第19話 稲荷の神様、高槻さおりの力を妹に移行する儀式を執り行う
木曜日の早朝、ぼく
神様は、
みつきはこの罰を自ら望んで受け入れ、そのことに高槻も妹に深く感謝した。
ぼくは神様と高槻姉妹とのやりとりを聴いていて、ふと気になることがあった。
これは果たして言っていいことなのだろうか、一瞬ためらったものの、思い切って言ってみることにした。
「神様、ひとつだけ、お尋ねしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
神様は、こう答えた。
「よかろう。申してみるがよい」
そこでぼくは、言葉をひとつひとつ選ぶようにして、話し始めた。
「ええと、これまでさおりさんに与えられていた読心の能力は、彼女から消えて、これからはしばらくみつきさんが持つことになるわけですよね……」
「然りじゃ」
「実は、さおりさんのその能力は、ぼくとぼくの友人である
つまり、例外的に、ぼくたちふたりの心はさおりさんには読むことが出来なかったのです」
「
「そうですか。やはりご存じでしたか。
それでですが、今後その力がみつきさんに移ることになるとですね、みつきさんはぼくや榛原の心を読むことが出来るのでしょうか。
それとも、これまでと同じように、ぼくと榛原にだけはその力は効かないものなのでしょうか」
「うむ、そは
然らば、申そう。みつきにおきても、読心の力は汝や榛原マサルの心を読むこと、
「そうですか。
お答え、ありがとうございます、神様」
神様の答えに、ぼくはそのように謝辞を述べた。
実は、先ほどの神様の話を聞いて、テレパス能力の移動の結果、万が一みつきにぼくや榛原の本心を知られてしまうようになったら、これまで進めて来た話のウソがばれてしまう。そうなったらどうしようという不安が湧いていたのだ。
だが、いまの神様の答えを聞いたことで、その心配はなくなった。
正直、かなり気が楽になったのだが、これからいろいろ大変な思いをすることになったみつきを前に、喜びの感情をあらわにするのも申し訳ない気がしたので、つとめてシンプルな返事にしておいた。
ただ、もうひとつの疑問、というかいまの答えからほぼ必然的に導かれるであろうことをぼくは確かめたくなってしまった。
「神様、申し訳ありません、もうちょっとお聞きしてよろしいですか」
「何かの。申せ」
「もしかして、ぼくの心がさおりさんに、そして今後はみつきさんもそうでしょうが、読めないというのは、ぼくの神使としての資質によるものということなのでしょうか?」
すぐに、神様の答えが返ってきた。
「いかにもその通りじゃ。読心の力は、神使同士には一切効かぬ。
神使の心は、見えざる壁のごとき物にて覆われておる。
ゆえに、仮に汝が読心の力を得ても、高槻姉妹、あるいは汝の姉の心を読むことはできぬ。
これにて、納得いたしたか?」
そうか、そういうことだったんだな。あらかじめぼくが神使としての資質を備えていたから、初めて高槻がぼくと会ったときにも、心を読むことが出来なかったのだ。
「はい、納得がいきました。
それで、もうひとつだけお聞きしたいのですが、榛原も同じ理由でさおりさんらが心を読めないのでしょうか?」
ぼくがその最後の質問をすると、だいぶん沈黙があった。
しばらくして、神様は声を発した。
「汝の友、榛原マサルにつきては、我はかねてより
ゆえに、読心の力能わざるゆえんも、我には分からぬ。
思うに彼は、人ならざるものやも知れぬ」
なんと、全知全能だとばかり思っていた稲荷の神様にも榛原の正体は不明で、読心の力が無効な理由もわからないって、どーゆーこと?
ぼくも、さすがに混乱してしまった。
「神様、人以外のものって、
「
我の知る人ならざるものの、いずれにも似ぬものなり」
やれやれ、神様の守備範囲ってことかよ!
もう、考えられるのはロボットみたいな無機物、アンドロイドみたいな人工の生命体ぐらいしか考えられないけど、SF小説じゃあるまいし、まさかそんなことあり得ないよなー(笑)。
四年間、ずっと榛原と学校で一緒だったぼくも、彼がそんなトンデモな存在とは思いもしなかった。
おそるべし、榛原。
この件は、あまり深く考えないようにしておこう、ぼくはそう思った。
そして、ぼくは神様の答えに対して、改めてお礼の言葉を伝えた。
「ありがとうございます。榛原については、そういうひとなんだと思うようにします。
なにより彼は、ぼくの大切な友です。
たとえどのような秘密の事情があろうとも、そのことに変わりはありませんから」
神様もひとこと「うむ」とその言葉に同意してくれたのだった。
その後神様は、先ほどからその場にいる、ぼくたちは見知らぬひとりの女性に声をかけて、顔を他のみんなに見せるよう命じた。
「きつこよ、
「はっ」
きつこという名前らしい、初めてその顔貌を露わにした女性は、年の頃なら十六、七、つまりぼくたち神使四人とだいたい同じぐらいの面立ちだった。
細面で、切れ長の目が涼しい印象を与える、なかなか美しい女性だった。
北方系の、異国のひとのようでもあった。
がしかし、明らかに「ひと」ではない、そうぼくは直感した。
なぜなら、その頭の左右には、薄茶色の毛に覆われて先の尖った獣の耳が、にょっきりと生えていたからだ。
先ほどまでは、髪の中に隠していたから気づかなかったのだろうが、こうして見ると紛れもないケモ耳、それもイヌ科の耳だった。
きつこと呼ばれた彼女は、他の四人に軽く会釈をして、こう名乗った。
「わらわは、この
と、神様同様、古くさい言葉で話し始めたが、いきなり口調が変わった。
「なーんて、神様に従って堅苦しい言葉遣いしちゃったけど、ぶっちゃけた話、ボクこういうの苦手なんだよねー。
固いこと抜きでいこう。みんなとは、たぶん仲良くなれると思うよ」
ズルッ。なんと、現代語バリバリのボクっ
ぼくたち四人が全員ズッコけていると、神様が咳払いをして、こうたしなめた。
「きつこ、せめてわが前では言葉遣いに心置くべし。
が、ひとの
まっこと、嘆かわしや」
神様にそう言われて、きつこは舌をペロッと出してぼくたちに目配せをした。
神様が続けて、こう語った。
「きつこは日ごろは台町をおさむるものなれど、このたび汝ら
きつこ、これよりはひとのかたちをなして窓居圭太、高槻さおりと同じ学校にて、日々を共に過ごすべし」
「神様、合点承知の
「これこれ、図に乗りおって」
漫才のようなやり取りに、ぼくたちも思わず頬がほころんでしまう。いいキャラしてるな、きつこ。
さらには、お近づきのしるしとばかり、ぼく、高槻、みつき、しのぶの順に軽くハグをして回ったのだった。
こんなフレンドリーなあやかし、普通にいるもんなの? 犬属性だから?
神様の仰せでは、彼女が近いうちに人間のふりをして池高に転入して来るそうだが、目付、つまり監視役といっても、脳天気キャラなきつこなら、監視の目はさほどきびしくはなさそうだ。
神様よりはずっと話がしやすいに違いない。
それにぼくたち四人は、なんのかんの言ってもしょせん生身の人間だ。見た目はぼくたちのような十代でも、おそらく何十年、何百年も神使をやってきたであろうきつこのほうが、間違いなく経験豊富だろうし、いろいろ相談にのってもらえると思う。大いに歓迎したい。
神様はきつこを紹介した後に、こう言った。
「さて、これより、高槻さおりの力を妹みつきに移す儀をとり行う。
ふたりは、車座の中心に
神様の指示通り、高槻姉妹は向かい合いに座り、目を閉じて待った。
明け方のような薄明かりの中、呪文とも声明ともつかない、神様の低いつぶやきがしばらく続いたかと思うと、にわかに周りが明るくなり、そして一瞬、
さおり、みつきのふたりは、音もなく地面に崩れ落ちた。
同時に、ぼくや姉の意識も途絶えたのだった。
⌘ ⌘ ⌘
気がつくと、朝だった。
ぼくは寝床の中で、「すべて終わったんだな」と思った。
とはいえ、厳密に言うとみつきの贖罪がこれから始まるので、すべてが「解決」したとは言いづらいんだけどね。
でもまあ、終わりは終わりだ。そう考えて、前に進むべきなんだろう。
顔を洗ってからダイニングルームに入っていくと、エプロン姿のお姉ちゃんが、朝食の配膳をしているところだった。
ぼくは彼女に声をかけた。
「おはよう、お姉ちゃん。高槻さんたちの件、なんとか終わったね」
「うん、そうだね。妹ちゃんが自らあの力を引き継いだというのは、びっくりしちゃったけど。大丈夫かしら」
「うーん、たしかに。これから当分、男性と知り合っても、付き合うことは難しいかもしれない」
「お姉ちゃんとしては、けーくんに合うのは、おっとり美人なさおりちゃんより、活発なみつきちゃんのほうだと思っていたの。だから、今回のことはけっこう残念だったわ」
みつきよりぼくのことが気がかりとか、お姉ちゃん、なんとなく心配のポイントがずれている気もするけど、まあいいか。
実際にはみつきは、読心の力うんぬんとは関係なしにもともと重度の男性アレルギーだから、当分リアルな男女交際は無理だと思う。
でもいいじゃない。みんなが焦って彼氏彼女を作る中、何年か遅れて自分のペースでスタートしても。
……って、これ、ぼく自身のことでもあるのかもしれないな。
どう考えてもいまのぼくと、いまのみつきが恋人同士にはなれないだろうが、数年後はお互いに変化しているだろうし、そうしたら、付き合うこともあるのかもな。
「ふーん、お姉ちゃんから見たら、ぼくに合うのはみつきちゃんのほうなんだ。なぜそう思うの?」
お姉ちゃんは自信たっぷりの表情で、こう答えたのだ。
「けーくんは間違いなく、自分からは動かない【受け】のキャラだからね。
相手が【攻め】キャラでないと、恋愛は百年待っても始まらないわよ」
その理論、もしかしてBL好きのみつき譲り? なんかいろいろ悪影響が出ているような……。
とりあえず、いつもの出発の時刻が近づいてきたので、ぼくは急いで朝食を取った。
というのは、高槻姉妹の問題が解決したいましがたの夢のことを、時間の余裕もなかったのでぼくは榛原には伝えていない。
けさも彼は高槻を迎えに行くに違いないから、ぼくも一緒に行かざるを得ない。
たぶんこれが、高槻邸に日参するおつとめの最後かなと思いながら、ぼくは本町駅までの道のりを急いだのだった。(続く)
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