第6章 勇者、ダンジョンを去る

第59話 第6章 プロローグ -涙は月夜に溶けて消える-

「……トトマ君☆」


 鈴を鳴らすように虫が囁く、穏やかで心地よい月夜。


 心身共に多大な傷を負った体を治すため、カエール教の病棟にて寝泊まりするトトマの枕元にモイモイは優し気な表情で腰掛け、その眼下で無垢に眠るトトマの頬をそっと撫でた。


 モイモイの指先が触れてもトトマはその眠りからは目覚めずにすやすやと眠り穏やかな夢を見ているようで、その頬の感触が気に入ったのかモイモイは少し力を強めてトトマの頬の弾力を堪能した。


「あはは☆大会、頑張ってたねー☆でも、あまり観に行けずにごめんね☆本当はいち早くトトマ君の下へ行きたかったんだよ☆」


 次にトトマの髪をさらりと撫でながら、モイモイは頑張った子どもを褒めるように優し気な言葉を彼へと掛けるが当たり前だが返答はない。


「あー、今まで楽しかったな☆トトマ君のおかげでいっぱい思い出が出来たよ☆ダンジョンにも挑めたし、大食い大会にも出れたし、それにホイップちゃんのライブにも行けたし☆それに、それに…☆」


 これまでに積み上げた数々の思い出を思い返すようにモイモイは一つ一つの言葉を紡いでいく。だが、その言葉は誰かに届けるためのものではなく、これから彼女の身に起こることに対する彼女なりの決意、否後悔なのかもしれない。


「トトマ君、本当に今までありがとうね☆どうしようもない私をパートナーにしてくれてありがとう☆こんな私を…、何の役にも立てない私を仲間だと言って、大切にしてくれてありがとう☆それがたとえお世辞であっても私はとっても嬉しかったよ☆」


 ずっとこのまま、時計が刻々と進む針を止めてこのままずっとトトマの傍にいられたらどんなに幸せなことだろうか。明日の心配などせず、ただ無邪気にただただ来る日も来る日もパートナーたちと過ごせたのならどんなに幸せなことだろうか。


 だが、そうはいかない。現実はそこまで優しくなく、結局神々もただ一人の少女の願いを叶えるような優しさなど持ち合わせてなどはいない。


 「不平等」と言う名の「平等」。


 「無関与」と言う名の「優しさ」。


 神はいつもそうなのだ。だがしかし、そうでなければ神ではない。


「でも、もうそれもお終い☆」


 トトマを見ていると目頭が徐々に熱くなり、そこから何かが零れてしまえばもう前に進めなくなると考えたモイモイはこの切なくも愛おしい時間を終わらせるため、その細い指で一本の短刀を握りしめた。


 そして、そのまま無言で短刀を振り上げた。その銀色に輝く彼女の愛用する短刀は月明かりを受けてその輝きを増し、ゆっくりとトトマへと振り下ろされる。


「ごめんね…☆ごめんね、トトマ君☆」


 短刀は銀の軌跡を残してベッドへと突き刺さり、その途中で刃が撫でたトトマの指先からは紅黒い血が滲む。その血をそっと拭い取り、モイモイはトトマの血をとある紙へと押し付けた。これでやるべきことは終わった。これでトトマとモイモイはただの他人となった。もはや彼女は勇者のパートナーではなくなった。


「……」


 ただの勇者とただの挑戦者の関係になった後、モイモイは眠る勇者の頬を名残惜しそうに撫でその感触と温もりを心に刻むとそっとベッドから離れる。


「…ん…モイモイ…さん」


 しかし、その瞬間、ふと勇者の口から言葉が漏れた。自分の名を呼ぶ声に、思わず驚きと喜びで目を見開いたモイモイであったが、自分に課せられた使命とを思い出すとぐっと堪えて踏みとどまり、少しだけ眠りから覚めた勇者へと顔を近づける。


「…どうしたの?☆トトマ君☆」


「あぁ…良かった。何だか…最近…モイモイさんの姿を…見かけ…なかったような…気がして」


 おそらくはまだ寝ているのであろう勇者を眺め、その寝言に、その最後となる会話にモイモイはしみじみと付き合う。


「ちょっと忙しかっただけだよ☆」


「そう…ですか…、でも…勝手に…何処かへ行ったら…ダメですよ」


「…っ!?」


「迷子に…なって…しまいます…から」


 それだけを言い残して再び深い眠りへと誘われたのか、勇者はまた規則正しい寝息を立て始めた。


「…ありがとう☆」


 モイモイはこれは欲張りだとは分かっていても最後の最後、どうして抑えきれない胸に秘めた衝動に駆られて、眠る勇者へとキスをした。彼女が幼い頃に何度も何度も読んだ絵本に出てくる勇者とお姫様の様に、キスする方が違くとも、キスする場所が違くとも、人から愛されたことも愛したこともない彼女は愛する者へする行為を勇者に行った。


「…バイバイ、トトマ君☆」


 そして、勇者の額から唇を離すとモイモイはそう言い残して病室から逃げだすように出て行った。その時、彼女の眼から涙が零れ落ちたような気もしたが、それを知るのは二人を照らしていた月だけだろう。


 月明かりの下、しばらくの間モイモイは行く当てもなくただ無我夢中で走ったが、そんな彼女の前に数人の全身黒尽くめの怪しげな女性たち、俗に言う“魔女”たちが彼女の行く手に立ちはだかった。


「もうよろしいのですか、モニカ様。そろそろ行きませんと、お母さまがお待ちしております」


 その顔は決して月下に晒さずに、魔女たちの中から一人が進み出るとそう告げた。それは怒っているわけでも不機嫌なわけでもなく、ただ丁寧にただ無関心な口調であった。


「ええ、もう全て終わったわ。私をお母さまの下へ連れてって」


「御意に。それでは、こちらに…」


 対するモイモイも同じく無関心な口調でそう返すと、彼女は怪しげな魔女たちに連れられて何処かへと歩き出す。


 そして、彼女は魔階島からいなくなった。


 いつの世も、少女を誑かすのは魔女である。


 いつの世も、その少女を救うのは勇者である。


 少女は待ついつまでも。少女は願う何度でも。


 魔女と交わした“契約”が、たとえその命が尽きても消えぬ呪いであったとしても、少女は救いを願い、それに呼ばれて勇者は必ず現れる。


 だが、所詮それは御伽話の中だけでしかない。


 この世界の数多犇めく人々の中、ただの一介の少女に過ぎない彼女のために勇者は立ち上がることなどない。


 そう、ただの勇者は立ち上がらない。立ち上がるとすれば、それは愚か者の所業であろう。愚かで、臆病で、力が無くて、何の取り柄もない、モンスターとおしゃべりすることができる程度にしか能のない変な者にしかできないことである。


 これは、そんな勇者と1人の少女と沼地の魔女の織りなす御伽話。

 

 その顛末は、神のみぞ知るのだろう。

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新・魔階島 辺銀 歩々 @hengin

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