第3話 窓際で、ふたりで
「病院、どうだった?」
翌日。
私の机に腰を預け、
現在は2限目が終わった後の10分休憩。次の授業もこの教室で行われるため移動の必要もなく、のんびりと次の授業の準備をしている。
「どうもならないな。こんなもんだって」
「ふぅん」
純那は、腰を折って私の右膝を撫でてくる。手術して以来切開した場所は感覚が鈍くなっており他のところと比べて触られた感じが違う。ただ、タイツ越しだとなんだかぞわぞわした感覚がしてくすぐったい。
「触っただけじゃどこ切ったのかわかんないね」
「まあ、もう半年以上経ってるし」
「もうそんなにか」
純那は幼稚園からの幼馴染だ。
家が近く、昔から学校でもプライベートでもよく一緒にいる。気心が知れた仲であるし、だから他の人だと気を使ってなかなか触れてこないようなことでもズバズバ踏み込んでくる。たまに鬱陶しいときもあるが基本的には適度な距離を保って接してくれるため一緒にいて不快になるということはない。
「あ、でも昨日はいつもより歩いたからちょっと調子いいかも。やっぱり適度に動かさないとダメね。寒いし」
「そんなもんか」
昨日はゆっくり歩いて帰って、熱めの風呂に1時間浸かっていた。おかげで今日は調子がいいような気がするのだ。先生も言っていたが適度に負荷を掛けていったほうが組織の再生も促されるらしかった。
「だったらさあ、白」
「ん?」
純那が顔を覗き込んでくる。
「部活、復帰したら?」
「……部活、ね」
私は陸上部だ。……いや、だった。
正式に退部届けを出したわけではない。ただ、怪我をして以降はほとんど部活には顔を出していない。医者からはもう走っても大丈夫と言われても部活に復帰する気にはなれなかった。
なんというか、怪我をして足を引きずった時点で、私の中でなにかが終わったのだ。
区切りがついたと言うか、怪我をして『じゃあ部活はここまで。あとは治療に専念します』と自分でも妙に思うほどすとんと納得が出来てしまった。
走るのが嫌いになったというわけではない。飽きたというわけでもない。
怪我以降全力疾走は一度もしていないが、それでも息が上がるほど走るのはやっぱり気持ちがいいし、嫌いになれるものではない。
でも、それでも部活に戻りたいとは思えなかった。
夏の大会前、一番大事な時期に私が抜けて他の人にたくさん迷惑をかけたという負い目を感じているのかもしれない。私はメンバーの中でも上位のタイムを出していたし、結局私が抜けた後の大会でうちの陸上部はいい結果を残せなかった。
今更戻るべきではないと、考えてしまっているのかも知れなかった。
「白はな。昔っから考え過ぎなんだよな。部活なんて所詮部活でしかないよ。好きなときに行って好きなときに走って、疲れたら帰ってご飯食べて風呂入って寝ればいいの」
「そういう純那は帰宅部では」
「そうだった」
テヘッと舌を出し自分の頭を小突いてみせる純那。彼女なりに励まそうとしてくれているのかもしれない。
「でも、ありがとう」
「気にすんな。ついでにこれもプレゼントだ」
純那は飲み終えたジュースのパックを私の机にポンと置く。
「10円得したな」
「はあ。ありがと」
横目で睨みつつパックを床に置く。この学校では飲み終えた空パックをデポジット機に投入すると10円返ってくるのだ。単純に言ってジュースの最低単価が80円だから、8個パックを集めるとジュースを1本タダで飲むことが出来る。
校内には生徒から空パックを回収して回る生徒もいるくらいなのだ。でも、私は基本的に学校でジュースを買わない。他の人から空パックをもらうこともほとんどない。
10円を得るためにわざわざ下まで降りてデポジット機に投入するということに労働と報酬が釣り合っていない感がするのは私だけなのだろうか。いや、こいつもそう感じるからこそ私にパックを寄越してきたのだろう。
まあ、そこまで気にすることでもないか。
私は自分を無理やり納得させ、机の中から次の授業の教科書とノートを引っ張り出した。
ふとスマホの画面を見る。
何件かメッセージが届いているが、あの子からは来ていない。
「なに、彼氏?」
「違うし」
「ふーん?」
「なに?」
「なーんか今日の白機嫌いいなって思って」
「そう?」
言われて考えるが、機嫌が良くなるようなことなどあっただろうか。
変わったことならあったのだけど、それが関係しているのかもしれない。
「……そういえば今日金曜か」
明日から休みだ。
鈴に連絡を取ってみてもいいかもしれない。
※ ※ ※
「ごめんね。鈴ちゃん」
金曜の放課後、私は鈴に休みの日に遊ばないかとメッセージを送った。すぐに返信は来て段取りよく日時や集合場所も決まったのだけど……。
「土砂降りですね……」
待ち合わせたのはふたりの家から一番近い駅前。時間は13時。天気予想では降水確率10%の晴れだったのに、急に横殴りの強い雨が降ってきたのだ。鈴には言っていないものの、色々と今日の予定を組んできたのに無駄になってしまった。
「今日はやめとこうか? 雨すごいし」
現在はふたりしてカフェに避難している。窓際の席のため外の様子がよくわかった。
駅構内に入っている雑貨屋や飲食店でも時間は潰せるが小学生には興味がないかも知れない。もっと公園とかで遊ぶほうがいいのではないか? そう考えるとこの天候は最悪だ。日を改めたほうがいいのではと提案してみたのだけど、鈴は首を縦には振らない。
「…………」
黙って窓の外を見つめている。察するに、帰りたくはないようである。まあ、メッセージの文面からも妙に楽しみにしている節が見受けられたし仕方のないことなのかも知れないけれど、それでもこの雨である。
出来ることは限られている。
「もうちょっと小降りになったらバスでどっか行ってみよっか」
本当は動物公園に行くつもりだった。バスでも、最悪歩いてでも行ける距離なので散歩も兼ねて。しかしこの雨では行けそうにない。
この街は、片田舎の小さな街なのだ。娯楽施設は少なく、屋内でも楽しめるところといったら大型商業施設のゲームコーナーくらいしかない。でも、初めて一緒に遊ぶのに人がたくさんいるゲーセンなどでいいのだろうか。
ここからそう遠くない場所に私の好きな喫茶店がある。そこではドリンクを飲みながらダーツなどができて、静かで落ち着く場所だ。けれどこの子には向いていないだろう。
ちなみに、鈴が飲んでいるのはキャラメルショコラミルクティー。私がキャラメルハニーラテ。
私のおごり。
「鈴ちゃん。おいしい?」
なんだか悲しそうな鈴の気を紛らわすためそう尋ねてみる。
「うん。飲む?」
鈴は私の方へミルクティーを寄越してくる。
「じゃあちょっと交換ね」
私のも差し出す。
一口飲むが、甘い。すごく甘い。
「どっか行きたいところある?」
目の前の鈴は両手でカップを持ってゆっくりと飲んでいる。鼻の下に白いひげが出来ていた。
「……うーん」
歯切れの悪い唸りしか返ってこない。
雨の勢いはしばらく続きそうだし、ゆっくり考えるとするか。それまで少し会話でもして時間を有効に使おう。
「そういえば、今日遊びに出るのにお母さんなにも言わなかった?」
正直、私が遊びに誘う際に最も危惧していた問題だ。
鈴と母親はどうにも仲がいいようには考えにくいし、鈴の母親がダメだと言ったらこの子は家から出られない。
鈴は家事を任されているようだし、遊びにいくことを許してもらえないのではと思ったのだ。
「……うん。友達と遊びに行くって言ったらいいって言ってくれたの。お小遣いもたくさんもらったし」
けれど。
私の心配とは裏腹に鈴はあっけらかんとして話す。別に遊びに行く程度のことには特に何も言ってこないのだろうか。
しっかりしている鈴を信用していると好意的に捉えるべきか、娘のことにはあまり興味がないと捉えるべきか。
しかし小学生にとっての『たくさんのお小遣い』ってどのくらいだろうか。5000円くらい?
張り合うつもりではないが私もそれなりに現金は持ってきている。鈴に出させるつもりはなく今日の出費はすべて私が出すつもりなのだから。
「お母さん、なんか言ってた?」
「……あんまり遅くならないようにってくらい?」
ふむ。まあ普通の反応か。正確な時間を指定していないが、鈴は小学生だ。日が落ちるまでには家に帰したほうがいいだろう。となると、あまり時間はない。スマホでササッと日の入り時刻を確認すると夕方16時半と出た。17時半までには鈴を家に送り届けたほうが良さそうだ。
そうすると本当に時間がない。
今が13時半前。行動するなら早くした方がいい。
「……ましろちゃん」
「ん? どうしたん?」
鈴の方から話しかけてくる。行きたい場所が決まったのだろうか。
「……わたし……ましろちゃんのお家に行ってみたい」
「え……」
言葉を失う。
脳をフル回転させ思考するが、この場合未成年略取ーーつまり誘拐には該当しないのだろうか。双方が未成年であるし大丈夫か?
一応私と鈴は友達ということになっている。ちょっと歳が離れた友達同士なのだ。鈴の母親も娘が遊びに行くことを了承している。
というか、よくよく考えてみれば小学生が遊びに行くと言ったら普通に友達の家ではないか。そのことを失念していた。鈴としては最初からそのつもりで今日出てきたのかも知れない。なんか私が勝手に舞い上がって空回りしているようだ。
自宅に小学生を招くなど普通のことではないか。
「うん、いいよ」
サムズアップして答えてみせる。
鈴は嬉しそうに「ほんと?」と言って笑顔を浮かべている。
「じゃあこれ飲んだら行こっか。あ、バス停からちょっと歩くから傘いるね」
その後カフェを出た後売店で傘を買い、バスターミナルまで移動し私の自宅の最寄りまで行くバスに乗り込んだ。
バスに揺られている間、鈴はちょっと楽しそうだった。
横顔が微笑んでいる。
まるで、初めて友達の家に行くというふうに。
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