トビラノムコウ

 その刹那せつなであった。

 キミの家は一瞬にして収縮し、元の大きさに戻ったのだ。

 だがキミは家に戻ろうとはしなかった。

 戻ろうとして、また大きくなったら厄介やっかいだと思ったからだ。

 あの布団があって、暖炉だんろの余熱があって、この大きさの家ならば、ワタシも凍えずに済むだろう。キミはそう思ったのだ。

 キミは冷酷な風の本調子を身に刻みながら歩いた。

 白い息を吐きながら歩く。目指すのはワタシの家だ。

 ワタシが歩いてきた方角に進んでいけばいつかは辿り着くだろう。そう思った。それにあの冷凍庫のように冷え切った箱の中でがたがたと震えているより、寒風の中でも歩いていた方がよほど温かい様に思えた。何よりワタシから借りた外套がいとう存外ぞんがい暖かく、家に居た時よりも体が温まっているというのだから、キミの考えは間違っていなかった。

 ワタシの家に着いたら火ばさみとゴミ籠に成り得るものを拝借はいしゃくしよう。キミはそう考えていた。

 月影つきかげはどこまでも海と砂浜とキミを照らし続けた。

 海の、水平線の上では今日もまた青白い光が瞬いている。

 そのままいったいどれほど歩いただろうか。

 キミは足腰が疲れるよりも体が温まると言う喜びがあったから、かく歩き続けることができた。

 しかし時間はキミが思っていたよりも早く流れていた。

 きしむほどに敷き詰められていた星々も徐々にその数を減らし、キミと世界を照らしていた月も薄ら笑いを浮かべている。

 空の透明度が増す。

 同時に茜色が雲を染め上げる。

 太陽が昇ってきたようだ。

 夜通し歩き続けていたという事実に直面し、キミは流石さすがに疲れたのか、その場に座り込んだ。

 海の方を、何とは無しに眺めた。

 とろとろととろけそうな陽炎かげろうを身にまとい浮上してくる太陽は、キミに健やかなる生命の活動を余儀よぎなくする為の熱を与えた。

 しばらく、ぼっと、のっそりと昇る太陽を見ていたが、ふと我に返ったように起き上がる。

「どうして!?」

 キミが叫んだのは、太陽が海の方角から昇ってきた事への驚愕からくるものであった。

 キミはいつも太陽が沈んで行った海の青白い光を見て眠りに就くと言うのだから全く矛盾むじゅんしているのだ。

 太陽の位置からするに、つまりキミは海の反対側にまで来てしまったと言う事になる。

 ワタシは確かに「長かった」とは言っていたが。

 それにしても海の反対側から来たとは驚きである。

 その事実に気付くと同時に、キミが今まで歩いてきた道のりの先に大きな鉄扉てつとびら鎮座ちんざしていることに気付いた。

 どうやらそれは初めからそこにあったようだが、キミは海やら空を見ていたから目の前に鉄の扉が在る事に気が付かずにへたり込んだようであった。

 鉄扉は高い壁に備わったもので、その壁はキミの視界が届き得る先端まで伸びており、どうやらこの扉を開けなければ先に進めないようであった。

 逡巡しゅんじゅんはあったものの扉を開ける以外の選択肢は用意されていないように思えたので、扉のノブに手を伸ばした。

 その時ふと頭の隅によぎったのはワタシの事だった。

 ワタシはとても疲れていたようだったが、ちゃんと起きられただろうか。起きてゴミを拾っているだろか。ゴミが無いと夜を越せない。それをワタシは解っているのか。

 今更に考えても仕様がない事だと割り切り、キミはドアノブを引いて鉄扉を開けた。


 扉の先には同じようで同じではない景色が広がっていた。

 まず同じなのは砂浜が白く平らにあると言う事。また、青色の海が潮騒しおさいを奏でていると言う事。

 同じではないのは、幾人いくにんものワタシが居た事。

 一人は喜びの歌を歌いながら。

 一人は怒りに叫びながら。

 一人は哀しみに膝を折りながら。

 一人は楽し気にスキップをしながら。

 みな、思い思いに海の向こうに向かって投げていた。

 白いかたまりを。

 ぽちゃんと言う音が潮騒に飲み込まれ、それはふよふよと浮きながら沖へ沖へと流れて行く。

 もしかするとあの黒いゴミは、この白い塊の成れの果てなのか。キミは瞬時にそう解釈した。

 で、あるとするならば、このワタシ達はずっとずっと昔から、キミが夜の寒さに凍えないように、一人一人の感情はどうあれ、投げ続けていたと言う事になる。

 あの橙色だいだいいろの暖かい炎を作る為の、燃料と成り得る何かを。

 キミは砂浜に転がった白い塊を拾い上げた。

 キミは渇望かつぼうした。

 あそこで暮らすワタシの安寧あんねいを。

 ワタシが凍えてしまわぬように、海の向こう側に届きますようにと願った。

 キミは大きく助走をつけて思い切り白い塊を海へと投げた。

 

 ――キミはワタシになった。

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白い砂浜、黒いゴミ、キミとワタシと暖炉とスープ 詩一 @serch

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