ハードル上げ

詩一

ハードル上げ

 ハードル上げ。

 と言う競技がある。

 ハードル走でもなく、重量上げでもない。

 ハードル上げ。

 ごく最近までマイナースポーツであった為に競技人口は少なかったのだが、とあるユーチューバ―の働きにより爆発的な人気を獲得し、今では皆が知るスポーツとなった。

 2032年のオリンピックの公式種目になるかも知れないということで注目を集めており、IOCによる選考が目下遂行中である。

 この競技は一対一で行われる。

 お互いに大袈裟な事を言ったり自らにプレッシャーを掛けたりするなどをして自分のハードルを上げていき、最後にそのハードルを越えた者の勝利となる。

 高跳びと言う競技が最も近いわけだが、そのハードルの高さは通常の高跳びではとても跳べるような高さで止まってくれない。

 その為、道具を使って越える事も良しとされている。

 であるので、棒高跳びと言う競技が一番近いだろう。

 ただ棒高跳びの様にハードルの向こう側に分厚いマットが敷かれているわけではなく、厚さ1cm程度のマットが申し訳程度にちょこんと置いてあるだけだ。あくまでも越えた後の責任は自分で取らなければいけない。

 下位選手の戦いでは、脚立きゃたつを持参してそれを利用して越える者もいたが、2m弱の高さですら着地の際に骨折をする者もいた。

 ハードル上げの問題点は、選手の言った『大袈裟』がどれほどの分量なのか、機械が判定する為に選手自体が言ってみるまで解らないうえ、一度上がったハードルを下げる事は出来ない事にあった。

 越える越えないの判断は最終的に選手にゆだねられるが、上げ過ぎてしまって跳べないと判断した選手には勿論棄権も許されている。ハードルをくぐるのだ。するとその時点で棄権と見做みなされる。ただし相手選手が棄権したからと言って即刻勝利になるわけではない。自分も越えなければいけない。だから相手の『大袈裟』にいかに付き合わず越えられそうなところでハードルを止めるか、と言うのも重要なファクターとなっている。

 そう言う駆け引きを楽しむ事がこのスポーツの醍醐味であるが、最近までマイナーであった為、その点を理解せずになんだか簡単そうだし面白そう、と言う理由だけで競技者になる者が多数いた。

 そういう背景もあり、今大会には多くの有象無象が押し掛けた。

 開幕当初はいまいち盛り上がりに欠けたこのハードル上げだったが、上位選手たちの競技を目の当たりにした観客たちは、その戦いぶりに魅入られた。そしていよいよ大詰め頂上決戦となり、ここ横浜国際総合競技場のボルテージはマックスになっていた。

「さあ、いよいよ優勝者を決める戦いが始まりました。先攻は上長屋じょうちょうや)佐出成さでなり選手、後攻は越神こえがみ羅三央らみお選手。どういった戦いを見せてくれるのか」

「楽しみですねえ」

 実況と解説の声が会場内に響き渡る中、選手がそれぞれのハードルの前に着く。

 ハードルの前にいるが、そこから退いて、助走を付けてから跳ぶことも、あるいはバックヤードに道具を持ちに行くのも自由なので、形式上のホームポジションとなる。

 二つのハードルの中央には審判が待機。白旗と赤旗を持っており、選手がしっかりとハードルを越えたかどうかの確認をする。

 まずは先攻の上長屋が『大袈裟』な事を言う。

「いや、何このハードル。スタート時点とは言え1mって超くさだぜ。低過ぎてまたげちまうんじゃねえか? オイラは別に2mスタートでも良いんだけど」

 機械が判定してハードルが上がって行く。

「おおっと! いきなりの2mスタートOK宣言! こんな具体的な数字を出されては、機械も2mまで上げざるを得ないぃい! なおこの自動で音声を判別して『大袈裟』を測定する機械は目途橋めどばし精密機器製作工場、通称メドデンが製作しております」

「本当に精密で正確な機械なんですよねえ。うん、素晴らしい」

 負けじと越神も声を張る。

「スタート時点で何メートルなど関係あるまい? ワタシは別に何メートルでも構わないよ。なんだったら、相手選手のプラス1mスタートがワタシのフォーマットでも問題ないのだがね」

 その発言により後攻選手のハードルはぐんぐんと伸びていき先攻選手を追い抜く。

「何という大胆不敵! 何たる糞度胸! この男には始めから限界が用意されていないとでも言うのかぁああ!?」

 などと言う攻防が続き、二人の選手のハードルはぐんぐん伸びていき20mは優に超えるところまで達していた。

 常軌じょうきを逸している。

 6階建てのビルに相当する高さだ。

 仮にハードルを越えられたとしても、着地の際に骨折では済まされない。下手をすれば死ぬ。

 観客席にいる人々はあまりのハードルの高さに感嘆の域を越え、遂には笑いだしていた。

「ふん。負けを認めるなら今しかないぜ。どれだけハードルを上げたところでオイラには関係ねーからな。まさかこのに及んでくぐるんじゃねえだろうな」

「おおっと! これはいけない! 危険すぎる挑発! 潜ると言う棄権の権利を相手から剥奪はくだつしようとしているぅう! これに越神選手はどう応える!? 挑発に乗ってはいけないが!?」

「何を心配しているのかと思えばそんなことか。ワタシは潜らない。それくらいなら死を選ぼうではないか」

「あああああっと! やってしまった! 乗ってしまった! やはりこの二人は常軌を逸している! 神なのか、この二人から限界と言う言葉を奪ってしまったのは!! なおこのどれだけ伸びて風にあおられても一切揺れない強靭なハードルは、有限会社鹿士根鋼しかしねはがねが製作しております」

「いやあ本当に素晴らしいですよねえ。鉄鋼と言ったら鹿士根鋼。間違いない」

 上長屋は意を決したようにハードルを見る。

「オイラは行くぜ? 今は確かにお前の方がハードルは高いが、どうせお前にそのハードルを越える事なんかできやしねえからな。もうこれ以上ハードルを上げても仕方ないだろ」

 そう言い切り、上長屋は勝負の時を迎える。

 ふうぅっと息を吐きハードルを見る。

「あれ? おいおいおいおい、なんだよ。この大会の運営委員会はやる気ないのか? オイラは越える気満々なのに用意されてないから無理だわ。階段が」

「出してきたトンチぃいいい! これぞ上長屋選手の抜きっぱなしの伝家の宝刀! 第一回戦からずっとやらかしてきたトンチ・オブ・ジ・イッキュウ! 屏風びょうぶに描かれた虎を捕まえてやるからさっさと出してそうろうぅうう! これには一休宗純いっきゅうそうじゅん足利義満あしかがよしみつもびっくり! しかしジャッチはどう取る!?」

 審判は白旗を上げた。

「ホワイトフラッグ! 上長屋選手またもや越えずに越えた判定! そりゃそうです! 道具の持ち込みオッケーなのはわかったけど、ある程度そっちで用意しておいて貰わないと困るよーだって持ち込みオッケーのカラオケでもジュースくらいは置いているでしょ、と言われたらぐうの音も出ない! 完全に主催者サイドの準備不足! 場内は一杯食わされたと言った雰囲気に満たされています! しかしこれに対して越神選手はどうで……おっと? 何やら電話をしているぞ? 何かバックヤードに指示か?」

 場内がざわつき始めて数分後、慌てた様子で競技場に入ってくるスーツ姿の男がいた。

 越神の前に立って何やら会話をしている。

 そのうちにスーツの男がタブレット端末を取り出して越神に見せ、相談をし始めた。

「謎のスーツ姿の紳士の情報が入ってきました。なんとあの紳士はスーパーゼネコンである天鎬あましのぎ建設の敏腕一級建築士の方だそうです! おっと更に新しい参入者です」

 スーツの男に寄って行く作業服の男。

「彼の情報も入ってきました。どうやら彼はその敏腕一級建築士の方の直属の部下で施工管理を任されているようです」

 越神は審判に話し掛けた。

「審判。七日欲しい。七日あれば階段を作り上げられる。彼が屏風の中の虎を出して候と言うのなら、出してやろうという話なのだが」

 審判はOKの判断を下し、大会は七日間開けてからの再開となった。

 当日。

 会場には前回にも増して熱気が満ちていた。

 20mを超えるハードル。

 申し訳程度のマット。

 そしてハードルと高さを同じくする階段。

「越神選手! やってのけてしまったぁあ! さあさあさあさあ、屏風の外に出た虎をどう捕まえるのか、できるものならやって見せよと足利義満ご満悦ぅうう! それにしてもたった七日間で20mにも及ぶ階段を、地鎮祭じちんさいから基礎工事、完成に至るまで完璧な段取りで行った天鎬建設は流石としか言いようが有りません」

手摺てすりまで付いて足の不自由な人への配慮まで、完璧な仕事ですね。いやあ流石。小さなものから大きなものまで建築に関する事なら天鎬建設、ですな。うん」

 上長屋は階段の手前に立つ。

「階段さえあれば越えられると豪語していた上長屋選手! 意地と根性で階段の前に立ったがこれは絶対にやめておいた方がいい! なぜならハードルの向こう側は薄っぺらなマット。これではビルの屋上から自殺をするのと変わらない! 長すぎる十三階段! そんな光景を我々も見たくはありません! しかしながら絶体絶命! どうする!?」

 上長屋は大きく深呼吸をして走り出した。

 そしてそのまま走り抜ける。

 階段の横を。

 ハードルを潜りながら土下座。

 ピタッと止まったそれはあまりに見事で、誰が見ても敗者を明らかにするものだった。

 周りからは落胆からか安堵あんどからか、多数のため息が漏れた。

「それはそうです! いくら自身のプライドを掛けた大勝負とは言え死んでしまったら意味が無い! 賢明な判断です! しかしながら越神選手はどうするのか! 自分も越えられなければ意味が無いぞ!?」

 ――パタパタパタパタパタパタ。

「おや? この音は? レッドホットチリペッパーズのベース音……ではない! これはヘリコプターの音です! 越神選手この七日間でしっかりチャーターしていたぁああ! ヘリコプターから垂らされたロープに掴まりあっさりハードルを越えていきます! どうやら虎を捕まえる為の縄を持って来たのは上長屋選手ではなく越神選手! これは上長屋選手がぶっ放したトンチへの皮肉かぁあ!? そして今、無事に着地、いや着陸! ジャッチメントホワイトフラッグ文句無し! 勝者、越神選手! 素晴らしい戦いでした!」

 こうしてハードル上げ大会は幕を閉じた。

 この戦いの後、彼らの戦い方を真似する選手が続出した為、ハードル上げの趣きが変わって行った。最終的にはヘリコプターの飛ばし合いになり、スポーツとはかけ離れたマネーゲームになり、当初のハードル上げの妙は消え失せた。

 その状況を見て、IOCの総会の面々は口を揃えてこう言った。

「そもそもハードル上げって競技自体、スポーツじゃないんじゃね?」

 IOCの遅すぎるとも言える判断により、ハードル上げはオリンピック公式種目の選考から落ちる事となった。

 しかし、この競技を支えた各社の株価は一度上がったきり落ちる事は無かった。

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