在るべき生き方と、在りたい生き方の選択


 四国ではこの二十年ほどで高速道路が整備され四国四県の往来が盛んとなった。瀬戸内海から四国山地を抜けて高知県に入る、または宇和島から旧中村市へ、もしくは久万高原町から仁淀川に抜けて出る道を使って高知県に入る等、他のルートもそうだが、山中から高知県を見たり、石鎚山に登り瀬戸内海と反対側の太平洋側を見たりすれば延々と続く山をみることで、かつて土佐と呼ばれたこの一帯が伊予、阿波、讃岐と隔絶した地であったかが分かる。山深いこの一帯に安徳天皇の陵墓候補地や壇ノ浦後に落ち延びてきた平家の隠れ里の伝承も多いのもうなずける。
 しかし、土佐という国は海運でみれば九州や和歌山との交易が盛んであり、勘合貿易への関与、琉球や李氏朝鮮との貿易、九州の諸大名とのつながりなど、日本だけでなく世界と結びついているのである。外壁のように屹立する四国山地の雄大な自然、全てに開かれた太平洋、こういった二面性が戦国や幕末で活躍する土佐の人々の行動の背景となったのであろう。

 本作『鬼の国で花が散る』は平家の隠れ里で生まれた勝隆の視点で動いていく。平家再興のために三百年の雌伏を耐えてきたその村は、終に時世に取り残され、村の存在意義である平家の再興を諦める。村を出る勝隆が長から託された剣は草薙剣であった。
 一種のユートピアである村から外界に出た勝隆は姫若子と称される長曾我部元親、もとい綾姫と出会い、生き方を模索することになる。親から生き方を強制された綾姫と、村の生き方から脱してきた勝隆の対比がこの物語を彩っている。
 また、狂言回しとして、人外の存在である白によって、物語を時には俯瞰的に人の善性や悪性から判じたり、時には読者視点でまた人の世界の生きづらさや不条理を語ったりしている。そして白達人外の、人に道を示す者達が時折人に見せる感情は、大きな歴史のうねりに翻弄される人への情愛に満ちて美しい。
 武士や家族、土地に示される人の生き方の閉塞性と、しがらみを振り切って生きる可能性、土佐を舞台に勝隆と綾姫がどう選択したのか。ぜひ読者は結末に向けて読み進んで欲しい。

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