第8話 感傷的な散歩道
突き詰めたところでヒトとは動物の一種であり、結局、理性と言える知的能力ですら本能という土台の上にあぐらをかいているだけに過ぎない。
理性の対極を為すと言われる肉体的衝動である「情動」などによって土台が揺らげばその上に鎮座している理性を吹き飛ばすのは容易なことであり、それでもヒトが国家という集団のコミュニティを形成し、維持できているのは従うべき力の持った指導者を据えたからだ。
国とは言い換えれば群れであり、かつてヒトが言語を持たず裸で地面を歩いていた時代にも群れの中には指導者=リーダーがいた。
ヒトに限らず、一定数の個体を有するグループの中には自然と中核となるリーダーが生まれる。
「群れ」が理性を持ち、肥大化していったのが現代の「国」であり、地域や時代によって有り様に違いはあっても、必ず国にはトップとなる存在がいるのだ。
しかし、国という動物の頭部たる指導者さえも法という鎖で絡め取られ辛うじて指先を動かしているに過ぎない。
そう、より強大なのは、法だ。
ヒトが、あらゆる可能性を考慮し、自らを縛るために作り上げた実体のない怪物。
法から逸脱した言動を取れば、国家の暴力装置である警察等の実働組織によって自由を制限され、法の下に裁かれる。それはその先も続く人生に於いて非常に大きな障害となり、たった一度の失敗が取り返しのつかない結果を引き起こすというのは間々ある話だ。
ともすればヒトは、リスクを負いたがらない。時折、悲劇であり美談として語られる挺身は現代に於いて避けるべき、忌むべきものであるとされ、保身こそが安穏とした平坦な人生を歩むには重要となる。
とまあ、これは単に私の考えである。一介の女子高校生である私がふとした日常の合間にぼんやりと考える、そんななんの生産性もない思考。
要は、ヒトが法を守るのは性善説でも遵法精神でもなく、罪を侵したその先に待つ罰が恐ろしいからだ。
まして、この国には極刑がある。
大きな罪を犯せば国家によって人権もろとも命を奪われる。
誰だって、死にたくはないだろう。
まあ、死刑などが適応される大罪を私が犯すはずもなく、しかし今のこの状況がまったく犯罪的ではないかと問われれば私は決して心からの首肯を行うことは出来ない。
僅かながらも、心の隅にはその考えがある。
これは、犯罪なのではないかと。
これから、私は罪を犯そうとしているのではないかと。
そんな、期待感と罪悪感が混じり合う混雑とした感情が心の内で鎌首を擡げるのが、自分ではっきりとわかった。
※ ※ ※
誰の言葉だったか忘れてしまったけれど、こんな言葉を覚えている。
『恋が入ってくると、知恵が出ていく』
まさに今の私はそのとおりと言うべきなのだろうか。理性の上に成り立つ論理的思考を放り出して、本能に従って行動しているような感覚に陥る。
これが決して普通の「恋」なのだとは思わないけれど、つまり、私は鈴と一線を越えようとしていた。
薄暗い室内。
陽はとうに沈み、連峰の向こうから緩やかに夜闇が覆い被さってきている。エアコンから吹き出した生ぬるい風がカーテンを微かに揺らし、荒い息遣いが鈴の居城を侵攻していた。
「…………」
ベッドの上に四肢を投げ出し横たわる鈴は、じっと口を固く結び怯えるような、しかしまるで何かを期待するような眼差しで私を見据えている。
私よりもずっと幼く、小さな少女。単純な力関係で言えば私が力任せに黙らせることの出来る相手。手を上げるまでもなく、大声で威圧すれば言葉を失わせることの出来る相手。儚く非力で、何の影響力も持たないただの女の子。
なのに、それなのに、その目だ。
その目で見つめられると、おかしくなる。
うっすらと涙の滲んだ鈴の瞳には私が映っている。苦しそうな顔をした私が映っているのだ。
もしかすると、初めからそうだったのだろうか。
公園で初めて鈴を見たときから、こうなることを望んでいたのだろうか。ただ、公園に1人でいる少女を助けようとしたのではなくて、こうなることを期待して声を掛けたのだろうか。
だとすれば、初めから私が抱いていたのは庇護欲でも保護欲でもなく、恋愛感情・肉欲だ。
それが良くないというのは分かっている。社会通念と照らし合わせてみてもいけないことだし、おかしいとも思う。私と鈴は歳の離れた、同性だ。友情こそ芽生えてもおかしくはないのかもしれないけれど、その先に発展することは望ましくない。まして行為に及ぶなど。
けれど。
鈴の頭の両側に手を付き覆いかぶさると、彼女の白く細い太腿の間に膝を滑り込ませ股を閉じられないようにする。
ほんのついさっきまで痛かったはずの膝は鈴の介抱のおかげか、それともアドレナリンでも出て脳が麻痺しているのかそれほど痛くはなく、無視できる程度だ。というか、痛みを感じる暇さえなく、私の心臓は激しく暴れまわっていた。
まさに情動とでも思えるような言葉にならない激情にも似た感情が音もなく頭の中を巡り、こめかみが脈打つ。自分の心臓の鼓動が意識の内側にするりと入り込んでくる。口の中が妙に乾き、ごくりと生唾を飲むと口の中で舌を回し湿らす。そのまま細い首元に顔を寄せ、鎖骨をひと舐めすると、歯を立てて噛んだ。
「……! ましろちゃん、痛い……」
私の口から零れた唾液が鈴の首を伝ってシーツにシミを作る。そのまま頭を動かし、首筋を舐め上がりつつ鈴の薄い唇に自分の唇を強引に重ねた。
反射的にぎゅっと唇を締める鈴であるが、私は舌を無理矢理割り込ませると、鈴の綺麗に並んだ前歯をゆっくりとなぞり、舌を絡める。私と鈴の唾液が混じり合い、鈴の頬にふたりの唾液が伝った。
体が熱い。頭が膨張したようにふわふわとして、首の動脈が激しく脈づく。覆いかぶさる体を横にずらし、右肘をベッドに置き空いた左手で鈴の手のひらを強く握る。すぐに鈴も握り返し、小学三年生とは思えない力に私は思わず手を離しかけるが鈴の手がそれを許さない。
鈴の爪が手の甲に食い込む。
絡まる舌がやけに熱い。慣れてきたのか、鈴も舌を積極的に絡ませてくる。薄暗い室内に液体の粘着音が静かに響く。
ゆっくりと握った手を離すと、そのまま鈴のブラウスのボタンを片手で外し、人差し指で腹部をそっとなぞる。途端、鈴は身体をピクリと跳ねさせ、悶えるようにして腰を捩った。
「鈴ちゃん……ごめんね」
一旦口を離し、しかし最早鈴の返答など聞く気はない。もっと下の方、スカートの内側に手を滑り込ませ、舐めるようにして指の腹で布越しに秘部を撫でつけ、その柔らかさに背中にぞわりと鳥肌が立つのを覚えた。
「ましろちゃん、そこ……」
不安そうな目で私を見てくる鈴。
きっとこの子は知らない。私が何をしようとしているのか、知る由もないのだろう。
「大丈夫……。任せて」
キスを続け、撫で続ける。最初こそ乾いていた秘部は、今ではしっとりと湿り気を帯びてきており、鈴の息遣いはどんどん激しいものとなっている。顔も赤く、苦しそうなのにどこか快感を感じている風でもある。
うまく出来ているのだろうか。
自信はない。
けれど、鈴の反応を見るに、決して嫌ではないように思える。
嫌ならこの子は声を上げることが出来る。
雰囲気に流され、自分の心に嘘をつくような子供ではない。
「気持ちいい?」
「……へんな感じ。気持ちいいのかな……」
私を見つめる鈴は、既に子供の顔ではなくなっていた。
少女でもない、それは1人の女性であった。
「…………ダメだ」
唇を離し。
鈴のスカートから手を抜き取ると、ベッドに座り直した私は横たわったままの鈴に謝った。
頬を真っ赤にして、鈴の口元は唾液に濡れている。目には大粒の涙が今にも零れだしそうに溜まっており、私の胸の奥には急速に罪悪の感情が渦巻きだしていた。
何をやっているのだ。相手は小学生の、それも女の子だ。
こんなこと、女性同士でやることではない。
間違っている。
一瞬理性が戻らなければキスだけでは終わっていなかったと思う。
それより先は、だめだ。
それだけは、だめなのだ。
「なんで謝るの? ましろちゃん……」
震える手をベッドについて、身を起こした鈴が私の顔を見上げて尋ねる。
淡い栗色の髪が涙で頬に張り付き、乱れたシャツの影から白い胸元が覗く。苦しそうな呼吸を繰り返す鈴は、目に一杯の涙を溜めているのにしかしどこか嬉しそうで、両手を広げると私の胸に飛び込んでくる。
「え、ちょ、」
突然のことに、私は抵抗できずにそのままベッドに押し倒される。
「おかしいの、ましろちゃん……、さっきからなんか、わたし……、へんなの、」
うわ言のように言葉を吐き、今度は鈴の方からキスをしてくる。勢いに任せたキスのせいで歯が当たるが、お構いなしに鈴は舌を入り込ませ、もう、私は抵抗をやめた。
空いている両手で鈴を抱きしめ、すべてを受け入れる。
鈴の身体は、熱い。
拒否出来るわけがない。
自分が望んだことが現実に起こっているというのに、止められるわけがない。
止まらない。
止まれない。
「ましろちゃん……、ましろちゃん……」
キスをして、口を離して私の名前を呟くと、再び唇を重ねてくる。
何度も何度も。
何度も何度も何度も何度も。
「……鈴ちゃん」
しばらくして、鈴の動きが止まる。
小さな肩をそっと掴んで横に下ろすと、鈴は寝息を立てていた。どうやらキスをしたまま眠ってしまったらしい。
きっと、疲れてしまったのだろう。
窓から差し込む月の光を頼りに、鈴の乱れた髪を手櫛で整え、はだけた胸元とスカートを正す。一瞬、胸に手をかざすが、すぐに引っ込めた。
私はベッドの脇に置かれていたティッシュを一枚抜くと、鈴の顔についた涙と唾液を拭き取る。そのまま自分の口元も拭い、鈴の隣に横になると、その小さな身体を自分の方へと抱き寄せ、平坦な胸に顔を埋める。
息を肺いっぱいに吸い込み、そうするとなんだかとてもいい気持ちになってきて、私は眠りに落ちた。
しばらくの間私も鈴も、目覚めることはなかった。
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