという暴挙が成立した背景は、もはや誰にもわからない。死人に口なしというやつだ。

 束の間の支配は数十年に及んだ。原初のリコリスと呼ばれた魔性の女が撃たれたのは、皮肉にも彼女が支配のために使っていた道具だった。デーヴィスと名付けられた機械人形は内部に銃を搭載しており、それが使用者の心臓を穿ったという。そこにいたるまでにレジスタンスだのさまざまな出来事があったというが、他人にとって大切なのは結果のみだ。


 原初のリコリスは死に、トウキョウは奪われる。支配者の消えた都市を、国家は取り戻そうと混乱に乗じて動くだろう。そのとき、リコリスという怪物をどのように扱うか。それはまだ定まっていない。


「あの妄想メルヘン女、本気でマダムに取って代わるつもり?」


 ケラケラと笑いながらドロシーは身支度を始める。今晩の寝床はかなり上等だった。寂れたワンルームマンションの一角ではあったが扉も閉まるし窓にもガラスが入っている。水道は機能しないが水を汲んでくれば洗面台を使うことはできた。使い捨ての宿と思えばどうということはない。

 今日はだ。うっすらピンクに色づいたブラウスと、ひときわ際どい丈のミニスカート。チェック柄のそれはドロシーのお気に入りだ。短すぎると里砂から「はしたない」と怒られるので、黒いタイツを履いておいた。それで何を誤魔化せるのか、正直ドロシーはよくわかっていない。


「さてね。自分の王国を守ろうと躍起になっているみたいだけど、相手は本物の国だから」


 里砂は珍しく白いカッターシャツを着ていた。下はいつもの黒パンツ。行き先が行き先だから、里砂も里砂なりに特別な思いがこもっているのだろう。恋人も自分も同じようにウキウキしているとわかると、ドロシーは一層上機嫌になった。鼻歌だって歌えそうだ。


「マダムがどんな手段でトウキョウを奪ったのかわからないけれど、あのリコリスに同じことができるとは思えない」

「だよね」


 今、トウキョウは混乱している。武装した勢力が一気に流れて制圧するかと思ったが、向こうはあくまでもを試みるらしい。瑠璃のリコリスこと有栖はマダムの後にトウキョウを統治しようとしているようだが、彼女はデーヴィスをそのまま使えるわけではない。不安定な要素が重なりトウキョウを掌握しきれていない今、外部からの干渉を受けてどこまで維持できるのか。下手をすればリコリスはトウキョウごと存在を抹消されるかもしれない。人智を超えた存在を、人間は受け入れられないものだ。


「ま、願ったり叶ったりだけどね。妄想女にはこのまま外の目を引いててほしいわ」

「楽しみ?」

「もちろん」


 ドロシーの髪を里砂が整える。真っ赤な髪がするりと指を抜けていく。苛烈な色味に反して滑らかな指通り。里砂は満足げに微笑した。


「上出来」

「うん。じゃあ行こっか。あたし待ちきれない」


 淡く色づいた唇にキスを落とす。柔らかい恋人のそれをいとおしく思い、幾度か啄んだ。甘い味がする。それから椿油の香りと。


「ねえ、何に乗ろっか。あたし絶叫系は外したくない」

「ドロシーはジェットコースターとかが好きなの?」

「うん。高いところから落ちて思いっきり叫びたい! でも里砂と一緒ならどこでも好き」

「嬉しいこと言ってくれるわね」

「里砂」


 向かい合う少女は可憐で愛らしい。華やかでくっきりとした目鼻立ち、目を引く炎のような赤い髪。

 ただの少女だ。里砂が愛し、愛されている。


「連れていってあげる。あたしが、どこへでも」

「……ええ。連れていって、ドロシー」


 どこまででも。

 ワンルームマンションを後にする。軋んだ音を立ててドアが閉ざされた。きっともうここへは戻ってこない。ふわりと椿油の香りが漂い、静かに消えていった。

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LycoriTH――リコリス―― 有澤いつき @kz_ordeal

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