それぞれの一夜
病院からの帰り道、私は長い溜め息を吐きつつスマホをコートのポケットに仕舞い込むと、代わりにカイロを取り出して両手でモミモミする。
今年の冬は本当に寒くて、小さな携帯カイロひとつでは私の手は冷たいまま。
私の心はこんなにも沈んでいるというのに、街はキラキラとしたイルミネーションに包まれ楽しげな音楽まで流れて、行き交う人々は皆忙しくありつつも楽しそうな雰囲気だ。
本当に、本当に。
まるで私一人だけなようだ。
この広い寒空の下、他の大多数の人達と私の心内は乖離している。所詮他者は他者でしかなく、分かり合えることなど有り得ないのだ。
ブルッと。
そんな時、コートの内側でスマホが小さく震えた。画面を見てみればメッセージが届いており、相手は虎峰さくら。
『いま暇?』
簡潔にそう書かれたトークが視界に入った途端、次は着信が鳴り始める。もちろん相手は虎峰さくらであり、既読がついたので速攻通話を寄越してきたのだろう。
「…………」
出るべきか無視するべきか。
無視してもいいけど来週学校で会うんだよな……。
少しの間迷って、
「……もしもし」
渋々といった感じで通話に出る。その声色は相手にも伝わったようで、虎峰さくらは開口一番「なによ」と言ってくる始末。
「何ってそっちが電話してきたんでしょ」
「そうだった」
虎峰さくら。
私の同級生でありクラスメイト。普段学校ではあまり話さないけれど、諸事情あって連絡先は交換しており放課後とか休みの日とか、割とよく連絡を取り合う関係なのだ。というのもとある秘密の秘密を共有しているからなのであり、そのことに関しては色々と相談をしたりされたり。まあ、嫌いではない。
「ねぇ、うちのこと好き?」
「…………」
嫌いではない。が、鬱陶しく感じるときはある。今まさに。
「めんどって思った?」
「思った」
「正直な子だなぁ」
「で? 電話はなんの用?」
いい加減話がとっ散らかるので軌道修正。こうでもしないと無限に話が終わらない。この子は結構お喋りが好きな上に外なのでギガを喰うのだ。
「
「……元気だったよ。本人もこんなことで入院かーって言ってた」
白、とは私の恋人のことだ。
付き合って数年になる同性の恋人。大切な人。
そんな彼女は昨日から入院していて退院は来週になるだろうと言われている。
「ふんふん。ならよかった。お見舞行ってきたの?」
「うん。ちょうど今その帰り」
「ってことは、今外ってわけだ。
「ええ……。本気?」
「本気本気。18時に駅前で待ってて」
と。
そう言って虎峰さくらは通話を切る。
再び溜息を吐いてスマホの画面に視線を落とす私。
約束の時間まであと30分。
空の向こうからは黒く厚い雲が覆いかぶさってくるのが見えた。
※ ※ ※
電話から30分後。
駅の中にあるカフェで待っていると虎峰さくらはやってきた。
男の子の格好をして。
「さくらちゃ、くん。待ったよ」
「そこは嘘でも待ってないって言えよ」
精一杯低い声を出して男の子みたいな話し方をする虎峰さくら。
大きめシルエットのPコートに細身のパンツ、有名アウトドアメーカーのニット帽に厚底のスニーカー。やけにかっこいい。
「かっこいいでしょ。どう?」
席にもつかずその場でくるりと回ってみせる虎峰さくらであるが、人の思考を読むのはやめてほしい。しかしまあ、なんだか言動がちぐはぐで違和感が渦巻くのは中身を知っている私だけなのだろうか。
長い髪も帽子の中にしまい込んで、顔も黒のマスクで半分隠れているので一見して女の子であると見破られることはないように思うが。
「胸がないから男の子に見える」
「なるほど」
そう言って自身の胸部を掴もうとする虎峰さくらであるが、虚しくその手は空を切る。
「あるよ! 巻いてんだよ!」
「変なおさえ方すると形崩れるよ」
「マジで?」
こくりと頷いてやる。そのままどうぞというように向かいの席へ手を向けると、やっと彼(彼女)は椅子に腰を下ろした。
「さて、鈴はクリスマス恋人と過ごせないことが確定したわけだが」
コートを脱いで一息ついたと思ったら、急にそんなことを言い出すのはいかにも虎峰さくらといった感じだ。
「喧嘩しにきたの?」
「デートしにきた」
「ならもっと言葉は慎重に選んだほうがいい。お互いのために」
「……はい」
後に彼(彼女)から聞いた話であるが、このときの私は笑っているのに怒っている顔だったらしい。
どんな顔だ。
「でも、なんでそんな格好なの」
「だってうちら女二人で歩いてたら変な男が寄って来るかもじゃん」
鈴可愛いし、と。
虎峰さくらはさらりとそう言って、うちも可愛いし、と続ける。
「はぁ。それで男装してきたと」
「かっこいいだろ?」
「まあ、悪くはない」
虎峰さくらは男装するのだ。それも結構さまになっている。
可愛いし格好いい。
なんだこいつ。
「なんだこいつみたいな顔はやめてくれ。今日は俺が彼氏なんだからよろしく頼むよ」
「デートって言っても何するの? 白ちゃんが入院して落ち込んでる私をどうする気なの?」
「別にどうもしないけどさ。鈴、お前白さんに渡すプレゼント買ったの?」
「買ったよ。さくらくんは、倉本さんへの買ったの?」
「……買ってない。何あげたらいいかわからなくて」
「もう今日24日だよ」
「そうだよ。明日会うことになってんだよ」
もうここまでくればわかった。
一緒にプレゼントを選べと、そういうことだろう。
ちなみに、倉本さんというのは虎峰さくらの恋人である。写真を見せてもらったことがあるけれどかなりの美人だった。虎峰さくらが男装に目覚めたのも倉本さんの影響らしい。
「純子あいつなにやっても喜ぶんだよな。逆に選びづらいっていう」
「確かに。倉本さんならありがとうさくらくん!って泣いて喜びそう」
「だろ〜」
「うん」
そうして私と虎峰さくらはカフェをあとにするともうすっかり暗くなった街へと歩き出していく。要はデートという名の買い物だ。
※ ※ ※
結局。
街に出て5軒の店を回ったところでこれといって目ぼしいものを私達は見つけることができなかった。ハーバリウムだとか腹巻きだとかボディクリームだとか、そういったなんとなく良さそうなものはいくつかあったものの、これだというものは中々見つけられなかったのだ。
「もう、これにする」
そう言って虎峰さくらが手に取ったのは車のエアコンの吹出口に取り付ける芳香剤。中に使っている香水を染み込ませて使うことができるらしい。
「これにうちの使ってる香水入れていつでもうちのこと考えててもらう」
「想いが重い」
最初こそ自分のことを俺、と呼称して彼氏然と振る舞っていた虎峰さくらであるが、時間の経過とともに普通の女の子へ戻ってしまっていた。
虎峰さくらは本当にそれをレジまで持っていきついでに香水を取り分けておくアトマイザーまで購入して一緒にプレゼント包装してもらっていた。
「もう19時半だ」
店を出たところでスマホを見た虎峰さくらがそう呟く。
無事プレゼントを購入出来た彼女は紙袋を抱えてホクホク顔だ。
「ご飯どうする? 食べてく?」
聞いてくるが、私は首を横に振る。
「今日はお母さんが帰ってくるから、作っておくの。ごめんね」
「そっか。わかった。今日はありがと」
そう言って。
虎峰さくらは左手を差し出してくる。
「手、繋ご。周りの人たちみんな繋いでるよ」
それはそうだろう。
金曜の夜。それも24日。
街は恋人たちで溢れている。
誰も彼もが皆楽しそうに、イルミネーションで明るんだ世界で寄り添い合っている。
まあ、私達は今「デート」しているのだ。彼氏彼女で手を繋ぐのはすごく自然なことなのではないだろうか。
「いいよ」
そうして握った虎峰さくらの手は細くて少し冷たくて。格好は男の子なのに、隣で白い息を吐くこの子はちゃんと女の子だった。
「写真撮ろうよ」
今度は私からの提案。
少し離れたクリスマスツリーの前。
カップルがどいた瞬間に二人で前へ立って、スマホで写真を撮る。
撮った写真を虎峰さくらに送って、今日はこれでおしまいだ。
「ありがとね。急に誘ったのに」
「ううん。まあ、楽しかったし」
バイバイ、と。
私と虎峰さくらはそうして別れた。
残ったのは手の温もりと、一枚の写真であった。
※ ※ ※
「大変でしたね、
病室。
ベッドの横に置かれた丸椅子に腰掛けて、倉本純子が静かにそう話す。
「いや本当に。憩室炎らしいんですけど、原因もよくわからなくて」
木曜の朝、大量下血してそのまま母の運転する車で病院へ。なんと来週まで入院することになってしまったのだ。明日の25日は鈴と過ごす予定だったのに最悪な展開となってしまった。
夕方お見舞いに訪れた鈴は大丈夫だよ、と笑顔で言っていたけれど、多分内心はかなり落ち込んでいると思う。恐らく、クリスマスの予定がどうこう以前に私が病気で入院してしまったことが気が気でないのだろう。医師から説明を受けた通り数日安静にして投薬をすれば来週には退院できて再発の危険もないと鈴には話して一応納得はした様子ではあったが。
「ありがとうございます、倉本さん。わざわざ」
「鈴ちゃんとはさくらも仲良くさせてもらってるみたいですし、私も星奈さんとはもうお友達と思ってるんですよ? 友人が入院したらお見舞いくらいは来ますよ」
この倉本純子と私が初めて会ったのは今から4ヶ月前のこと。
鈴を乗せて車を走らせていたところバッテリーが上がってしまい、そんな時偶然通りかかった車のドライバーがこの倉本さんであり、助けてもらったのだ。また、彼女の車の助手席にも鈴と同い年くらいの女の子が乗っており、その子と鈴が同じ学校の同じクラスと知ったときはその場にいた4人全員でかなり驚いた。
私と鈴。
倉本さんとさくらちゃん。
この4人に共通するのは全員が男ではなく女の子と恋人の関係を持っているということ。中々他人に理解されることのないことであるし、自分から率先して吹聴するようなことでもない。だから私達4人はすぐに意気投合して、以降片方の車に乗ってダブルデートをすることも珍しくなくなった。
倉本さんはいい人だ。
私より年下のまだ学生なのに本当にしっかりしている。
女の私から見てもとても魅力的な女性だ。
「でも鈴には本当に申し訳なく思ってます。明日も一緒に過ごす予定だったのに」
ケーキも予約してプレゼントも用意していたのに。来週にお預けとなってしまった。
「きっと大丈夫ですよ。鈴ちゃんなら待っててくれます。あのさくらと仲良くできる時点で相当我慢できる子なはずですから」
「さくらちゃんそんなにやんちゃなんですか……」
「いや、あれは私と一緒の時だけなのかな。二人のときは結構激しいので」
「そ、そうなんだ」
どういう意味の激しい、なんだろう。ちょっと想像できないけれど、確かにさくらちゃんは気が強そうな印象はある。
「じゃあ、私帰りますね。長居してもよくないので」
「ありがとうございました、倉本さん。また今度ご飯でも行きましょう」
「ええ、是非」
そうして倉本さんが椅子から腰を上げようとした時、二人のスマホから同時に通知音が鳴る。
顔を見合わせつつスマホを開いてみれば鈴から画像が送られてきていた。
クリスマスツリーの前に立って笑顔でピースしている鈴とさくらちゃん。倉本さんにもさくらちゃんから同じ写真が送られてきたようで、
「いいクリスマスイヴになりました」
そう言って彼女は病室を後にする。
「……本当に」
一人になったベッドの上で、鈴の顔を見ながらそう、小さく呟いた。
イミテーションブルー 佐野友希 @jjol
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