灰色の雲(2)
「ただいまー」
「到着! じゃ二人とも手洗って、お口ガラガラな!」
夕方5時少し前、帰宅。子どもたちは、靴を脱ぐと同時に朝と同様競い合うように洗面所へとダッシュしていく。
「とーしゃん、がらがら、やった!」
「みーも、やったよ!」
「よーしOK! テーブルにおやつと麦茶あるぞー」
「「くまさん!!」」
リビングのローテーブルへ駆けつけた二人は同時に嬉しそうな声を上げる。今日のおやつはくまさん形のミニパンケーキだ。ホットケーキミックスと潰したバナナ、卵をを混ぜて生地を作り、クマのデザインのシリコン型に流し込んでオーブンで焼く。この超お手軽パンケーキは焼いた後冷凍保存も可能なので、レンジでちょっと加熱すればいつでも美味しく食べられる。ミニサイズだから夕ご飯が食べられなくなる心配もなく、とても重宝だ。
子供達がおやつと遊びを楽しんでいる間に、夕食の仕上げだ。下準備を終えたポテトサラダの具材をボウルに入れ、マヨネーズと塩で調味する。味が濃くなりすぎないよう、大人の舌には少し薄めと感じる程度に仕上げる。二人とも大好きなメニューなので作る分量も大盛りだ。
ハンバーグのタネは既に小判形に丸め、トレイに並べて冷蔵庫に入れておいた。子供用は、大人のサイズの4分の1程度のミニサイズだ。トレイを冷蔵庫から取り出し、子供用のタネをフライパンに並べる。両面を一旦焼いてからタネの厚み半分程度の量の水を入れ、蓋をして蒸し煮のようにすると、中までしっかり火も通り、しかもふんわり柔らかなハンバーグが焼ける。フライパンに残った水分にケチャップ、ソースを加えて煮詰めれば、簡単で美味しいデミグラスソースができる。
子供用のトレイ二つにポテトサラダを盛り、焼けたハンバーグを乗せてソースをかける。お迎え前に作っておいた野菜とソーセージのコンソメスープを小さな器二つによそい、それぞれのお茶碗に白飯をしっかりめに盛る。全メニューが仕上がったところで時計を見上げると18時50分。19時に夕ご飯という日課通り、順調だ。
できた夕食が子ども仕様に少し冷めるまでの間に、いつものようにトートバッグから保育園の連絡ノートを取り出してダイニングの椅子に座る。りす組担当の平田先生が書いてくれる細やかに温かいコメントを読むのは、毎日の俺のささやかな楽しみだ。特に今日は、さっき園で先生が言ってくれた二人の持つ可能性の内容に、自ずと胸が高鳴る。
『7月5日(金)
7月からコース別授業が始まり、今日で1週間ですね。前もってお渡しした日課表の通り、りす組は午前中はコース別クラスでの授業ですので、晴くんはアートコース、湊くんはミュージックコースのクラスで今日も思い切り楽しんでいました!
晴くんも湊くんも、日々驚くほどの成長を見せてくれています。
アートコースの晴くんですが、彼の作品には対象物をできる限りリアルに創りたいという意欲に溢れています。いろんな色や形の画用紙とクレヨンを用意し、好きな紙に好きな絵を描くという授業では、赤い長方形の紙を選んで窓やハシゴ、ホースのぐるぐるを描き込み、見事な消防車を完成させました。その発想力や完成度にはアートコース専門の先生も驚いております。
ミュージックコースの湊くんは、練習する歌をあっという間に覚えてしまうんです! メロディを外すことなく、とても綺麗な声で歌います。また、リズム感もとても優れています。音楽に合わせて体を動かす授業では、驚くほどリズムに合った機敏な動きができると、担当の先生が目を輝かせて報告してくれました。
大袈裟ではなく、お二人のこれからの成長が楽しみでたまりません!!
来週の月曜日以降、今週の授業風景の画像や創作した作品をWebで公開いたします。どうぞ楽しみにしていてくださいね! 平田』
「……」
読み終えた俺の口から、思わずほうっとため息が漏れた。
驚愕と感動の入り混じった、嬉しすぎるため息だ。
我が息子たちは、どうやら俺たちが思っていた以上の、素晴らしい何かを持っている……ということだろうか?
いや、こんなスタート地点で一喜一憂するもんじゃない。「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎればただの人」とかなんとかいう諺もあったような……しかしとは言え現段階で持ってるものが輝いてるっていうのは、やはりどう考えても祝うべきことだろうが!!
大きな期待の膨張を抑えきれず、連絡ノートを胸に抱いてキッチンを小躍りする。これは一刻も早く神岡にも読ませたい。あーー、待ちきれないっ!
「とーしゃん、おなかすいた!」
「ねー、ごはん、まだー?」
膝にまとわりつく子供達の不満げな顔で、浮かれまくった思考がはっと我に返った。慌てて時計を見ればもう19時過ぎだ。いつもの夕食開始時刻をかなりオーバーしてしまっている。
「わー、ごめんな!! よし、じゃあご飯にしよう。二人ともお椅子に座ってー!」
「はんばーぐ!!」
「おいもサラダ、いっぱい!!」
「そうだぞー。いっぱい作ったからな。では、いただきます!」
「「いただきます!!」」
きちんと挨拶をしてから、二人はガッとフォークに手を伸ばし、ハンバーグとポテトサラダを猛烈な勢いでがっつき始めた。
口の周りをケチャップで汚しながら美味しそうに食べる二人の様子を、俺は改めて頼もしい思いで見つめた。
この小さな二人の腕の中には、もう大きな未来が膨らみ始めているんだ。一日一日、大輪の花の蕾が少しずつ開くように。
子供達の未来が輝き出す瞬間とは、親にとってこれほどに嬉しいものなんだ。
初めて味わうこの幸福感を、俺は深く噛み締めた。
*
神岡は、23時過ぎに帰宅した。
「お帰りなさい」
「ただいま。やっぱりこんな時間になっちゃったよ。スパークリングワイン買いたかったんだが、店で選ぶ時間作れなくてね。ごめん」
神岡は、子供達を起こさないよう控えめな声で話しながら、ネクタイを緩めて淡く微笑んだ。その目元にはどことなく疲労が浮かんでいる。
「いえ、全然いいんです。遅くまでお仕事お疲れ様でした。夕食はどうしますか?」
「んー、スープとかサラダとかくらいにしようかな。今日はポテトサラダ作ったんだよね?」
「ええ、たっぷり作ったのでおかわりありますよ。あと野菜スープも温めますね。白ワイン冷蔵庫に入ってるのがありますし、少し飲みましょうか?」
「ああ、それいいね。じゃ急いで着替えてくるよ」
静かに自室へ入っていく神岡の背中をじっと見つめた。
会社で何か問題でもあったのだろうか……いや、大手企業の副社長ともなれば、むしろ社内に問題点が何もないことの方が稀なのだろう。その責任の大きさと重さを改めて思う。
ダイニングテーブルについた神岡の向かい側に座り、ワイングラス二つに冷えた白ワインを注いだ。
「今週も1週間、お疲れ様」
小さくかちりとグラスを合わせ、ひんやりと甘く滑らかな液体が喉を通る心地よさを味わう。
「んーー、ワインが沁みますね」
「本当にな。このポテトサラダとスープもじっくりと美味しいね。君とこうして過ごす時間があるから僕は生きられるよ」
「どうしたんですか急に。大袈裟ですって」
「大袈裟なんかじゃない。これこそ正真正銘の本心だ」
神岡の表情が柔らかく解れたところで、俺は保育園の連絡ノートを手渡した。
「今日の超グッドニュースです」
平田先生からのコメントを読み進めるうちに、神岡の目は先ほどとは打って変わって生き生きと輝き始めた。
「……すごいな、うちの息子たちは……」
俺と同様、どこかふわふわと夢見るような声音で神岡がそう呟く。
「ね、すごいですよね!
心から情熱を注げる素晴らしい何かを、二人ともきっとしっかりと手の中に掴むことができる。なんだかそんな気がします。まだ二人とも二歳なんだし、その度に一喜一憂してちゃダメなのかもしれませんけどね」
俺の言葉に、神岡は明るい眼差しを上げて俺を見つめた。
「いや、今日は思い切り喜ぼうよ! それが一喜一憂だって、喜べる時は全力で喜ばなきゃ!
それに、僕も君も、子供たちががどんな時でも全力で応援するスタンバイはできてる。そうだろ?
家族で一緒に気が済むまで笑ったり泣いたりすればいい。いい時も、悪い時もね。
ひとつひとつ、思う存分一喜一憂していこう」
神岡の温かな声が、胸に深く染み込む。
「——そうですね。
あなたみたいな男が俺のパートナーだなんて、幸せ過ぎるな」
「は? 君こそ今更何言ってんだ」
二人同時に、小さく吹き出すように笑い合う。
「どんな時も、家族一緒ですね。
あなたも、仕事のことや何かで重荷を抱えた時は、ひとりきりで抱えたりしないでくださいね。
いつでも、どんなことも、俺と分け合うって、約束してください」
「……」
一瞬、神岡の肩が微かに揺れた気がしたが、彼はそれを掻き消すように大きく微笑んだ。
「うん、そうだな」
——何か、あるんだろうか。
俺にも話すことのできない、何かが。
不意に湧き上がりかけた僅かな不安を打ち払い、俺は彼に笑顔を返しながら手元のグラスを引き寄せた。
エリート変人&麗しき変人 ーA New Familyー aoiaoi @aoiaoi
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