座敷”なし”わらしの終わりの日々
アイオイ アクト
座敷”なし”わらしの終わりの日々
つらなる山のずっとおくのおく。
きいろに光る日がのぼると、石をもつ小さな手が、こけむした大きな岩に線をかく。
たての線と、よこの線。そして少しだけ、ななめの線。
たての線は、きのうなにもなかった時。
よこの線は、きのうなにかあった時。
ななめの線は、きのうがとても楽しかった時。
その線をかいたのは小さな子どもだった。
線をかいたら山道をとぶようにおりて、すみかにしている座敷がある小さな宿へともどる。
むかしにかいた線がまたこけむして消えてしまうほど前から、ずっとしていることだった。
「今年で四年生になりました、いつもありがとうございます、座敷わらしさま」
男の子が、部屋の小上がりにむかって礼をした。
小上がりには足のふみ場もないほど、お菓子やおもちゃがしきつめられていた。
座敷わらしとよばれた子は、男の子のうしろに立っていた。
だれにも気づかれず、そこにいた。
毎年やってきてくれる男の子と背くらべをするのが、わらしの楽しみだった。
男の子がはじめてここにやってきた時、この子はとてもやせていて、苦しそうだった。
この子のお父さんは、毎年ここへきては男の子の病気をなおしてくださいというので、わらしはその願いをかなえた。
男の子はすくすくと育ち、今年の背くらべは男の子の勝ちだった。
一度負けたら、もう勝てない。
はらいせに、男の子のひざのうらを手でちょいと押してやる。
「うわぁっ!」
男の子がお菓子の山の上にひっくりかえった。
「トシオ、座敷わらしさまに失礼だぞ」
お父さんがおこってしまった。
「トシオ、ちゃんとしなさい」
お母さんが男の子をだきおこすと、男の子は真っ赤な顔で痛そうにしていた。
「お菓子、食べていいよ」
ばつが悪い気分になったわらしは、男の子の耳元でささやいた。
「だ、だれ?」
「わらしさまの声だよ。なんとおっしゃっていたんだい」
「お、お菓子、食べていいって」
「いただきなさい、いただきなさい。わらしさま、ありがとうございます」
子どもたちがお菓子に夢中になった。
またきて欲しいな。お菓子ならあるから。
ことばはなかなか届かないけれど。わらしは毎日そう思い続けていた。
こけむす石に、たての線は増えるばかりだった。
だけどその日は、明日の朝はななめの線を描けると思った。
「あなた、どうしてここにいるの?」
だれもやってこなかった山道に、ゆかたのような服につっかけばきだけの女の子が立っていた。
「あなたのお名前は?」
女の子には、わらしが見えているようだった。
「わらし」
「そんな名前の子はいないわ。わらしは『子ども』という意味だもの」
いつもわらしさまとよばれているのに、それは名前ではないらしい。
「お名前は?」
わらしは分からないというよりなかった。
「おうちはどこ?」
「分からない」
知らない人がたくさんくるあの宿の座敷は、家とはいえないと思った。
「ねぇ、あなたのお名前は?」
「分からない」
「どうしてここにいるの? どうしてお着物を着ているの?」
「分からない」
困った顔をした女の子は、山道の木のさくに手をかけて下を見た。
「きれいな川ね。これを見にきたの?」
わらしはちがうといった。
女の子と同じようにのぞくと、谷のそこに川がながれていた。
「ねぇ、あなたはいつもここにいるの?」
「朝はいる」
「なら、また明日会えるね」
自分勝手な子だと、わらしは思った。
話すだけ話して、明日もここにくるという。
でも、わらしにとってそれは、とても楽しみだった。
毎日会って、毎日お話ができる。
はじめてのことだった。女の子にはわらしが見えて、声もきこえた。
女の子はわらしに名前をいわなかった。わらしに名前がないなら、自分も名前なんていらないといって。
「うわぁ、お菓子だ」
お菓子を両手いっぱいかかえていくと、女の子はとてもよろこんでくれた。
「あなたはお金もちなのね」
「お金はないけど、お菓子はみんながくれる」
「うふふ、ありがとう。いっぱいもらっちゃうね」
外国の字が書かれた丸いチョコレートが気に入ったのか、女の子はそれをいくつも口に入れていた。でも、たくさんは食べてはくれなかった。
「もっと食べないの?」
「お菓子はね、ちょっとだけ食べるからおいしいのよ」
そうか。明日はちょっとだけにしよう。わらしはそう思った。
楽しかった。
女の子はわらしが知らない話をたくさんしてくれた。
大人になってはたらくと、お金をもらえること。
子どもは結婚するとお母さんのおなかから生まれてくること。
死ぬというのは、ずっと会えなくなること。人はとしをとると死んでしまうこと。としをとらなくても、死んでしまう人もいること。
「じゃあ、またね」
女の子はゆっくりと、山道をおりてゆく。
少しずつ、歩く早さはおそくなっていった。
楽しい時間がもうすぐ終わってしまう。わらしは、それがわかっていた。
「ごめんね。ここまでくるだけで、つかれて、ねむくなっちゃうの」
女の子は丸いチョコレートを一つ、口に入れただけだった。
わらしは知っていた。女の子の元気がなくてやせていくのは病気だから。あの男の子といっしょだった。
「ねぇ、あなたがお菓子をいっぱいもってるの、座敷わらしだからでしょう?」
「知ってるの?」
「うん。近くの宿にお願いをかなえてくれる子どもがいるってお話。でも、あなたはちがうでしょ。わたしのお願い、かなわないもの」
わらしは女の子の願いを知っていた。
でも、お願いをかなえたら、もう会えなくなってしまう。
「ねぇ、どうしてお願いかなえてくれないのかな? 看護婦さんにだまってお菓子食べたから?」
「ちがうよ」
「おはなしができなくなっちゃうから?」
わらしはなにもいえなかった。
「ほんとはね、毎日いっぱいおちゅうしゃされてるのにね、おなかがいたいの。今もね、すごくいたいの」
分かっていた。女の子はずっとおなかをさすっているから。
たくさんはぁはぁいっていて、もう、立てないかもしれないこと。それなのに、わらしに会いにきてくれた。
「いたいの、なくせるよ」
「いたいのなくなってもね、だめなの」
「どうして?」
「お父さんとお母さんがこないって。おでんわも出てくれないって、看護婦さんに毎日いわれるの。おなかを切って、悪いところをとらないといけないのに、それはお父さんがしていいっていわないとできないの」
そんな。
この子はひとりになってしまった。もう、大人になる方法がなくなってしまったのだと、わらしには分かった。
「だから、お願い、かなえて」
「いやだ」
女の子は体をふるわせていた。
「いたいの。お願い」
女の子は泣きながらわらしにお願いをした。
「かな……える」
「ありがとう。やっぱりあなたは座敷わらしなのね」
わらしは、うんといった。
女の子は体になにも悪いところがないように、すくっと立ち上がった。
「わぁ、すごい。どこもいたくないなんてはじめて」
女の子はうれしそうに笑った。
そして、しっかりしたあしどりで、山道のさくの前に立った。
「じゃあ、またね」
そういうと、女の子は山道のさくをのりこえて、わらしに笑顔をむけながら、谷の下の川へと、消えていった。
こけむした岩は、たての線だけになった。
わらしは毎日、山道に丸いチョコレートをおいた。
だれにも見つからないところで、ずっとねむっていたい。女の子はそう願ったから、かなえた。
でも、わらしは毎日女の子が好きなチョコレートと、たくさんのお菓子を持って山へのぼった。
きっと女の子は、知らないうちにお菓子を食べにきてくれると、わらしは思った。
でも、お菓子はいつも生き物にとられているか、そのままおいてあった。
それでも、わらしは毎日毎日、お菓子をおいた。
いつしか、わらしは毎日山道に立っていた。
座敷があった宿は、もうずっと前になくなっていた。
わらしは女の子がねむる山道に、ずっといるしかなかった。
きのう地面がゆれて、山道のさくがなくなった。
道もくずれしてしまったから、わらしも下へとおりることができなくなった。
「会いたくない。会いたくない。会いたくない」
あの子になんか、会いたくない。わらしは心の中でくりかえした。
「さみしくない。さみしくない。さみしくない」
だれにもわらしが見えなくて、あげられるお菓子もないけれど、さびしいなんて思わない。思いたくなかった。
カァー、カァーと、カラスがないた。
カラスも、そこにわらしがいることに気づかない。動物も虫も、なにもわらしに気づかない。見てくれたのは、あの子だけ。
「会いたい。会いたい」
目からぽろぽろと、なにかが出た。
山道から下を見ると、女の子が消えていった川が見えた。
「さみしいよ。会いたいよ」
座敷すらなくしたわらしは、はじめて思った。
「会いたいよ。お願いだから、帰ってきて」
そうだ。会いにいこう。わらしはそのまま目をとじて、足を前へとふみ出そうとして、できなかった。
わらしはうしろへと、引っぱられていた。
どうしてと、わらしはいいたかったけれど、おどろいてなにもいえなかった。
「もう。やっとお願いしたのね」
わらしの手を引っぱった女の子はそういって笑った。
「あなたはお願いをかなえられるのよ。どうして早く自分のお願いをいわなかったの?」
「だって、見つかりたくないって、ねむりたいって」
「わたしは、またねっていったのに」
おぼえている。またねと、いっていた。
またねといったのに、帰ってきてくれなかったから、さびしかった。
「さぁ、いきましょう。あなたのお願いはかなうから」
「いいの?」
「うん。もう、お父さんもお母さんもずっとむかしにいなくなっちゃったもの。わたしには、あなたしかいないもの。あなたも、座敷なしのわらしなんでしょう」
「うん」
「いっしょに生まれかわろうって、お願いしよう?」
わらしはうなずくと、女の子の手をとった。
ふたたび歩きはじめた二人は、下の川へとおちることはなかった。
「おひさま、あったかいね」
「うん」
ふたりはすこしずつ、すこしずつ、空の上へとのぼって、きいろいおひさまへと近づいて、やがておひさまのまぶしい光の中へと、ゆっくりと、ゆっくりと近づき、やがてまばゆい光の中へと、消えていった。
座敷”なし”わらしの終わりの日々 アイオイ アクト @jfresh
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