○お題10―猫/海/リボン―

 海の見える公園。人どおりのたえた深夜のデートスポットで、ミホはひとりぼんやりとベンチに座っていた。


 夜を映す海は真っ黒ですこし怖い。そんなことを思ったのかどうか。よくわからない。たぶん――放心していた。仕事も恋もうまくいかなくて。疲れてしまって。


 だから最初、手の甲にザラザラと濡れたなにかがふれていることにも気がつかなかった。気がついたときも、べつに驚かなかった。そのときのミホには動かす心がなかった。


 夜の黒にとけこむような漆黒の毛並みを持つ猫が、ペロペロとミホの手をなめている。ふいに、まぶしいくらいの白がミホの目に飛びこんできた。よくよく見てみれば、全身黒だと思ったその猫は、シッポのつけね部分の毛だけがふんわりとまぁるく白い。


 お月さまみたい。ふ――っとそう思ったらなぜだかおかしくなって、とうとつに笑いがこみあげてきた。同時に、おなかの底から熱いかたまりがせりあがってきて、のどの奥でひっかかる。呼吸がつまって苦しい。


 苦しい。苦しい。苦しい苦しい苦しい苦しい。


 呼吸が苦しい。胸が苦しい。なにもかもが、苦しい。苦しい――。


 まるく白い黒猫が膝にのってくる。はげますように。なぐさめるように。ミホのおなかに頭をすりよせる。


 目が熱い。頬がつめたい。ヒューヒューと胸が音を立てている。泣いているのだと気がついて、気がついたところでどうにもならなくて。目からは壊れたように涙が流れつづけた。


 困ってしまって。けれど、どこか軽くなって。ミホは白い黒猫をぎゅーっと抱きしめた。



 ☆☆☆



 ミホがひとり暮らしをしているマンションまで、白い黒猫はまるでボディーガードのように送ってくれた。人に話せば『なにをバカな……』といわれそうだが、事実なのだからしかたがない。

 なにしろ、マンションのまえにつくなり「にゃあ」とひと声鳴いて、さっそうと夜の闇に姿を消したのだ。まさに『送り届けた』という感じではないか。



 そんな頭のいい猫が、全身に針金を巻きつけられた姿でマンションにあらわれたのは出会いから一か月が過ぎたある日のことだった。



 その痛々しい姿を目のあたりにして慌てふためくミホをよそに、とうの猫は比較的落ちついているようだった。動きにくそうにしながらも『大丈夫だ』というようにすりよってくる。


 おおきなケガはなさそうだったけれど、なにしろほぼ黒猫だからパッと見ただけではわからない。針金は複雑に絡まっているしカラダにもくいこんでいて、簡単にはとれそうになかった。

 とにかくカラダを傷つけないようにやさしく、けれど可能なかぎり急いで動物病院にかけこんだ。



 幸いカラダにも内臓にも異常はなく、針金をはずすのに獣医が四苦八苦するだけですんだのだけれど、こんな『イタズラ』をする人間が近くにいるのかと思うとかなしくて悔しくて――どうにかなりそうだった。



 ☆☆☆



「うん、かわいい」


 赤いリボンの、蝶ネクタイみたいな首輪を装着した『シロマル』は凛々しくもかわいい。



 いくら心配でも、野良猫を部屋に閉じこめるのはちがうような気がした。だから、提案してみたのだ。今までどおり自由に暮らしてくれてかまわないのだけど、名前を書いた首輪を形式的につけさせてもらえないだろうか――と。周囲から『飼い猫』と認識されれば、イタズラされる確率をさげられるのではないかと考えたのである。


 頭のいい子だから。話せば理解してくれるのではないかとミホは結構本気で思った。だから、真剣に説得した。できれば、これからは毎日顔を見せにきてくれないか――と。ごはんと寝床をご用意しておきますよ――と。


 そして。


 ミホの気持ちはたぶん、受けいれてもらえたのだと思う。



「にゃあ」

「シロー、おかえりー」

「にゃう」



     (おわり)



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お題でつくる短編集 野森ちえこ @nono_chie

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