第2話
ヘルメットの中に広がっていた極光の空が晴れると、先ほど見たガレージの光景が広がる。が、幾つか違和感があった。
どうしてヘルメットを被っているのに、密室に閉じ込められているのに、外の景色が見えるのか? ヴィルヘルムにはわからない。
ジョン・フォン・ノイマンが持ち帰った、未知世界の想像を絶する科学力が為せる技なのか、それすらもわからない。
ただ、ヴィルヘルムにも一つわかることがあった。ヴィルヘルムは今、鋼の巨人となっていた。
対インベーダー用決戦人型兵器・
全身を濃紺の
そんな彼の体を借りて外を見詰めているからか、先ほど広大に感じられたガレージが、今はこ酷く手狭に感じられた。
「……俺の体がデかい機械になってるのか? これは一体どういう手品なんだ?」
いよいよ驚き疲れてきたヴィルヘルムは頭を抱える。それに連動するようにガグンラーズも頭を抱えた。シュールな光景である。
【貴方の脳神経系をガグンラーズと接続しているので、そう思えるだけです。さあ、エインヘリャル・フローレンヴェルグ行きましょう。戦場が貴方を待っています】
ターニャが楚々とした口調ながら威勢の良い言葉を言い放つと、正面のシャッターが開かれていく。
どちらにせよ、最早退路は無い。ヴィルヘルムは己の手足のように動くガグンラーズを操り、シャッターの外に向かって、ゆっくりと歩き出す。
シャッターの外は一面銀世界だった。遥か彼方まで漂白された純白の地平。その他に色無い。
凄まじい積雪にヴィルヘルムが惚けていると、どこからか破壊音と共に誰かの絶叫が聞こえてきた。
それがトリガーだった。ヴィルヘルムは強烈な吐き気に襲われ、嘔吐した。
脳裏で無限に響き渡る銃声と砲声。怒号、断末魔。常に死と隣り合わせだった、塹壕での地獄のような日々がフラッシュバックする。
同じ部隊だったオリバーの頭が吹き飛んだ。
レーションを分けてくれたカールが自分をかばって撃たれた。
腹を撃たれた時、必死に声を掛け続けてくれたクラウスが隣の塹壕で、焼夷弾で焼き払われた。
全身に手榴弾を巻き付けたトマスが敵の塹壕に――
【――落ち着いて下さい】
瞬間、ヴィルヘルムの身体に痺れるような痛みが走る。脳裏に過ぎっていた忌まわしい日々の記憶を、僅かに痛みが凌駕した。
【気分はどうですか?】
「ゲロくせえ」
【それでも貴方には戦って頂きます。貴方は生きるという選択をした。ならば、立ちなさい】
「……お前も悪魔のような女だな、ターニャ」
【悪魔で結構です。だから、重ねて言います。立って下さい。貴方がここで立たなければ、皆が全滅します】
正面に崖でもあるのか、わらわらと男たちが
その後を何かが追ってきていた。その何かは縁に指をかけ、のそりと顔を覗かせると、一気に這い上がる。
それは筋骨隆々とした空色の体躯に、黒い刺青を入れた人型の生物だった。
「巨、人……?」
ガグンラーズとは違う。作り物ではない。本物の巨人。それが目の前に、確かに存在していた。
【フリームスルス。インベーダーの尖兵です。知恵はありませんが、小さな街なら一人で滅ぼすことができるパワーを誇ります】
「おお、ガグンラーズが立っているぞ!!」
ご丁寧にターニャが巨人の解説をしている間に、先頭を走っていた男たちの内の一人が叫ぶ。
「頼む、奴を倒してくれ!! でないと、この船が沈んじまう!!」
「助けてくれ!! アンタに全てかかっているんだ!!」
口々に叫ぶ男たちの期待の眼差しがガグンラーズ、ひいてはヴィルヘルムに突き刺さった。まるで、ヴィルヘルムに希望を見出しているように。
だが、彼らの背後には絶望が着実に迫っていた。フリームスルスは太い腕で大槍を振り上げ、足元を逃げ惑う人々に狙いを定めていのだ。
その視線に、ヴィルヘルムは既知感覚える。塹壕で常に感じていた、死神が次に連れ去る魂を品定めするような視線。
「やめろおおおおおおおおおお!!!!!」
無我夢中だった。ヴィルヘルムはガグンラーズを操り、男たちの頭上を跳躍。フリームスルスに飛びかかった。
ガグンラーズとフリームスルスは雪上でもんどり打ちながら崖下へと転げ落ちていく。しかし、フリームスルスもやられているだけではなかった。
フリームスルスは雪上に背中を着いた瞬間、巴投げの要領でガグンラーズを放り投げてみせた。
直後、ガグンラーズは轟音立てて落下する。
【派手に投げられましたね】
「うるせえ!! 俺は連合国の人間を死ぬほど殺したがな、丸腰の民間人見捨てられるほど人間やめてねえんだよ!! それよりなんだって巨人が人を襲ってんだ? 大体なんで巨人なんかがいるんだ!?」
【今、その説明を聞くよりもやるべきことがあるのではないですか?】
「何?」
【来ますよ】
直後衝撃が走る。
フリームスルスの巌の如き拳がガグンラーズの頬に突き刺さった。ガグンラーズは錐揉み回転しながら雪上に沈む。当然、そのような挙動を取れば、ヴィルヘルムが乗っているコクピットも酷い惨状になる訳で。
【ゲロ臭いです。後でコクピットの清掃を要求します】
「いくらでもやってやるよ!! それより、後で洗いざらい吐かせるからな」
【貴方は死ぬほど吐いたみたいですけどね】
「誰がうまいこと言えって言ったよ!!」
ヴィルヘルムはガグンラーズの鋼の拳を握り締め、起き抜けにフリームスルスの顔面目掛けて殴り返す。よろめくフリームスルスに続けて組みかかると、ガグンラーズの人口筋肉が唸りをあげた。
すると、フリームスルスの十数トンとあろう巨体が徐々に浮き上がり、そのまま地面に叩きつけられる。
悶絶するフリームスルス。しかし、ヴィルヘルムは手を緩めない。今度はフリームスルスの上にガグンラーズを跨らせるとフリームスルスの首に腕を回して圧力をかけ始めた。
気道を潰され、もがくフリームスルスは我武者羅に腕や足をばたつかせる。が、ガグンラーズの濃紺の装甲に傷一つつけること能わず。
フリームスルスが無駄な抵抗をしている間に、まず首筋の表皮が破れ、空色が赤で穢れる。続けてブチブチと筋繊維がまとめて千切れる音が響き、軟骨が弾け飛んだ。最後に頚椎が砕け、フリームスルスは沈黙した。
【鮮やかなお点前で】
「見様見真似の軍隊格闘術だ。殆ど
【でしょうね】
「……お前びっくりするぐらい可愛げがねえな」
【誰しも初対面の人間相手に友好的に出られるはずがないでしょう?】
「そりゃあそうだ」
現にヴィルヘルムはターニャも、ジョンのことも何一つ信用していない。決して他人のことを言えた義理ではなかった。
「――さて、あのスカしたガキの元に戻るとするか」
問い詰めたいことは山ほどある。ジョン・フォン・ノイマンにも、ターニャにも。
ヴィルヘルムは頭が痛かった。ガグンラーズ、インベーダー、巨人。余りにも多くの情報が中途半端に錯綜していて、いい加減気が狂ってしまいそうだった。
帰路に着こうとヴィルヘルムは踵を返した。その刹那、馬鹿に大きな物音が聞こえ、ヴィルヘルムは振り返る。その先には、なんと、首をへし折ったはずのフリームスルスが立った姿。
だらりと不自然な方向に首を垂らすフリームスルスは、それでもなお、その双眸でヴィルヘルムを睨んでいる。
「首をへし折ったってのに動けるのかよ、このデカブツは」
僅かに狼狽えるヴィルヘルム。そんな彼の眼前で、フリームスルスは全身に書き込んだ黒い刺青を発光させる。
【魔力値の急速な上昇を確認致しました。魔術の行使と推測されます。回避してください】
ターニャの助言が終わると同時に、フリームスルスの頭上に巨大な氷塊が出現する。ガグンラーズと同等のサイズのフリームスルスと比べても明らかに巨大で、目測でも高さは最低二〇〇メートルはくだらない。
氷塊はガグンラーズを押し潰さんと落下を始める。
「野郎、魔術まで使えるのか!?」
ヴィルヘルムは咄嗟に真横へと飛び込んで回避するも、凄まじい質量による氷塊の爆撃は漂白された大地を穿ち、割り、砕く。
砕かれた白い大地に足を取られ、ガグンラーズは派手に尻餅をついた。と、そこにすかさずフリームスルスの長い腕が伸びる。
フリームスルスはガグンラーズの右脚を捉え、ガグンラーズを力任せに投げ飛ばした。それも、先ほどフリームスルスから逃れてきた人々がいる場所へと。
どうにかしなければ。ヴィルヘルムは投げ飛ばされたガグンラーズの中で歯を食いしばる。
ガグンラーズほどの質量に押し潰されたが最後、脆弱な人間では赤い染みしか残らない。人間は脆い。本当に脆い。ヴィルヘルムが良く知る、この世の理。
だからこそ、その理に抗いたい、抗わなければならないと思う。それが戦うということであり、生きるということでもあるから。
ヴィルヘルムはガグンラーズの鋼の拳を振り上げ、白い大地に突き刺した。どうにか勢いを殺そうと試みた彼だったが、それでは止まらない。だが、それでもやめるわけにいかない。
あの悲鳴を、
あの絶叫を、
あの断末魔を、
ヴィルヘルムはもう、聞きたくない。
「止まれえええええええええええっっ!!」
咆哮する。たとえ、無意味だとわかっていても。
【それでは止まりませんよ】
「脇がごちゃごちゃうるせえ!! 潰れたトマトがそんなに見てえならイタリアにでも行けってろ!!」
【酷い言い様ですね。ですが、その心意気は非常に私好みです】
何やら語気を弾ませるターニャはガグンラーズに命じる。
【飛行ユニット展開――】
ガグンラーズの背部から、鋼の翼が広げられる。羽根のように並ぶ、無数の鋼板によって象られた大きな翼だ。
【飛翔術式・
ガグンラーズに巡る莫大な魔力が翼へと流れ始め、無数の鋼板一枚一枚に刻まれたルーン文字が発光し出す。すると、ガグンラーズの巨体は暴風を巻き起こす。
暴風は吹き飛ぶガグンラーズを押さえ込む。
「止まった……のか?」
【魔術を用い、勢いを相殺しました】
「魔術……」
ヴィルヘルムはふと西部戦線の空を舞う、黒い影を思い出した。ドイツ帝国陸軍が有する航空機の周りを飛び交っていた小さな影。
箒に乗った、実にトラディショナルな魔術師による精鋭部隊。
魔力という力を持たぬ者にはなり得ぬ、才人の衆。
「お前、魔術師だったんだな」
【私はガグンラーズに搭載されている自律思考型戦術支援インターフェース・ワルキューレ。魔術師ではありません】
「難しいことを言われても門外漢だからわからん。だが、礼は言っておく。助かったよ、ターニャ」
【意外と素直にお礼を言ってくれるのですね】
「意外とは余計だ」
ヴィルヘルムは鼻を鳴らし、改めて空色の巨人フリームスルスを睨む。
フリームスルスは大槍を構えた。体勢を低く、そして槍の穂先も落とす。
来る。ヴィルヘルムがそう直感した瞬間、フリームスルスの太ももの筋肉が膨れ上がる。同時に大きく踏み込んで突撃を開始する。
凄まじい速度で駆けるフリームスルス。その速度はもう、ヴィルヘルムの動体視力では見切れない。組み伏せるのは不可能であろう。
串刺しになる己を想像したヴィルヘルムは回避を試みようとするも、その場に縛られたように凍り付いた。今、ガグンラーズの背後にはフリームスルスから逃れてきた人々がいる。
もし、ここで回避することを選べば、彼らはフリームスルスの巨体によって轢き殺されるだろう。
「くそったれめ……」
ヴィルヘルムは悪態を吐きつつも、フリームスルスの前に立ちはだかる。心を奮い立たせて。
「力を貸せターニャ」
【何を望むのですか?】
「力無き人々を守る力を」
【何のために使うのですか?】
「目の前の理不尽を打ち破るため」
【……やはり、貴方を選んで正解でしたね。左手を前に突き出し、構えて下さい】
ターニャの言葉に従い、左手を前方に突き出すと、ヴィルヘルムに供給されている魔力に火が点ったように熱を帯びる。
熱い。身体中を溶けた鉄が巡っているようにさえ感じられた。その熱はガグンラーズの機体全体にまで及び、やがて一点に集中していく。
突き出されたガグンラーズの左腕へと。
【
左手から放出される魔力の熱によって、空気は揺らめき、雪原が融解、蒸発し始めた。しかし、熱を帯びる魔力はさらに温度を引き上げていき、空気を歪め熱風を吐き出す。されどまだ上がる。
【
遂に魔力が太陽の如き輝きを得る。純白を焦がす白光。天に掲げられるべき黄金。
【極大閃光砲術――】
しかして、それは迫り来る巨人に捧げられる。
【――
淡い黄金色を帯びた閃光が、純白の大地を走った。
恐るべき速度で駆ける閃光は凍てつく大地ごとフリームスルスの巨体を飲み込んだ瞬間、天を穿つほどの火柱が立ち上がった。。
ダイナマイトが爆竹か何かに思えるほどの大火力。声をあげることも許さぬ無慈悲な熱量。
凄まじい赤光によって焼かれた目が視界を取り戻すと、ヴィルヘルムの前には異様な光景が広がっていた。
フリームスルスはいなかった。炭化どころか、細胞の一片すら。
しかし、ヴィルヘルムの驚きはそこにない。そもそも、彼の意識は既にフリームスルスのことなどとうに失せていた。
「……こ、れは、海?」
ヴィルヘルムはこの日、何度目かになる質問をぶつける。眼前に広がる、大いなる青を睨んで。
【そういえば、まだ言ってませんでしたね。ここはドイツより北方。三方をヨーロッパ諸国に囲まれた、北緯五十六、東経三度――北海ですよ】
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