■9 血戦

 痛みが。痛みがクロユリを襲う。リコリスは不死身ではないが丈夫ではある。たとえチェーンソーで体内をぐちゃぐちゃに掻き乱されたところで、即死とは限らない。だが、それは死なないことと同義ではない。やり過ぎれば死ぬ。その基準は……個体差がある、と言えばよかろうか。タフな個体もあれば貧弱な個体もある。クロユリと烈火のリコリスは、果たしてどちらがより強靭か。


「比べるまでも、ないッ!」


 クロユリは叫んでいた。ぼとぼとと血の塊を滴らせながら、それでも叫んでいた。一体となった狂暴な腕を烈火のリコリスにぶちこむ。盛大に吐血し苦悶の顔を浮かべる少女を見て、クロユリは酷薄な笑みを作った。


「お前と、私と! どちらが、先に倒れるか……など!」


 お前に決まっている。惰弱で脆く快楽に耽る少女。恋を知り愛に溺れ夢を語るリコリスは、刀の道を修めてなどいないだろう。体つきだって違う。丈の短いスカートから伸びた脚は筋肉で引き締まってなどいなかった。まろやかな曲線と肉感的な体躯。太くはないが鍛えてはいない。そんな身体と、武道を進んだクロユリと。お話にもならないはずだ。

 だのに、どうして烈火のリコリスは笑っている。


「やっと、なったじゃない」


 意味がわからなかった。互いに得物を腹に差して、失血しながら笑いあっている。苦しいし辛いし、しかし同時に早く相手を終わらせたくもある。こんな無様なやり取りがあってたまるかとクロユリは一蹴したかった。それでも、できない。燃え盛る火炎の髪を揺らめかせ、烈火のリコリスは挑発的に言った。白い牙がしっかりと見えた。


「あたしを殺したくてたまらないって顔、してるわ」

「……ああ」


 認めよう、とクロユリは呟いた。漆黒の瞳には確かに鋭い光が宿っている。この腕も、脚も、潰された心臓も、いじられた脳でさえ、クロユリの本能を忘れることはできない。

 彼女の本能は挑むことだ。


「倒れないお前を、私は倒したいころしたい


 ――守りたいものが、あったわけではない。ただ快楽のままに殺し、味わい、それをリコリスの本能と理解していた。リコリスは理性の機能しない生命体だ。人間の血をすすり、特に男のソレを馳走と心得る。日々の食事とは消耗だ。欠けていくそれを補填する。そして干からびた肉塊を放棄する。毎日とはそれの繰り返しで、悲鳴というものに喜びを見出だすのが、強いていえば自身の特徴だった。

 日本刀を携えた少女はドロシーとは異なる。ドロシーは趣味アマチュアでクロユリは職人プロフェッショナルだ。この目まぐるしい数週間の出会いでドロシーの技量が劇的に向上したことはあり得ない。あまりにも、その期間は短く……そして、濃く。


(高尚な言葉を使うつもりはない)


 快楽が己を突き動かす。背中にいる彼女が笑ってくれる。トウキョウという閉鎖的で支配的な檻の中で、ドロシーは運命に出会ったのだ。いかに狭いとはいえ都市で、ちっぽけな大きさの生き物が遭遇する。それはきっと奇跡なのだと、ドロシーは信じている。


「あたし、だってね!」


 めり込んだチェーンソー。いまだ腹の中で回転を続ける凶器を、ドロシーは一思いに横に振るった。骨すら裂いて進むには強い筋力を要求される。腕にビリビリと伝わる抵抗が、クロユリの意思そのものみたいに感じられた。


「グゥぅうう! っの、わたし、はああああッ!」


 ドロシーを貫いた日本刀もまた、ドロシーの腹を二つに割ろうと動かされる。傷口が開く。広がる。周囲は血の池地獄と変質していた。ただの根比べだ。命をかけた、技術など関係ない、命を削ぎ落とす戦い。意地と意地がぶつかり合うのなら、最後に勝敗を決めるのは――


「ドロシー!!」


 ……そう、というやつだろう。


 里砂の叫びが聞こえたから、ドロシーが歯を食いしばって笑う。好きな人の前ではいいところを見せたいものだ。それが男だろうと女だろうと、人間でもリコリスでも変わらぬ思考。すでに目が霞みはじめているが、ここで先にくたばるなど己の意地が許さない。チェーンソーがゴリゴリと音を立てて侵食していく。その刃先が脇腹を飛び出して、一気に赤い華が噴きあがった。

 クロユリの身体がぐらりと傾く。口から血の華が零れた。


「……烈火、の……」


 リコリス。

 クロユリの意識が薄れていく。リコリスは丈夫だ、だが血を失えばいずれ死ぬ。クロユリは今がそのラインを越えた瞬間だとわかっていた。手足に力が入らない。心眼もぼやけ、真っ暗闇が視界を覆い尽くす。なのだと知った。


「……おじい、さま」


 黒百合が離れていく。何かを求めいた声が、静かに響いた。


 ***


 何があった?

 崩れ落ちた身体はスローモーションのようだ。マダムは今起こったことを理解できないまま、脱力した己の身体を見ていた。構えていたはずだ。拳銃は至近距離、瑠璃のリコリス目掛けて外さないわけがない。だというのに放つ前に自身の身体が大きく揺らぎ、弾丸は天井にめり込んだ。


「なん、……?」


 視界にちらつく赤い液体。それは瑠璃のリコリスのものであるはずだった。まとった赤いライダースジャケットよりも鮮やかな色をしている。これは、血液か。誰が。では誰が血を流している。


「っが、嘘、嘘嘘嘘嘘嘘嘘!」


 膝をつく。止まらない。溢れていく赤い血は自分の胸から垂れ落ちていた。


「私、私が撃たれるはずっ……!」


 瑠璃のリコリスの銃口から硝煙はあがっていない。マダムがグリップを握った拳銃は凶弾を放ったというのに、だ。マダムを撃つ相手は瑠璃のリコリスしかいない。しかしマダムは撃たれ、血を流して膝をついている。横になった方が楽だがそうしたくはなかった。何もわからないまま撃たれ落ちるなどあってはならない。眦をあげてマダムは糾弾する。


「誰!? 嘘よ、だってあなたが撃つ前に」

「飼い犬に手を噛まれる」


 対峙する瑠璃のリコリスが、ぽつりと言った。その瞳には僅かな憐れみが見てとれる。マダムはそれを、侮蔑と受け止めた。


「あなた、それを知っていて?」

「……私を、バカに、しているの」


 先刻自身が言った言葉だ、忘れるはずもない。そして弾丸が放たれ、瑠璃のリコリスは死ぬはずだった。では誰が。


 ――視界に燻る火薬の痕跡あとに、マダムは静かに目を剥いた。

 何を隠そう、マダムにその銃口を向けていたのは……あの、変わり者のデーヴィスだったのだから。


「お前、が」

『考えろと、マダムは言いました』


 何故。道具であれば意志を持つことはないのだ。それをこいつは例外で、どういうわけか思考することに深い興味を覚えていたようだから。マダムはそれを面白く思ったのだ。故にそう……手を、かけすぎたのかもしれない。とんだお笑い草だ。マダムにはデーヴィスの思考がまったく読めない。何をどう考えたら、自分の主人を撃とうなどと考えるのか。乾いた笑いが喉を震わせた。


「本当に、度しがたい」


 椿が落ちる。

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