蛇姫伝!

れなれな(水木レナ)

すがを呼べ!

 昔、烏山(からすやま)城主の大久保佐渡守常春おおくぼさどのかみつねはるという殿さまに、琴姫ことひめという姫があった。

 姫は字が達者であられた。

 ご愛用の硯(すずり)と墨はからすの文様が刻まれてあったとか、なかったとか。


 そしてそのそばにおったは、すがという娘。

 姫に仕えるその娘はたいそう器量よしの、料亭ひのきやの一人娘であったという。

 髪は姫に負けないくらい黒々とし、ふっくらとした肌に黒曜こくようの瞳で絶世の美女、といっても差し支えなかった。


 このころ、家老の佐伯左衛門さえきさえもんが、ひそかに怪しい動きをしておった。

 江戸の隠密がさぐると、なんと、殿さまの留守に密貿易を企んで、城の内外に家来を見張りに立たせておったと。


 姫は言った。

「すが、この佐伯左衛門の悪行を記した証拠の密書を、ひのきやにいる植原一刀斎うえはらいっとうさいという剣客に渡しておくれ。くれぐれも、内密に」

 すがは、心得ました、と密書を懐に入れ、深々と礼をした。


 なんということか。

 これが今生の別れとなるとは、思いもしない。

 姫も、すがも!


 すがが、密書を抱えて御城内から下りると、そこに待ち構えていたのが倅源之助せがれげんのすけ

 佐伯左衛門の手下だった。

 彼はすらあっと刀を抜くと、

「何者! こんな夜中にどこへ行くつもりだ。なにを持っている!?」


 言うなり、すがを袈裟ぎりにし、密書を見つけた。

 すがは息も絶え絶えになりながらも密書を離さない。

「ええい! よこせ!!」


 源之助が密書を奪おうとすると……密書の入った文箱(ふばこ)に巻きついていた烏蛇(からすへび)がぬるりとその手に絡んだ。

 さあ、どうしたこと。

 その猛毒を持つという烏蛇は、源之助の腕に牙を立てた。


「ぐああ! な、なんだ!? 腕が、腕がア――」

 と、安っぽい漫画のように源之助は大声でわめいた。

 騒ぎになったので、家老の家来が集まってきて、密書を無理やり奪われ、すがは命をおとした。


 嫌な風が吹いた。

 ぬばたまの闇に、星一つなく、烏が鳴いていた。

 そして……。


「姫……密書を、とられてしまいました。申し訳ございません……」

 どこからかすがの声がしたと思うと、雷が鳴り――姫の部屋の障子にザンバラの髪を振り乱した女の影が映った。

 姫が迷わず障子を開け放つと、そこには血まみれで蒼ざめたすがが立っておった。


「すが!」

 姫がうつくしい声で、しかし悲壮に叫ぶと、すがの姿形は消え去り、かわりに姫様の部屋の片隅で、黒い小さな烏蛇がものも言わずに姫を見上げておった。


 すがは、御勤めを果たせず無念だったのだろう。

「すが……!」

 琴姫はハラハラと涙を流し、すがの最期を知った。


 雷が鳴った。

 琴姫は震えながら、おののきながら、すがの姿を探した。

「すがを、すがを呼べ!」


 幾重にもなるふすまを開け、さまようようにきょう乱する琴姫の後を、黒い影がしゅるりしゅるりと追いかけた。

 烏蛇だ。

 それはまるで気遣うように姫のそば近くによって見守っていたと。


 姫は事の次第を信じたくなくて、半きょう乱になってすがを呼んだが、もう取り返しがつかなかった。

「わたくしの頼みのために、落としたのか……命を!」

 畳に爪を立てる琴姫のそばに、行燈の暗い灯りの下へ潜むように、一匹の烏蛇が佇んで……。


 姫はかたく決意した。

「すが、おまえの死を無駄にはしない。これからわたくしは、命を賭けて佐伯左衛門をくだし、この大久保家を護る!」

 その日から――姫の周りでは不思議なことに、いつでも小さな烏蛇がいて、姫の危機には大きな力を貸したと。


 悪臣も、佐伯左衛門もすがの兄千太郎と植原一刀斎の力をかりて退けた。


 そうして、琴姫はいつしか「蛇姫様」と呼ばれるようになったそうな。

 姫を守り続けたすがの化身、烏蛇は――明治四年の廃藩置県が行われるまで、大久保家をお護りしたのだと言うことだ。


 了



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