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「お前さんの両親は詐欺師によって騙され、工場を経営できなくなり、お前さんが中学生の頃に一家心中を図った。だが、お前さんだけが生き残ってしまった。だから詐欺師を憎み、復讐を考えておる……よくある話じゃ」


 俺は震える手で拳を作った。


「アンタに……何がわかる……」

「わかるぞ? お前さんは人を騙すには優しすぎるんじゃ。だから、詰めが甘く失敗する。最初に言ったが、人を騙すには自分を騙せ。それが出来ないのなら今すぐ足を洗うことじゃな」


 両親が家に火をつけた時、俺は眠っていた。

 だが、運良く助けられ、一命を取り留めた。

 その時出来た大きな火傷の跡は、今も背中で燻った熱を持ったまま……まるで、忘れるなと言うように。


「……嫌だ……絶対に許さない……! この業界にいれば、いずれ父さんたちを嵌めたヤツらに会えるはずなんだ……それまでは……」

「テンプレじゃのう。まぁ今のままでは復讐も果たせず野垂れ死ぬだけじゃ」


 悔しいが、老人の言う通りだった。

 格安のボロアパートの家賃さえ、もう数ヶ月払えていない。

 大家が母さんの昔からの知り合いだから大目に見てもらっているが、それもそろそろ限界だ。


「……野垂れ死にか……それもいいかもな」


 手にしていた本をカウンターへ置くと、俺は微笑んだ。


「この本が本物だって事は認めるよ。だからと言って俺の人生が変わるわけでもない。この本を書き直せるって言うなら話は別だけど、そうじゃないんだろ? なら、なんの意味も無い」

「まぁそう悲観するな」

「何が言いたいんだ」

「お前さんの本は灰色だ」

「?」

「この本はな、幸福であればあるほど白く、不幸であるほど黒く染まるのじゃ。お前さんのはまだ灰色。わかるか? まだ真の不幸ではない」


 その言葉に俺は自分を取り囲むような本棚を今1度見た。


 その殆どが白ではない色だった。

 と、いうより真っ白の本など、パッと見見当たらない。


「お前さんが白に近づきたいのなら……この本の娘に会うといい」


 老人はカウンターの下から1冊の本を取り出した。


「……白い」


 その本は、他のどの本よりも白に近かった。


「この店に巡り会ったのも何かの縁じゃ。幸運をいのるぞ――」


 瞬間、再びむせ返るような濃い霧が辺りを包み込んだ。

 

「な……」


 文句を言おうとして口を開いた時、そこはいつもと変わらぬ都会の夜だった。


 色の薄い空、蛍光色のネオン、行き交う車のヘッドライト、消えることのないコンビニの明かり。


 そこに、古びた本屋の姿は無かった。


 あるのは、しっかりと胸に抱かれた1冊の本だけである。


「夢……じゃないのかよ」


 まるで狐につままれたような、そんな感覚に暫くその場で立ちすくんだ。


“白に近づきたいのなら、その娘に会うといい”


 こんな俺に幸せなど願う資格があるのだろうか。


 目的があるにしろ、俺はいろんな人間を騙してきた。殆どは失敗に終わったとはいえ、たった1人でも不幸に陥れた事には変わりない。

 1度踏み入れた闇の世界からそう簡単に陽の当たる世界になど行けやしない。


 俺はコンビニで肉まんを1つ買うと、アパートへ帰った。

 外の闇よりも暗く、寒い部屋で、暖かな湯気を立ち上らせる肉まんを頬張った。


 数着の衣服、薄い布団。


 幸福などとは程遠い。これが現実だ。


「……俺にはこれがお似合いだろ」


 自嘲気味に笑うと、床に投げ出していた本に目をやった。


【瀬戸七海】(せとななみ)


 タイトルには、そう書かれていた。

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