12-2 Beyond languages【言語を越えて】

 最後の望みに、ジェシーの乗る便が欠航であることを願ったが、当たり前のように電光掲示板には通常どおりの予定で出航することが示されていた。


「あの……、ホントにこの一年ありがとう。いろいろ迷惑もかけたかもしれないけど、楽しかったよ」


 もっといろいろな言葉を用意していたはずだが、そんなものは家を出てから今までの間に全部吹き飛んでしまい、やっと出てきた言葉は、こんな月並みな言葉しかない。


「迷惑だなんてとんでもありません。私こそ突然やってきたのに、いろいろとよくして頂いて、ホントに楽しかったです。ありがとうございました!」


 今のジェシーの一人称は私になり、一年前までは下手くそだった敬語も使いこなすようになった。でも、それが今の僕には、ジェシーが遠くの存在になったように感じられてしまい、寂しくなる。


「うん……」


 ジェシーの言葉に対して、僕はそれしか言葉を発することが出来ない。


 一体、この一年で英語を学んだ意味は何だったのか?

 

 産まれてからずっと日本語をやって来た意味は何だったのか?

 

 こんな状況になっては英語も日本語もなんの役にもたたない。


「……」


 ジェシーも何も語らずただうつむき、電光掲示板にチラチラと目を向ける。


 かき氷がそうであったように、時間というものはいつの間にやら溶け去ってしまう。しばらく沈黙の内に立ち尽くしていた二人であったが、とうとうタイムリミットが来てしまい、ジェシーが顔を上げ、何かをしゃべろうとした。

 

 こんな時に、ジェシーのほうからしゃべるのを任せるのは情けないと思ったが、でも、僕からかけるべき言葉はわからない。


 じゃあ、どうすればいいのか……。


「んっ……!」


 次の瞬間、ジェシーから出てきたのは、くぐもった意味のない音だけだった。ただし、その吐息は僕のすぐ側から出ている。


 気づくと僕はジェシーのことをただ抱き寄せていた。


 僕自身ですら自分自身の行動に驚いているのだから、ジェシーも驚いて言葉を失ってしまうのも無理はない。


 心臓がそのことにようやく気づいて、人生でも一番激しくバクバクと高鳴る。


 この一年、ジェシーの側でずっと過ごしていたわけだが、こんなに密着するのはもちろん初めてだ。ずっと同じご飯を食べて、同じ学校で過ごして、同じ家で過ごして、日本語でも英語でもいっぱい会話をして、ジェシーのことはよく知っているつもりだったが、今僕が感じているジェシーはこれまでのものとは全くの別物であった。


 僕より頭一つ分小さいジェシーの金髪ポニーテールが、僕の目前にあり、その一本一本まで見ることができる。漂っている香りは、うちでいつも使っていたシャンプーの匂いだ。


 ジェシーはいつも僕にとっては大きな存在であったから、その体が小さいと思うことはなかったが、こうして全身を感じてみると、思った以上に小さい。


 いつもパワフルであったから、もうちょっとしっかりしている体つきかと思ったが、そこには女の子特有の柔らかさがあり、とても温かい。


 体に対して大きすぎるおっぱいが、僕の体に押しつけられて、その形をむにゅっと変形させる。その感触たるや、今まで感じたなによりも柔らかい。こんな状況でなかったらその感触に驚いて体を離してしまったかもしれないが、今はジェシーの全てを感じていたくてより強く抱きしめる。


 ガチガチに緊張して加減もできず、ジェシーに抵抗されてしまうのではないかと思っていたが、なんとジェシーのほうからも腕を僕の背中に伸ばして抱き寄せてくれた。


 周りの好奇の視線が僕らに集まるがそんなものは全く気にならない。今、僕が感じられるのはジェシーだけだ。


「その……、ジェシーのこと大好きだったよ。ホントにありがとう。アメリカでも元気でね」


 告白しようなんて思っていなかったはずなのに、ごく自然にその言葉が出てしまっていた。日本語の好きと英語のloveは、似ているようで使われ方はだいぶ違うのだけど、こうやって抱き合っていればその意味はしっかりと伝わってしまうだろう。


「日本人なのにずいぶん大胆ですね……。私もジョージのこと大好きでしたよ……」


 空よりも透き通って碧い瞳がうるうると僕の瞳を見つめる。そんなジェシーの表情を見るのはこの一年で初めてであったが、その意味は僕にはすんなりとわかる。


 僕らは、アイコンタクトを経てごく自然に唇を重ねた。


「もう、行かないと……」


「そうだね……」


 ゆっくりとジェシーの体が離れると、止まっていた時間が動き出したかのように回りの人が動き出す。


「ジョージ! じゃあ、またね……」


「うん、またね。ジェシー!」


 まるで今の瞬間が夢であったかのようにジェシーはいつものジェシーに戻る。もう本当に時間がギリギリであったから、ジェシーは急いで駆け出していく。


 最後にその姿が見えなくなる曲がり角のところで、ジェシーは出会ったときと同じように深々とお辞儀をして、その金髪ポニーテールを振りかざし、さらに奥へと姿を消した。


 もうジェシーの姿を見ることはできないが、僕はジェシーを乗せた飛行機のことも最後まで見送る。


 展望デッキに移ってしばらく待っていると、ジェシーの乗っている飛行機は予定通り無事に飛び立ち、どんどんとその高度を上げていく。


 やがてその姿もどんどんと小さくなり、ついには見えなくなった――。


 なんともいえない脱力感に包まれながら、それから家までどうやって帰ったのかすら覚えていない。


 昨日まで、いろんなヲタクグッズで賑やかだったジェシーの部屋は、家具を少し残すだけの殺風景な部屋に戻っていた。昨日まで住人がいた痕跡はわずかに残った女の子の香りだけである。


 その香りも今日ジェシーを抱きよせた時に感じたものには遙かに及ばず、しかもいずれ消え去ってしまうだろう。


 数時間前まで僕の隣にいた少女は、これからは遠く離れた場所で暮らすことになる。


 でも、それは二人が一生会えないということではなく、連絡先は交換しているから、いつでも電話やメールはできる。その気になれば、僕も飛行機に乗って会いに行くことだってできる。


 お互いに「またね」といって別れたのだから、その時は必ず来る。


 一年前は突然、金髪碧眼ロリ巨乳メガネポニーテール美少女が家に現れて驚かされたが、今度は僕からジェシーの家を突然訪れてサプライズしてやろう。


 僕がこの一年で学んだのは英語だけじゃなく、色の分からない少女がどう世界を色づけて幸せそうに生きていたかということだ。


 僕は英語ができるようになったことで、英語の世界がちょっとだけ鮮明に見えるようになったが、それはまだ原色だけのような世界で、まだより深い色合いの世界を見ることはできない。


 次ジェシーに会う時には、より細かい色が見えるようにして、金色の髪と藍色の瞳をもつその少女のことをより深く知れるようになっていようと思う。



(おしまい)

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金髪碧眼ロリ巨乳メガネポニーテール美少女がやって来たから、半年で英語やるか! 猫村銀杏 @narxais

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