ワタシ

 いつも通りに起きて、キミはゴミ拾いに出掛けた。

 いつも通りに拾っていると、向こう側から何かが近づいて来た。

 砂浜を慣れたような足取りで歩いてくる。

 キミは急激な緊張に襲われた。初めて自分以外の人を見たから。

 不安と焦燥しょうそうが押し寄せたまま帰っていかない。波とは違う潮騒しおさいが耳の付け根で不協和音を奏でる。

 そんなキミの心配を余所よそに、その人物は歩調も変えずざっざっと砂を蹴り蹴り近づいてくる。

 キミは意を決して話し掛ける事にした。

「あの、すみません、すみません。どちらさまでしょうか?」

 するとその人物は何拍か置いて、キミを見た。

「ああ。ああ? ……嗚呼ああ、はい。何か?」

 最初は特に何の気もなく、次には意識を取り戻しながら現状を探るように、最後にはどこか諦めて溜め息を吐くかのように、感情を目まぐるしく変えながら質問を返した。キミの言った言葉はあまり伝わってなかったようなので、もう一度言い直す。

「どちらさまでしょうか?」

「ああ。ああ? ……嗚呼、ワタシ? ワタシはワタシだよ。それ以外ではない」

 それはそうなのだろうけれどもさ。とキミは内心思っている。あきれたように開かれた口が言わずもがなに語っている。

 しかしながらキミはもう一度質問しようとは思わなかった。ワタシと言ったワタシは酷く疲れているようであったし、毎度毎度今し方のあれを繰り返されたのでは堪らないと思ったのだ。

 ワタシと言う人物は外套がいとうのフードを目深まぶかまでかむっており表情などは読み取りにくかったが、こけた頬が少しだけ動いて、微笑んでいるらしい事が解った。

「それを」

 と言ってワタシが指したのは火ばさみとゴミかごだ。

「ワタシがやろう」

「疲れているようですが、大丈夫ですか?」

「うん。できるよ。貸してくれ」

 そう言うので、キミはワタシに火ばさみとゴミ籠を渡した。

 ワタシはひょいひょいとゴミを拾っては籠に入れていく。

 妙に慣れているので変だなと感じた。

「あの、もしかして見ていたのですか?」

「そうだね。ワタシはずっと向こうからキミの事を見ていたよ」

「そうですか。でもなぜ手伝ってくれるのですか?」

「うーん。理由は特にないよ。ただ悪意もない」

 嘘を吐いているようには見えなかった。

 二人はしばらく砂浜の上を歩きながらゴミを拾った。空が茜色になるまで拾って、ワタシが満足そうだったので、キミもとても満足そうに笑った。

 キミはワタシを家に招き入れることにした。なぜならもう冷酷な風が吹きつけてきたから。

 見渡す限り何もない所だ。ここから見えないと言う事はワタシの家はさぞ遠かろう。キミはそう思い、ワタシを連れて帰ることにしたのだ。


 家の前に着いて驚いた。

 なぜならキミの家は大きくなっていたから。

 単純二倍程度の大きさ。

 いったいどうやって大きくなったのか?

 ただの見間違いか?

 疑問は様々よぎったが、とりあえずは中に入ることにした。

 玄関の扉もノブが二つになっており、よく見れば観音開きになっていた。

 本当にここは自分の家なのだろうかとキミは疑問に思いながらも、やおら扉を開けて中に入る。どこかよそよそしなキミとは相反して、事情を知らないワタシは案内されるままに意気揚々いきようようと入ってくる。

 部屋の広さも倍になっているが、内装そのものは変わってない。例えばベッドは一つだし、暖炉だんろも一つだ。その大きさも変わっていない。只管ただひたすら家のみが大きくなってしまっているのだ。

 ワタシは着ていた外套を脱いでキョロキョロと辺りを見回した。

「ここに置いても良いかな?」

 ワタシはベッドを指した。

「ええ、どうぞ」

 キミに言われるまま、ワタシは外套をベッドの上に置いた。

 キミは暖炉にゴミをくべる。

 ワタシもそれにならってゴミをくべた。

 火を点けるともくもくと煙が上がり、柔らかな橙色だいだいいろが室内を明るくした。

 しかしキミはなかなか温まらないといった様子で両手を抱いて体を震わせている。暖炉に近寄ったがいつも通りの熱を感ぜられないようで、キミはどんどんと炎に近づいていく。

「危ないよ」

 ワタシに止められなければキミはそのまま火の中に身を投げていただろう。ハッとなったキミは慌てて後ろに飛び退く。

「寒くないですか?」

「そうだね。とても寒い」

 どうやらこの部屋が大きくなってしまった所為せいで、熱が充満しないらしい。

 何か体を温めるものをと思い、スープを作った。

「飲みますか?」

「ありがとう」

 ワタシはスープを受け取り一口すすると、ほっと息を吐いた。心底安堵あんどしたような安らかな口元をしていた。

 しかしキミはスープを飲んでも体が温まることはなかった。それがなぜなのかはっきり解らないが、不安と焦燥しょうそうが心の中で渦巻いているのは間違いなかった。

 スープで体が温まったらしいワタシはしばらく凍えるキミの代わりにゴミをくべていたが、くべるゴミも底を尽いた。

 キミは体が温まっていなかったが、くべるゴミもないとすれば火の始末をするより他に仕様がないので火を消すことにした。

 ワタシはとろんとした瞳で欠伸あくびをする。

「とても疲れたよ。本当に長かった」

 うつらうつらとするワタシをキミは揺すって起こす。

「こんな所で寝たらいけませんよ」

「……うん」

 言葉では頷いているものの、実際に首を振る力もないようだ。

 今のワタシは体が温まっているからいいだろうが、部屋が暖かく無い以上、このまま床で寝てしまったら凍えて死んでしまう。

 キミはワタシをずるずると引きずってベッドまで運ぶと、再度呼びかける。

「何とか一度起きてください。このベッドで寝てください」

「ああ。ああ? 嗚呼……、ありがとう。しかしキミはどうするのか」

 言いながらも舟をいでいる。

「そうですね。ええ。困りました。確かに困っています。毛布を一枚床にでも敷いて何とかしようとしていましたが、これほど暖まらないとは思わなくて。あの、外套を貸して頂けますか?」

「ああ。ああ? 嗚呼……、くるまって眠るのなら、それはワタシの役目ではないかい?」

「いえ、包まって眠ってしまっては凍えてしまいます」

「なら出掛けるのかい?」

「ええ。お疲れのようですので。このままここにいると凍えてしまいそうですし、あの外套はとても暖かそうだから、歩いていれば温かくなるかも知れません」

「そうかい。外套は構わないよ。それよりありがとう。ベッドを譲ってくれて」

「いいえ。今にも寝てしまいそうですから。どうぞおやすみください」

「おやすみ」

 言うが早いか、ワタシはすうすうと寝息を立てていた。

 キミは外套を着て外に出た。

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