それでもこの冷えた手が
宇部 松清
北国の2人
「
ほんの数分だからと上着も何も着ないで、彼は玄関へと行ってしまった。
目的は、空になった灯油ストーブのタンクの中に、玄関に置いてあるポリタンクから灯油を移し入れることだ。
「そりゃ
「
ポリタンクの上に置いてある滑り止め付きの軍手は、もう灯油の臭いが沁み込んでいる。さんざんに冷えたそれに手を入れると、
「何もこったらどこで待つこたぁねぇって。部屋ン中さ入って待ってりゃ良いべな」
「んだども、ハルだけ
「俺はいんだって、ほら、入れ入れ」
「やんだね、ここで待つ」
「ごうじょっぱりだな、おめぇは」
「んだ」
ヴィィィィ、と電池式の灯油ポンプがタンクから灯油を吸い上げる。これを見つけた時は「
「ほら、もう満タンなったから、入れ」
「ハルも行こ」
「もちろん俺も行ぐや」
その手を取ろうとすると、彼は「止めれ止めれ」と言って、私の手を避けた。
「いま俺の手、
なんておどけた声を上げて。
「んだば、洗ってからだば良いな?」
「んだ、洗ってからだば、なんぼでも良い」
と、彼は照れたように笑うのだ。
そうして、ストーブにタンクをセットし、スイッチを入れる。最近のストーブは点火も早い。ふわりと灯油臭さが漂ったが、すぐに温風が流れ込んで来た。
「洗っても油の臭いって落ちねぇなぁ」
自身の手をくんくんと嗅ぎながら、ハルが戻って来る。
「ちゃんと石鹸つけた?」
「つけたつけた。だどもとれね」
「そいだば仕方ねぇんだ」
「んだな」
ハルはカカカ、と笑って、ストーブの前にしゃがみ込んだ。そして、冷えた手を温めるように温風に当てている。その手を取ると、もう充分に温かくなっている。それが悔しい。
「なしてハルの手だばすぐに
「それはほら……アレよ、心が
「そういうのは逆だって良く言うべな。手が
悔し紛れにそう言うと、
「そいだば、アレだな。
なんて言って酷い冷え性の私の手をぎゅっと握るのだ。
ハルの手は温かい。というか、温かいのは手だけじゃない。足だって、いまも裸足で冷たい床の上を歩いてきた癖に、靴下を重ね履きしている私の足よりも温かい。
それでいて、私がその冷えに冷えた足を意地悪心でくっつけても、文句のひとつも言わない。
「……いつもごめん」
「何がよ」
「ハルばっかり灯油入れさせて。ここ、私の部屋なのに」
「関係ねぇって。俺だって
「んだども」
「柚香は
「んだども!」
「まんず落ち着け。いんだって。俺はほら、すーぐ温まらんだから、な?」
「うう……」
「柚香どこ温めてやっから」
と、私をすっぽりと包んでしまう。
肌触りの良いフリースの部屋着越しに伝わる彼の体温はやはりちょっと高い。
「なしてハルはそっだに温けぇんだぁ! ちっくしょー!」
「ふはは。人間湯たんぽと呼べ!」
「ちくしょー! 温けぇ! 肌触りも良い! 勝てる気がしねぇ!」
「だぁっはっは! 俺のぬくぬくゾーンに入ったが最後! ここから抜け出すことは不可能!」
「ぐうう……」
完敗だ、毎度毎度のことながら。
彼の温かさにも、優しさにも。
彼の胸の中で丸まっていると、あんなに冷えていた自分の手がぬくぬくと温まっていることに気付く。
「ハル、もう大丈夫だよ。手ェ
「んぉ? んだか? せば次はどこ
「……いまやらしいこと考えてらべ?」
「えぇ?! まさかまさか。ただ、このまま布団さ入ればもっと
「そいだ! 馬鹿たれぇ!」
いつもこうじゃれ合って、私達はこの厳しい季節を過ごすのだ。
だから――、
2人の距離がうんと近付くこの冬も、
ハルがいるなら、この冷えた手も、
案外悪くない、なんて思う。
それでもこの冷えた手が 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa
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