貧乏くじ男、東奔西走

善吉_B

 

 ようやく整い始めた呼吸と共に、トウジは本日五回目の溜め息を吐き出した。

 咄嗟に薄暗い路地を選んで逃げ込んでしまったが、失敗だったかもしれない。飲み屋街らしい路地裏の店先に連なる赤提灯や木枠の四角い灯は、レトロな風情を醸し出すのには一役買っているが、実際のところは最新式の広告媒体だ。通り過ぎる人の気配を敏感に察知しては、音声と立体映像でビールメーカーや店の宣伝を流し出す。その音量は大通りの映像パネルや、あの頭上を横切る空中立体映像広告アドバルーンのような喧しさは無く、せいぜい横から他人が話しかけてくる程度のものだろう。

 だが、追っ手に人の存在を気付かせるには十分だ。

 広告提灯のレーダーが設置されている場所に見当を付け、そこを避けるように身を屈めながら、あるいはくうを跨ぎながら恐る恐る二、三軒分進んでみた。幸いにして通り過ぎたどの提灯も人の姿を映し出したり、ビールの栓抜きの音を軽やかに再生したりすることも無くここまで来ている。

 とは言え、この先もうまくいくという保証は無い。いつ何時レーダーに引っかかってしまうか分からない状況のまま、これ以上進むのは気が引けた。かと言って、このままじっとしている訳にもいかないだろう。先程はこちらに気付かないまま素通りしてくれたあの怪しいスーツの集団が、いつまた戻って来るかも分からない。目の前の店に入って時間を潰せれば良いのだが、生憎と日が傾き始めて少ししか経っていない店先は、揃いも揃って『準備中』と筆文字で書かれた札の絵が投影された引き戸を閉ざしたまま、外も内もひっそりとしている。

 全くとんだ厄日である。いや災難は連日続いているので厄週か。トウジは本日六回目の溜め息をひっそりと吐いた。溜め息に在庫があれば、恐らく一昨日辺りには入荷待ちになっている。


「溜め息吐くと、幸せ逃げるぞ」

「シッ」

 突如広告提灯も無いはずの背後――――それも襟元から声がして、ギクリと心臓が跳ね上がった。

 咄嗟に幼い子供相手にするように人差し指を口元に当ててしまったが、直ぐに相手を思い出して手を下ろす。こいつにそんなささやかな注意をしたところで、ユズのように慌てて両手で口元を押さえて、それからソロリと目だけでこちらを伺う、なんて素直な聞き方はしてくれない。あるいは、ミカのようにぺろりと小さく舌を出してから、こちらの真似をして指を口に当てて静かにしてくれる、なんて茶目っ気のある反応をしてくれることも絶対にない。

 何より、目に入れても痛くない、可愛い我が子達と同じ対応を相手にするのは癪だった。出来ることなら、今からでも先程の自分の行為を取り消したいくらいだ。

「頼むから、話すならもう少し声を抑えてくれ」

「面倒だなぁ、あいつらならもう行ってしまったんじゃあないか?」

「元凶が一番楽観的でどうするんだ。それでさっきも気付かれたんだろう、この疫病神!」

 必死に声を落としながら最低限の音量で怒鳴ったところで、言われた相手は「器用な奴だなぁ」などと嬉しくも何ともない感想を、妙に間延びした調子で言うだけだった。それが余計にトウジの頭を悩ませる。

 ああ、頭を百個くらいは抱えたい。阿修羅程度じゃ絶対に足りない。

 そう、今のこの状況を作り出したのは、元はといえばこいつのせいなのだ。

 ここ最近では外を歩くのも一苦労なのを、ばれないように必死に顔も隠して、なるべく人目に付かないように歩いていた。電子ツールの追跡にも引っかからないよう、偽装コードに普段は使わないスペアの端末まで使って目的地まで行ったというのに、その涙ぐましいまでの必死の努力は帰り道の「おいトウジ、たい焼き売っているぞ。私カスタードな」とかいうこいつの阿呆みたいな一言によって一瞬で水の泡と化したのだ。全く何でこういう時に限って、声というのはよく通るのか。

 その後は本当にひどかった。

 どこに潜んでいたのやら、ずっと自分達を探していたらしい、怪しいという形がスーツになったものを着ているみたいな集団が次々と飛び出し、こちらを殺しかねない勢いで自分達を追いかけ始めたのだ。

 何とか巻いたものの、咄嗟に飛び込んだこの路地裏で前にも後ろにも進めなくなって今に至る。馬鹿野郎何がたい焼きだ。そりゃ俺もたい焼きは好きだ。何ならユズとミカに買って帰ろうかなとか思ったくらいだ。お金無いけど。でもたまにはそれ位贅沢しても良いかなとか思ったくらいには好きだ。


 ―――――でもだからといって、用事の行き帰りの間は絶対に姿を見せたり声を出したりするなという必死にこちらが言い聞かせたことを「家に帰るまでが用事だもんな」とか言っていた癖にアッサリと忘れて追っ手に見つかることになる理由にはならないだろうがふざけるな! 


 もう一度自分の怒りを上塗りするため、顎を引いて相手をジロリと睨みつける。だがこれもまた睨まれた方はどこ吹く風といった様子だった。

 そもそも、こんなに追っ手を気にして生きなければならなくなったこと自体が、元を辿れば大体こいつのせいなのだ。

 ユズやミカの掌を少しだけ越す程度の高さの体に、継ぎ接ぎだらけのくたびれた着流し。

 出掛ける時ですら常に小脇に抱えている、着流しに比べて随分と上質そうな座布団を敷いて座れば、幼い頃に祖母に連れられて見に行った、落語家の立体映像のミニチュア版のようになりそうだ。

 ただ、頭の部分だけが、落語家のそれとはずいぶんと姿形が違っていた。

 群青色の肌にぎょろりとした目の、犬ともカメレオンともつかない、派手な模様付きの立体の面をすっぽりと被っている頭部が、首から下の落語家のような格好から浮き上がって見える程にちぐはぐな印象を与える。面を外したところを未だに見たことがないので、本当の顔立ちはよく分からない。物を食べている時もカメレオン犬の面の口を動かしているところを見ると、ひょっとすると被り物ではなく本物の頭なのかもしれなかった。

 襟元から聞こえたのはそれもそのはず、元凶がちょこんと納まっているのが、トウジのパーカーのフードの中だからだ。

 もっとも、今はそのフードから身を乗り出して、「なあなあ、あの店うまそうだぞ。今は穴場だがそのうち繁盛する。明日の朝飯賭けてもいいぞ。けどあそこは駄目だな、直に潰れる」などと提灯の一つ一つを指差しては好き勝手なことを言っているのだが。良いからお前は声を落とせ。言っても相手は聞きはしない。おまけにその小さい体で、態度だけは常人の二倍も三倍もでかい。


 未だに信じられないことだが、この小型の人間のような何かは、自分のことを『神様』なのだと言う。

 そしてそれこそが、目下トウジが巻き込まれている、訳の分からない追走劇の最大の原因なのであった。


 本日七度目の溜め息と共に、トウジは路地裏の低い屋根が連なる天を仰ぐ。屋根の隙間から覗く、オレンジ色やピンクの暖色が広がりつつある夕焼け空が綺麗だった。

 全くどうしてこうなった。

 いや大体こいつのせいなんだが、それでもどうしてこうなった。

 日頃の行いなどと人は言うが、こんな仕打ちに合う程のことをした覚えなんてこれっぽっちもトウジには無い。

 二人の可愛い子供たちを引き取り少しも経たないうちに妻が死んでしまって早三年、生活は苦しいが日々慎ましく家族三人で仲良く暮らしてきた。テレワークが当たり前の昨今、都会のオフィスで働く等というステータスの象徴のような贅沢など一切せずに家で人並みには真面目に働いてきたし、クライアントからの評価だって悪くはない。

 楽ではない生活の中、トウジの数少ない楽しみはすくすく育つ我が子二人と、週に一度だけ無料になる、3D福引を引くことだった。

 電子マネーアカウントの登録者なら誰でも週一度は無料で引ける福引は、当選した景品のデータがその場で登録した3Dプリンターにインストールされる。そして必要なタンパク質やら繊維やらの原料を組み立てて印刷されれば、景品の受け渡しは完了だ。電子マネーの支払登録をしている各企業が(恐らく自社製品の宣伝も兼ねて)参加する景品のラインアップは中々に豪華だった。

 ポイントの使用や課金さえすれば何度でも引けるらしいが、生憎トウジの家計ではそれ程の余裕はない。だから百六十八時間に一度だけ無料で回せるその福引が、トウジの生活のささやかなお楽しみだったのだ。

 その3D福引で、まさかを引き当てるだなんて、一体誰が想像しただろうか。

 現像されたばかりのその景品は、何の生き物かもよく分からない青い被り物の頭をきょろきょろと動かすと、やがてトウジの顔を認め、右手を軽く上げてこう言った。


 ――――――― 神の召喚に成功した第一号とは、冴えない見た目の割にやるな、お前。まぁ精々私をありがたがるが良い。


 実に可愛げの無いフィギュアが当たってしまった。

 真っ先に浮かんだその感想は、すぐに自分がとんでもない『大当たり』を引いてしまったのではないかという驚愕に、映画で見たビリヤードボールの如く頭の隅へと吹っ飛ばされていった。

 福引の景品のラインアップは豪華かつ多種多様だ。それでも内容は『3Dプリンターで再現できるもの』であることが大前提であり、その制限に引っかかるだろう命を持つ生き物は勿論、複雑な動きになればなるほど現像は不可能のため、高度な機械類も景品になることはあり得ない筈だった。

 だが、目の前で「とりあえず定期的にうまいもんでも食わせてくれれば祟りはしないさ、宜しくな」などとほざいているこの神を名乗る景品は、その大前提を踏まえて現像されたにしてはあまりにも複雑な動きをしている。可動式フィギュアではぎこちなくなりがちな動きは本物の生き物のように滑らかだし、再生される音声も腹が立つ程バリエーション豊かだ(「おい、何を呆けているんだ。間抜け面が更に間抜けに見えるぞ。しっかりしろ」)。

 自慢ではないがトウジの家の3Dプリンターは、仕事に使うからという理由でそれなりの性能は備えている。購入してからそれ程年月も経っていない。それでも企業用ではなく家庭用であり、こんな複雑な機械を現像できるような機能はないはずだ。原料のストックだって、一般家庭用プリンターの備え付け分では絶対に足りないだろう。

 一体これはどこの企業の何という景品だ。

 そのトウジの疑問の答えは、すぐにあっさりと明らかになった。

 あんぐりと口を開けたトウジのすぐ手元で、電子端末の通知がひっきりなしに鳴り続けていたからだ。

 何事だろうと手に取ってすぐに目に飛び込んできたのは、知人だけでなく名も知らぬような人も含めた無数のアカウントからの、大量の祝福のコメントだった。『おめでとうございます!』『おめでとう!』『うらやまー』『呪っ…祝ってやる!』『おめめめめめ』『これが本当の神引きか』――― 景品のラインアップと同じく多種多様なメッセージに、首を傾げるのは当の本人ばかりだ。

 何度スクロールしても次々と現れるコメントにいい加減飽き始めてきた頃、ようやく通知の一番上まで辿り着いたスクロールバーが上昇を止めた。

 そこでは、福引の公式アカウントから通知をオンにしたユーザー全員に向けられた速報が、音付きの鐘の絵文字と共に派手な色の文字で踊っていた。


『ユーザー:10-Gさまが福引で大当たり八百三十五番:オガタ商会の景品「神様」を当てました! 全ユーザー初の当選、おめでとうございます!!』


 チリンチリンチリンと、軽やかに鐘の絵文字がその音を再生するのを聞きながら、トウジは驚きと混乱の過剰摂取で一瞬目の前が遠くなるのを感じた。

 誰かが大当たりを引いた時は、主催者は鐘を鳴らして大声で祝福をする。福引がアナログだった時代からの基本中の基本だろう。

 そこに何の文句も無い。文字の色の組み合わせにセンスがまるで感じられないなどということは、もうこの際どうだっていい。

 だが、神様をくじ引きで引くとは一体全体どういうことだ。

 そもそもそんなものインストール出来るのか。そして3Dプリンターで現像できるものなのか。というか本当にこんなのが神様なのか。どうなっているんだオガタ商会とやら。

 だが、この時のトウジはまだましだった。

 鳴り続ける通知はうるさいが、次々と現れる他ユーザーのメッセージは好意的なものばかりだったし、何より珍しい大当たりを引けたらしいことに多少なりとも良い気になっていた。当たりの景品は可愛げがない上に本物の神様かどうかも疑わしいが、ユズとミカの遊び相手程度にはなるだろう。そんな今では能天気としか思えないようなことしか考えていなかったのだ。

 実現不可能なことではあるが、もしも今から過去に飛ぶことが出来るとしたら、トウジは迷わずあの福引を引く直前の自分の元を訪れることを選ぶだろう。そして過去の自分にこれだけは伝えたい。

 まず第一に、「大当たりの時に他ユーザーにも通知する」という設定を今すぐオフにしておけと言う。

 そして第二に、日頃からセキュリティには比較的慎重であるのは十分に分かっている上で、誰にも自分の情報を辿られないように全ての利用データ履歴を可能な限り削除するように言い、この目でその作業が終わるまで見届ける。

 そして最後に、気を付けろ、と締め括ろう。

 今からお前が引く大当たりは、文字通りのとんでもない疫病神だぞ、と。




 『神様』を名乗る景品がトウジの元に現れてから生活が一変するまで、それ程時間は掛からなかった。

 最初の異変はその日の夜に起こった。

 滝のような祝福メッセージがようやく落ち着き始めるのと入れ違いに、セキュリティソフトがアカウントへの違法アクセスの試みを検知したという通知が立続けに端末の画面に現れたのを見て、トウジはおやと首を傾げた。

 いつもなら半年に一度見かける程度の通知だ。誤って変なサイトにでもアクセスしてしまっただろうかと自分のここ最近の記憶を遡ってみたが、心当たりは何もない。唯一の異変といえばその日の例の福引だけだった。大方あの派手な大当たりアナウンスでトウジのアカウント名を知った悪質なユーザーの嫌がらせだろうと結論付け、万が一アクセスされてしまった時の用心にと住所や購入履歴などの情報を出来る限り削除した。

 セキュリティも突破された状態で、そんなあがきがどの程度通用するのかは怪しいところではあったが、何もしないよりは良いだろう。ホワイトとはいえ、これでもハッカーの端くれだ。相手がどういうところを狙って来るかの大体の検討は付く。特に住所に関しては念入りに確認した。その甲斐もあってなのか、幸いにして家の場所は今日まで割れた様子も無い。目下散々な目に合っている今でも、この時の自分の判断だけは全力の拍手で讃えたかった。何なら褒美に缶チューハイを付けてもいい。自分一人だけなら構わないが、ユズやミカに被害が出ることだけは、何としてでも避けたかった。


 どうやらとんでもないことに巻き込まれつつあるようだと判明したのは、そのすぐ翌日のことだ。

「トウジ、お前とんでもないものを引いたな。悪いことは言わん。今いる住所を引き払って逃げろ」

 何なら家探しくらい付き合ってやる。とにかく変な奴等に捕まらないように気を付けろ。

 寝ている間にも増えていたセキュリティ通知を寝ぼけ眼で読み流している途中、仕事仲間の一人であるハヤトからそんな緊急メッセージが飛び込んできた。

 仕事でもない同僚宛てのメッセージに、情報秘匿のためにとパスワードに暗号に鍵にと何重にもセキュリティを重ねたものが使われていたのもことの異常さを示してはいたが、その言葉の後に続いていたハヤトの説明は、それより更にとんでもない話であった。

「オガタ商会が何者かはよく分からん。発足したのは公式記録だと三年前になっているが、どうも信用できないな。住所も実際の活動拠点じゃないし、ウェブサイトの情報もいい加減だ。けど二、三年前に変なものを開発している奴等がいると、一時噂にはなったんだ」

 それこそ都市伝説のようなものとしてだが、と前置きをした上で、メッセージ上のハヤトはいつもの仏頂面を更に顰めたまま続けた。

 ―――― 曰く、神や精霊などの存在を、データで再現しようとしていたのだそうだ。

 半分オカルトの世界に足を突っ込んだような代物だが、一部の界隈ではその当時知る人ぞ知る注目の研究だった。出資者もそれこそ宗教団体から単に面白がっているだけの物好きな金持ちまでいたが、謎に包まれた組織の謎に包まれた研究は、その後進展の音沙汰がぷっつりと絶え、そのまま二、三年が過ぎていったという。現にハヤトも、例の派手な福引通知で「オガタ商会」の名を見るまでは、綺麗さっぱり忘れていたと言っていた。

 そのまま人々の記憶に只の与太話、あるいは馬鹿馬鹿しい詐欺事件として残るはずだった大実験が突如動いたのが、つい三ヶ月程前のこと。

 それまで碌に更新されていなかった商会のウェブサイトに、「皆様へのお知らせ」というタイトル付きで、一つの動画がアップされた。

 そこには、データをダウンロードした3Dプリンターが、一匹の神々しい、明らかにこの世のものではない生き物を「現像」する瞬間が映されていた。


『皆様が信じるか信じないかはお任せいたします。画像解析で加工の工程を確認して頂いても構いません。

 我々が何よりお伝えしたいことはただ一つ。

 皆様のご協力により、当社は初めて神のダウンロードに成功致しました。関係者の方々、及びかねてより応援して下さった皆様に改めて御礼申し上げます。

 実際の運用、展開にはまだ時間が掛かると思われます。

 まずは試験的に抽選で召喚者を選定し、効果を確認したいと考えております。

 引き続きのご理解とご協力、何卒宜しくお願い致します』


 麒麟と呼ばれるらしい、架空のはずだった小さな生き物が机の上を跳ね回る映像を背景に、動画はよくある味気ないフォントでこう締めくくっていたという。

 動画は誰も見向きもしなくなっていたウェブサイトだけでなく、動画投稿サイトにもアップロードされていた。それを見かけた多くの事情を知らぬ人々にとっては、面白がるか、映像の出来に感心するか、馬鹿馬鹿しいとブラウザを閉じるかのどれかで片付けられるだけの、有象無象の日々溢れ返る動画の一つでしかなかっただろう。だが、かつてその研究の成果を見守っていたことがあった物好き共は、その映像とメッセージを見てピンと来た。

 遂に訪れた成功の知らせ。

 科学が魔術に近付いたことを知らせる、グラハム・ベルの電話だ。

 では、その続きの抽選による召喚者とテスト運営とはいかなるものか。また数年の沈黙の後に知らされるのか、それともすぐに召喚者の希望を募る広告でも出るのだろうか。再び注目し始めた人々は、この二、三ヶ月の間オガタ商会からの続報を待った。

 その答えこそが、トウジの引き当てた福引きの『大当たり』だったのだ。

 直に興味津々な取材者も来るだろう。元々が胡散臭い研究であるから、面白半分にちょっかいを出してくる輩もいるかもしれない。

 だが、ハヤトが危惧していたのはそういった奴等だけではなかった。

 ニュースオタクの情報通だが、当の本人は冗談の通じない、日頃トウジに四角四面立方体くそ真面目野郎と揶揄されることもあるハヤトだ。その友人の言うことだからと研究の話は信じたものの、未だことの危険さにピンと来ていないトウジを見透かすように、メッセージ上のハヤトの映像はため息を吐いた。

「研究の出資者や注目している奴等には、色々な奴等がいたと言っただろう。その中には良くない噂のあるカルト集団とか、胡散臭い金持ちとかもいたんだよ」

 そしてそういった輩の中には、インストールされた試験段階の『神様』を、正攻法では無い手段で手に入れたがる者もいるはずだ。実際ハヤトが「軽く」調べてみた限りでも、不穏な動きをしている連中がいたという。

 とりあえずこの名前を見かけたら気を付けろという言葉と共に添付されたリストには、ざっと二十を越える固有名詞が並んでいた。

 再び遠退く視界に頭を抱えながら、トウジは羅列された名前を八つ当たり半分に睨み付けた。

 全くもって、勝手かつ迷惑千万な話だった。

 日々のささやかな楽しみとして、ただ何気なく福引きを引いただけで、勝手に胡散臭い研究の協力者となってしまったというのか。

 残念ながらこちらはご協力した覚えなどまるで無い。あの小さいミニチュア人間を引くまでは、オガタ商会とやらのオの字すら知らなかったのだ。勝手に巻き込まれた挙げ句、これからただのセキュリティソフトへの干渉だけでは済まないような目に合うというのか。どこのどいつだか知らないが、オガタ商会の馬鹿野郎。せめて相手の同意を得てから神様のデータとやらを派遣しろ。

 実際ハヤトは正しかった。

 どこから漏れたか、あっと言う間に名前が割れたらしく、仕事の依頼と称してブラックリストに名前の載っていた奴等が次々と近付くようになった。お陰で仕事も随分とやりづらくなってしまった。今はまだ何とかなっているが、こんな状況が続けばそのうち生活も更に苦しくなるだろう。

 セキュリティに関してあまりにも無頓着な友人がウェブに載せていた写真から、いつの間にか顔が割れていたらしい。町中で声を掛けられる回数が増え、そのうち数回はあやうく荷物を奪われそうになり、また数回は何故か誘拐されかけた。お陰で外に出る回数はめっきり減ったし、出掛けるときには必ず変装をして家を出て、周囲に人がいないことを確認してから家に帰るようになった。

 そして恐ろしいことに、一変したのはハヤトが危惧していたような身の安全だけではなかった。

 インストールされた件の神様が、それはもうとんでもなく面倒くさい奴だったのだ。

 まず第一に一言多い。3Dプリンターで印刷された(本人曰く「召喚された」)時もそうだったか、こちらが真剣に悩んでいる中でえらい能天気なことばかり言う。悪気は無いようだが余計なお世話も非常に多い。加えてとんでもなく気まぐれかつわがままだった。隙を見てはプリンやシュークリームを要求してくる。そういえばたい焼きの時もカスタードをリクエストしていた。

 とはいえ、大体の要求や余計な一言は謎生物の姿をした面の頬の部分を思い切り摘まんでやれば「いてて何をする、私は神様だぞ罰当たりめ」等と騒ぎながらも大人しくなることに気が付いたから、最近は少しばかりましになった。全く以てありがたみがない。何より神様らしいことをしているのを見たことがない。魔法を使うことも無ければご利益もなかった。トウジ自身が怪しい連中に追われていなければ、早々に神様ではないと結論付けていたところだ。

 それでも振り回されることには変わりがない。神は神でも疫病神だ。

 おまけにどうもこの神様、渦中の人物である自覚があまりにも無いらしい。

 必死に後を付けてくる連中を撒いて帰ったトウジが少し目を離しているうちに、見知らぬ人物からの通話に頼んでもいないのに勝手に出た挙句、「うむ、南トウジなら私の召喚者だ。今も横にいるぞ」などとあっさり宣っているのを見た時は、ついうっかりそのミニチュアの体ごと端末を放り投げそうになった。

 神様にまつわる大小内外様々なトラブルを前に、トウジは早々に決意した。

 ―――――― こうなったら、何がなんでもオガタ商会とやらを見つけ出し、神様をアンインストールしてもらおう。

 そしてあわよくば、慰謝料を思い切りふんだくろう。

 ついでに勝手に福引きにこんな実験を組み込んだ商会の阿呆を、一発くらいは殴らせろ。




 案の定と言うべきか、商会探しは困難を極めた。

 元々が謎に包まれていると評判の企業だ。そう簡単に見付かるとは思わなかったが、それでも数日間必死に方々を探し回って碌な手掛かりも見付からないというのはさすがに堪えるものがあった。

 仕事柄、元々ウェブやデータからの情報収集にはそれなりに自信があった。ハヤトや他の友人の手助けもある。多少なりともオガタ商会に繋がる何かが一つくらいは見つかるだろうと考えていたのだが、どうやらその見込みは甘かったらしい。

 ようやく商会のことを知っていそうで、尚且つ最低限は信用できそうな情報屋と接触できたのは昨日のこと。口止め料の代わりとして、生で神様を見せてくれというその頼みに警戒しなかった訳ではないが、背に腹は変えられない。今は何でも良いから追いかけてこない奴等からの情報が欲しかった。

 外を出歩いている間は決して姿を出さず、声も上げてはいけないと、念入りに神様に言い聞かせて出掛けたのが数時間前。その結果があの、たい焼き発言から始まる追いかけっこである。全く以て疫病神だ。

 情報屋の話は有益ではあった。特に発足当初のオガタ商会について少しでも知ることが出来たのは収穫だろう。具体的な情報としては、設立の中心人物の名前を知ることが出来ただけだったが、それでもゼロよりははるかにましだ。何より漠然とオガタ商会を追うだけでなく、これからは「クスヤ リオ」という名前に焦点を絞っての検索もできるようになったのだ。これは大収穫だ。

 というかそう思わなければ、これ程の労力をかけて出掛けている意味を見出せない。

「トウジはいらんところにも気を張りすぎなんだ。もっと肩の力を抜け。深呼吸だ深呼吸」

「誰のせいで気を張っていると思っているんだ、そういうあんたは気が抜けすぎだろう!」

 お遣いか何かの帰りだったのだろう、飲み屋街の店員らしき坊主頭の青年が店の一角に戻ってきたタイミングに合わせて、どうにか路地裏の飲み屋街から脱出することが出来た。

 人混みに紛れて少しずつ進んではいるが、必死に隠そうとしても襟元の神様が一向におしゃべりをやめてくれない。仕方なく大音量で通話中の振りをしていたものの、そろそろ周囲の誰か一人くらいは、相手側の声があまりにもはっきりと聞こえることの違和感に気付いてしまいそうだ。元よりこういった演技には全く向いていないのだ。通話をしている振りをするのにも限界を迎えつつある。

 そろそろ黙れと囁こうとしたトウジの声はしかし、「ぐぇ」という間抜けな音にしかならなかった。


「おいトウジ、気を付けろ! さっきの奴等が後ろにいたぞ!」

 思い切りトウジの髪の毛を引っ張って知らせてくれた神様の大声が、大通りに響き渡った。


 ぎょっとしてこちらを向く顔に四方八方を囲まれる。その人混みの後ろの方に目をやれば、こちらに気付いたらしきあのスーツの軍団が「いたぞ!」という声と共に駆けてくるところだった。

「失礼、皆さん。ちょっとアラームの音量を間違えていたみたいで…いや、変な台詞に設定しておいた方が、ドキッとして気が付きやすいでしょう…そういう感じですよ、あははは……」

 襟元を思い切り抑えながら、引き攣る笑顔で誰に言うでもない苦しすぎる言い訳をしつつ、後ろに二歩、三歩後ずさる。

 そのままフードを被り直すと、回れ右をして一気に走り出した。

 ――――― だから大声出すなって言っているだろうが、このあほ疫病神!

 これ以上の注目を避けるために、喉まで出かかった言葉は泣く泣く必死に飲み込んだ。



 同じ手は二度は通じない。

 アクション映画か何かで見たことがある気がする台詞が、先程からトウジの頭を過っている。

 残念ながら通じないのはトウジの逃亡術の手の方だ。先程は相手と距離を取るのに有効だった方法や道も、再びこちらを見つけた相手は既に把握済みらしい。一向に縮まらないどころか少しずつ近付きつつある距離に、焦りだけでなく疲労が蓄積されていくのを感じる。

「まずいぞトウジ。あいつらどんどんこっちに来るぞ。急げ急げ」

「分かっているよこの野郎! 良いよなお前は走っていないからさぁ!」

 本当に焦っているのか疑わしい程の気の抜けた声に、思わず棘のある言葉を返しながら裏道を抜ける。

 スーツ姿が見当たらずほっと息を吐いたのも束の間、すぐに左手から無数の足跡が聞こえてきて慌てて逆方向へと走り出した。どうやらご丁寧に増援まで呼んだらしい。ハヤトのくれたブラックリストのうちのどれだか分からないが、熱心なことである。出来ればその熱意を他の部分に生かして頂きたい。

 路地裏に入るのは今日何回目だろうか。自宅からは離れているとはいえ、生まれ育った馴染みの土地だ。地の利はこちらにあるはずなのに、今まで撒けたはずの追っ手を一向に振り切れない。

 人海戦術で挟み撃ちにするつもりなのだと気が付いたのは、既に袋小路に追い詰められた時だった。

 目の前にそびえる工事中の壁に、昨日までは通れたはずの道を塞がれ思わず天を仰いだ。右の曲がり角からは無数の足音が聞こえる。そしてよく耳を澄ましてみれば、左からも数人分の足音が走って近付いてきているようだ。振り向けば正面の道の少し離れたところから、スーツの集団が近付いてくるのが見えるだろう。

 いよいよもって、万事休すだ。

 意味も無く三方向の道を交互に見やりながら必死に打開策を考えるが、何一つとして良い案が浮かばない。あれだけの人数の相手を突っ切って逃げられる程の腕っ節の強さなどもちろん無い。もしも捕まってしまったら、果たして無事に帰れるのだろうか。

 ふざけるなどうしてこんなことになった。いや大体この神様とオガタ商会のせいだった。混乱と焦燥が思考回路を妙な方向に走らせ始める。

 神様仏様キリスト様、その他世界の諸々の神様。何でもいいから助けてくれ。ミカとユズを置いてこの世を去りたくない。何ならすぐ傍にいる、自称神様の3Dプリンターから印刷されたこいつでも良い。


 ――――― もしも本当に神様だというなら、今こそ俺を助けやがれ!


 半ば自棄になって一人心の中で喚いたその時、トウジの遥か頭上から妙に聞きなれた声が響いた。

「ようやく神様わたしに縋ったな、トウジ」

 思わず声のする方を見上げれば、あの青い被り物と着物姿がふわりと宙に浮いていた。

 慌てて空っぽの襟元を見やる。いつの間にあんなところに行ったのだろう。第一あんな風に飛ぶことが出来るだなんて聞いていない。足音が大きくなっていることもお構いなしに、初めて現像されたのを見た時と同じように、あんぐりと口を開けたまま神様を見上げる。

 トウジを見下ろす青い被り物の口元が、少しだけ吊り上がったように見えた。


「召喚者の初めてのだ。たまには神様らしいところを見せてやろう」


 次の瞬間、どろんと土煙と音を立て、神様の体が風船のように膨れ上がった。

 膨張した体はユズやミカの掌どころか身長を越え、トウジの身長も越え、とうとう路地の建物よりも大きくなった。常に脇に抱えていたはずの座布団は、いつの間にか豪奢な刺繍を施された袋へと姿を変えている。よくよく見れば、継ぎ接ぎだらけの着物から覗く蹄のある足も、鱗に覆われた両腕も、ミニチュアの時には見たことのないものだった。

 巨大になった3D福引の景品は、なるほど神々しく見えないこともなかった。

 屋根より高くなった神様は、袋の口を縛っていた金の紐をそっと解くと、勢いよく空気を吸い込んだ。小脇に抱えている袋が、吸い込む息に合わせて空気をぎゅうぎゅうと取り込んでいく。

 怪獣が火を吐く前の動きみたいだ。前と左右から聞こえていた足音のことも忘れて、トウジはぼんやりと神様の動く様子を眺める。

 どれ程の間そうしていただろうか。

 ようやく息を吸い込むのをやめた神様は、そのままゴクンと何かを飲み干すように空気を飲み込んだ。

 そして神様が袋を悠々と金の紐で結び直している間に、バタバタと周囲で何かが倒れる音が続いた。咄嗟に音がした方向の一つである前方に顔を戻す。

 トウジを追いかけていたはずの怪しいスーツの集団が、折り重なるようにあちこちに倒れていた。

 ぽかんとしているトウジに向かって、袋の結び目を整えている神様は事も無げにこう言った。

「安心しろ、殺してはいないぞ。ちょっと気力と体力を吸い取っただけだ。こういう連中でも、魂まで抜いたらお前は困るだろうからな。まぁ、しばらくは気がつかないだろうさ」

  

 


「お前なあ、あんなことが出来るなら、普段から変な奴等のことも追い払えるんじゃないのか」

 すっかり伸びているスーツの集団を踏まないよう、慎重に跨ぎながらぼやいたトウジに、神様は甘いぞと腕を組んでふんぞり返った。

「神様っていうのはお前が思うよりも万能じゃあないんだ。信じる民の願いの強さが神様に力を与えるんだぞ。トウジ、お前今まで何度私に頼ろうと思った?」

 当然ながら、何度どころか一度だってない。

「お前はへたれだが根性がある。大体のことは自分で何とかしようとする奴だ。だから今まで、神に頼ろうとしなかったんだろう。それで私も大した力は出せなかったのさ」

 誉めているのか貶しているのかよく分からないことを言い出した神様には悪いが、これまでの神様の行いを見て、頼ったり崇めたりしようという気になる方がまずおかしい。

 思わず口にしそうになったトウジをよそに、神様は尚もふんぞり返ったまま続けた。

「とはいえ有事の願い事以外に、庇護する民を見守るのは神の仕事だ。私だってさぼっていた訳じゃあないぞ」


「その証拠に、今までお前の家が襲われたことも、ユズやミカに危害が出ることもなかったろう」


 思いがけない言葉に、トウジは咄嗟に肩の上を見た。

 両目を丸くするトウジに気付かず得意気な様子の神様は、先程の膨らんだ姿が嘘のように元のミニチュア落語家のような格好で腰かけている。「待てよ、これはやはり追加のお供えものを貰っても罰は当たらないんじゃあないか? まぁ、罰を与えるのは私の側だから元々そんな心配もないか」などといつものように勝手な言い分がそれに続いているが、そんなことはどうでも良い。

 今、こいつは何と言ったのか?

 考えてみれば、これまでトウジが本当に危ない目に合っていたのは、データ上や外に出掛けたときばかりだった。家でも危ないことが無いわけではないが、居場所がばれるほどのことは無かった。外に比べれば遥かに平和だったし、ユズやミカがトウジの居ない間に被害に合うという事態もこれまで一度も起こらなかった。

 これまでは、トウジの前もっての用心と、いくらかの幸運の賜物だと思っていた。

「 お前が、家と二人を守ってくれていたのか?」

 ようやくこちらを見上げた神様の、青い被り物の口許が再び少しだけ吊り上がった。

「当然だ」

 ――――― 何せ私は、お前の『神様』なのだからな。

 得意気な様子は相変わらず可愛いげが無いし、小憎たらしい。それでもインストールされたデータを3Dプリンターで印刷したものにしては、ずいぶんと頼もしいように思えた。

 どうやら、思っていたよりもちゃんとした神様だったようだ。

 ふと、本日八度目の溜め息が漏れた。

 それは初めて怒りや焦燥ではなく、安堵と笑みの混ざったものだった。


「悪かったな、散々疫病神扱いして。あんた本当に神様だったんだな」

「今更気がついたのか、全くありがたみを感じない奴め。疫病神扱いなんて、罰が当たってもおかしくないぞ。お前はもっと、寛大な私に感謝するべきだな」

 誰にも追われない家路というのは実に良い。日頃なら憎らしさを増長させるだけの神様の尊大な物言いも、笑って流せる。

 こんな帰り道なら、肩の上にこの世ならざる者のデータの化身を乗せた生活も、それ程悪くはないような気がしてきた。

 そういえば、こいつは何の神様なのだろう。

 今まではそもそも神であること自体をこれっぽっちも信じていなかったから、今まで気にしたことも無かった。かつてこの国では八百万の神々がいたとされる。その中のどれに当たる者なのか、今更ながらふと気になった。



 だが、トウジが尋ねるよりも先に、青い被り物のミニチュア落語家は、胸に手を当て得意気にこう言い放った。

「何せ私は、データ元は由緒正しい貧乏神だからな! そこのところを混同されてもらっちゃあ、多いに困る。これからは間違えるなよ、トウジ」


 ――――― 前言撤回。

 やはり早いところ、オガタ商会を見つけてアンインストールしてもらおう。

 



 

 

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貧乏くじ男、東奔西走 善吉_B @zenkichi_b

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