吸血鬼文明開化覚書

平中なごん

吸血鬼文明開化覚書(ぶぁんぱいあぶんめいかいかおぼえがき)

 え~皆さんは「飛頭蛮ひとうばん」ってもんをご存じですかねえ? 


〝飛ぶ頭〟に〝野蛮の蛮〟って書いて飛頭蛮なんですが……。


 ほうほう。こうやって客席を見回してみますと、さすが皆さん、やっぱり学がねえと見えまして、なんだか聞き覚えのねえ言葉だなって顔をした人ばかりでございますねえ。


 でも皆さん、この言葉は知らずとも、その言葉の示すモノ自体は誰でも知っているはずございますよ?


 飛頭蛮というのはですね、俗に云う「ろくろ首」のことなんでございます。


 夜な夜な若い娘の生っ白い首がこう、にゅ~と一間も二間も伸びる、あれでございますね。


 この日本国じゃあ、河童、天狗の次くらいに有名なおなじみの妖怪です。


 おばけ屋敷や今は懐かしい見世物小屋なんかでもよく興業に出てましたから、ガキの頃に見たなんていう方も中にはいらっしゃるかもしれませんね。


 そんじゃあ、飛頭蛮なんて小難しい言葉を使わず、最初からろくろ首って言やあいいじゃねえかって話なんですが、この「ろくろ首」またの名を「飛頭蛮」、よく知られているのは首が長く伸びるものですが、飛ぶ頭と書くだけあって、実は首が胴体から抜け出て宙を飛びまわるってのもいるんでございます。


 しかも、こっちの首が抜けるっていう話の方が意外や多かったりなんかする。


 そこで「抜け首」…なんて名前も付けられております。


 有名なのはかの小泉八雲の『怪談』に出てくるものですね。


 旅の僧が甲斐国の山中で樵の家に泊めてもらったところ、なんと、その樵の家の者はみんな飛頭蛮で、寝ている僧を食おうとなんかしたもんだから、僧が逆に〝首が抜け出た後の胴体〟の方を隠して退治しちまったって話です。


 ああ、こいつはなんでも首が抜けてる間に胴体を別の場所に移されると飛頭蛮は死ぬっていう俗信があるそうなんですな。


 ま、普通の人間でしたら、首が胴から離れた時点で当然、おっ死んじまいやすからね。


 本当にそんな生き物がいるのかどうかはわからねえところでございますが、江戸時代の随筆なんかには、どこそこのお女中や下男がろくろ首で、夜になると首が抜け出て彷徨うからってんで、お暇を出されたなんて話がさも日常の出来事のように書かれております。


 これなんかは別になんの悪さをするでもなく、ただ気味が悪いというだけで、妖怪というより一種の変な病として見られてたようですね。


 現代風に云ったら「飛頭蛮症候群」ってやつでしょうか?


 横文字で言やあ「ヒトウバン・シンドローム」ですな。


 また、この首が抜ける「ろくろ首」ってのは日本だけにいるわけじゃなく、『三才図会』や『南方異物志』なんていう古い中国の事典を見ますと、中国やヒマラヤの山麓、ジャワなんぞにも住んでいたようなんです。


 中にはこう、首が空を飛ぶ時、耳をばたばたと羽ばたかせて飛ぶなんてえのもあります……


 ダンボの親戚ですかねえ?


 おまけに夜、首だけで飛び出しては虫を捕らえて食べ、暁になると戻って来るってんだから、蝙蝠みたいな連中です。


 ああ、蝙蝠といえば、小泉八雲の『怪談』に出てくる奴らみてえに夜になると人間を襲っては血や精気を吸い取るなんていうのもいたもんですから、一説に西洋で云う所の「吸血鬼――ヴァンパイア」に当たるなんてことも言われたりなんかもしてるんでございますよ。


 さて、今宵お話しいたしますのは、この飛頭蛮達が海の彼方に「ヴァンパイア」なるお仲間がいることを初めて知った、「明治」という新しい世を迎えようとしていた頃のお話にございます。


え~東京両国はなめくじ長屋に住む八っつぁんと熊さんは、一見、なんの取柄もない、どこにでもいるフツーの人間のように見えるんでございますが、実のところこの二人、先刻より話に出ております「飛頭蛮」なんでございます。


 ま、飛頭蛮っつっても、夜になると首が無意識に抜け出しちまうっていう、ただそれだけで、他に何か妖術が使えるだとか、狐や狸のように何かに化けれるかってえとそんなわけでもなく、やっぱりなんの取柄もないことに変わりはないんですがね。


 ただこの二人。


 飛頭蛮としての誇りは人一倍…いや、飛頭蛮一倍強く持ってているらしく、この新しい明治の世の中にどう近代的な飛頭蛮であろうかと、抜けるばかりか、少しばかり〝抜けてもいる〟頭で考えているようでございます。


「おい、熊公。ご維新いっしんで徳川様の世も終わり、この日本国も早く異国に追いつけ追い越せってんで、世間じゃ文明開化の大騒ぎだ。俺達もあちらのバンパイーヤとかいうお仲間みてえに粋に振舞わねえといけねえな」


「なんだい八っつぁん、そのバンパイーヤとかいうのは?」


「なんだ熊、おめえ知らねえのか? まったくおめえは世の中のことに関しちゃとんと疎えなあ。どうせ新聞も取ってねえんだろ。ええ? これからは新聞くれえ読まなきゃいけねえよ。ま、しょうがねえ。教えてやらあ。あのな、バンパイーヤってのはな、和蘭陀オランダ仏蘭西フランスよりも、もっと欧州の奥の方の国にいる俺達のお仲間のことよ」


「へーそんな遠くにも俺達の仲間がいるのかい? 仲間って言うと、やっぱり首が抜けるのかい? それとも伸びる?」


「いいや、抜けも伸びもしねえよ。あちらのお国では舞踏会とかいう盆踊りみてえな祭を毎夜開くらしいからな。夜だからって、そん時に首が抜け出ちまったら大変だろう? だからよ、首が抜けねえようにってんで、いつも帯で縛りつけてんだ。ほら、おめえも異人が首になんか黒い紐巻いてんのみたことあんだろ?」


「黒い紐?」


「ほら、〝ねくたい〟とかいうあれよ。俺が思うに、ありゃあ、首が抜けねえための帯――即ち〝抜けぬ帯〟が訛ったんだな。ぬけぬたい……ぬけぬたい、ぬけんたい、ぬけたい、ぬくたい、ねくたい……って、ほらな?」


「あぁ! ああ~ぁ…なるほど。あれはそういうもんだったのかい? なんであんな首しまって苦しそうなもんわざわざ巻いてんのかと思ったら、そうか。そうだったのか。んじゃあ、あの時見かけた異人たちはそのバンパイーヤだったのか……でも、首が抜けねえんじゃ、俺達のお仲間って感じがしねえなあ」


「いいんだよ。おめえがそんな気がしなくたって、偉い学のある先生方がそうおっしゃってるんだから。ま、向こうさんも夜な夜な人の血を吸ったりなんかするらしいから、それでお仲間なんだろうよ。それに首は飛ばねえが、蝙蝠に化けて空を飛べるらしいぜ」


「へえー蝙蝠に化けるのかい? 蝙蝠っていやあ、唐の国じゃあ縁起のいい生き物だっていうねえ。ってことは、そのバンパイーヤっていうお仲間も、きっと人の間では縁起がいいっていうんで人気者なのかもしれないね」


「ああ、そうかも知れねえな。ま、俺達よりもハイカラなのには違えねえ。こう洋装なんかも粋に着こなしてな。だからよ。俺達もあちらさんを見習って、異国にも引けを取らねえ文明的な飛頭蛮にならなけりゃあいけねえって話をしてるんだよ」


「ああ、そいつは違えねえ。おいらもハイカラな飛頭蛮になって、最近、『異人さんはお洒落で素敵ね』なんて言っているろくろ首のおろくちゃんに振り向いてもらいたいからなあ……んでも、八っつぁん。それにはどうすりゃいいんだい?」


「ん~そうだなあ。ま、俺達貧乏人にゃあ、値の張る洋装なんかとてもじゃねえが手を出せねえ。てなると、先ずはあちら様を見習って俺達の弱点を変えるってとこからだな」


「弱点? 首が抜けてる間に胴体を隠されちまうことかい? いや~おいらもこの前、近所の悪ガキに胴体を押し入れの中に隠されて危うく死ぬところだったよ」


「違う違う。誰もおめえの間抜けな失敗談なんか聞いちゃいねえんだよ。だからさっきも言った通り、バンパイーヤの首は抜けねえってんだから、そんなもんが弱点なわけねえんだよ。その代わりバンパイーヤにはな、これこいつが死ぬほど苦手だってえもんがいろいろとあるんだ」


「ふーん、苦手なものねえ? というと、どんなもんだい?」


「例えば大蒜ニンニクだな。それから聖水、お天道様、十文字なんかも苦手だそうだ」


「へえ~そうなのかい。八っつぁん詳しいねえ。でも、なんで大蒜が苦手なんだい?」


「そりゃあおめえ、食うと口が臭くなるからに決まってんだろ。口が臭いと嫌われるからな。お寺の門前にだって〝大蒜と酒は入山を禁ずる〟って書いてあらあ。お釈迦様もお説教なさる時、口が臭いと人の傍に寄れなくなるからってんで、坊主に大蒜食うのを禁止したくれえだ」


「ああ、なるほど。さすが異人の飛頭蛮だけあってハイカラだねえ。おいらもおろくちゃんに『口の臭い人とは口吸いできないわ…』なんて言われねえよう気を付けねえといけねえな。んじゃ、次の〝せいすい〟ってのはなんなんだい?」


「聖徳太子の〝聖〟に水って書くんだ。〝ひじり〟って付くくれえだから、高野聖こうやひじりが水売りでもしてる水なんじゃねえか? ま、そんな特別に売ってる水だから、きっと清らかで甘露な水なんだろうよ」


「ふーん。甘露な水ねえ……でも、なんでその水が苦手なんだろうね?」


「そりゃおめえ、泳げねえからに決まってんだろ。おめえだってカナヅチじゃねえか。大家のご隠居なんかな、子供の頃に溺れたのが原因で今でも朝、顔を洗うのが怖いらしいぜ。バンパイーヤはその水をかけられただけで苦しむってんだからよ、よっぽど泳ぎが苦手なのに違えねえ。この先、もしバンパーヤと知り合いにでもなったら、合羽橋にいる河童達を水練の師匠に紹介してやるといいかもしれねえな」


「ああ、そいつはバンパイーヤさん達もきっと喜ぶよ。なるほどねえ……確かにおいらもカナヅチだから、水に顔つけるのはあんまし好きじゃねえしな……じゃ、そん次のお天道様ってのはどうして苦手なんだい?」


「なんだよ。そんなこともわからねえのか。おめえ、さっきから聞いてりゃあ、ぜんぜん頭を使ってねえじゃねえか。俺達の頭は何も抜けて飛ぶだけにあるんじゃねえんだぞ? よーく考えてみろい? お天道様が苦手だってことはだな、つまり夜型人間…いや、夜型バンパイーヤだってことよ。人間だって、朝が苦手で夜になると目が覚める奴がいんだろう? それと同じよ。それにそもそも俺達化け物は昼より夜の方を好むじゃねえか。中には夜しか出てこねえってワガママな奴だっていらあ」


「なるほどぉ。言われてみりゃあ確かにその通りだ。さすがは八っつぁん、抜けるだけでなく頭使ってるねえ……でも、十文字ってのはどうなんだい? これこそよくわからねえが、十文字ってそんなに怖いもんなのかねえ?」


「ん? 十文字か。そいつはほら、薩摩は島津様の紋所だからよ。見たことあんだろ? ほら、島津様の御紋はこう丸を書いた中に十文字だ。ご維新いっしんの立役者、今を時めく島津様だ。俺達だけじゃねえ、人間様だって薩摩の方々には逆らえねえってなもんよ」


「ああ! なるほど。そいつは得心いった…」


 と、そこで熊さん。納得してポンっと手を打った拍子にお尻の方でもブッと一発、大きいやつを思わずかましてしまいます。


「くあぁ~っ! ……臭っせえなあ、おい熊公! 俺には大蒜ニンニクやらお天道様なんかより、やっぱそいつが何より応えるぜ……なんせ、その屁の原料はさっき食った〝薩摩〟芋なんだからよ」


 お後がよろしいようで……。             


                        (吸血鬼文明開化覚書 了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

吸血鬼文明開化覚書 平中なごん @HiranakaNagon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ