第一幕『ゲロの中の勇者』
第1話
【血液とクヴァシルの置換成功を確認。バイタル、引き続き安定。心拍数、血圧、共に正常値。魔力炉よりレリック:“G”に接続。生命維持装置の出力上昇を確認。術式:グリンカムビを実行します。近くの作業員は一〇M以上離れてください――作業員の退避を確認。最終フェーズに移行します。再覚醒まで三、二、一……】
痺れを伴った激痛と共に、ヴィルヘルムの体が跳ね上がる。目を開けばそこは闇の底。目を開いているのかすらわからないほどの深い闇。
「痛っぅ……なん、だ?」
ヴィルヘルムは激痛に呻くと、自分の舌が酷く重く感じられて違和感に襲われる。それだけではない。そもそも、体そのものがとてつもなく重く、辛うじて動かせる指すらも重りをつけているようであった。
【おはようございます】
「誰、だ?」
不意打ちのように、抑揚のない女の声が響いた。同時に目の前を青緑色に光る文字が埋めつくしていく。
バイタル値やらメンタル、魔力循環効率など、一つ一つの単語は読み解くことができるものの、それらの単語がなぜ闇の中に浮かび上がったのか全くわからず、ヴィルヘルムにとって、それはただの光源にしかなっていなかった。
青緑色の光によって薄ぼんやりと照らし出されたのは、酷く狭い空間だ。両腕を伸ばすことも、立つことすらもできない空間にヴィルムは座らされていた。
【無事、覚醒されたようですね】
「ここはどこだ? 一体どこから話しかけている? テメエは一体誰だ?」
【当機は対インベーダー用決戦人型兵器・
「……インベーダーだと? 連合の連中のことか?」
【いいえ、当機の開発理念に対人戦闘は含まれていません】
「敵は人間じゃないとでも言いたげだな? だったらなんだって言うんだ?」
【既知世界の言語に、意味が合致する言語が存在していません。インベーダーが一番適切でしょう】
「なんだそりゃ、話にならねえな。大体なんなんだ、人型兵器だの戦術支援だの。何言ってんのか全く意味がわからねえ。俺をこんな場所に閉じ込めて一体何が目的だ。そもそもお前は何者なんだ?」
暗闇の中、語りかけてくる姿の見えない謎の声の主に、ヴィルヘルムは大いに苛立っていた。
抑揚の無い声に訳の分からない言葉。ヴィルヘルムの心境としては小馬鹿にされているとしか思えなかった。
『起きたようだね。蘇生が成功して何よりだよ。ヴィルヘルム・フリードリヒ・フローレンヴェルグ』
続けて、別の声が聞こえてくる。
「今度は誰だ」
『僕はヤーノシュ。フォン・ナイマン・ヤーノシュ』
低くなりかけている声だった。変声期を迎えた直後のような、思春期の少年、特有の。
「ガキの使いに付き合う暇はねえぞ」
『酷い言い様だ。ああいや、そういえばお前はドイツ人だったっけ? それならこう名乗った方が通りが良いか――ジョン・フォン・ノイマン、と』
「……ノイマンだと?」
聞き覚えのある名にヴィルヘルムはしばし固まる。数年前、ドイツ帝国の報道機関が発行している新聞に、その名前が踊っていたのを思い出したからだ。
その記事には国、人種を問わず選ばれた幾名かの学者、技術者が未知世界と呼ばれる四大大陸が一つ、アトランティスに招聘されたというニュースが載っていた。世界に名だたる学者たちが顔を連ねる中に一人だけ、赤子とも言えるほどの少年が紛れ込んでいた。
その少年こそが――
「――ジョン・フォン・ノイマン……悪魔の頭脳か」
『ははっ、こういう時有名だと便利だね』
皮肉っぽく吐き捨てるジョンは鼻で笑った。
『さて、それじゃあ現状の説明をしようか』
「勝手に話を進めるな。俺はお前を信用していない。まずは差し当って、ここから俺を出してもらおう」
『まあ、その言い分は尤もだ。お奨めはしないけど』
やれやれという諦観と面倒臭いという怠惰な態度が、口調からこれでもかと滲み出ている。それが尚のことヴィルヘルムを苛立たせた。相手は悪魔の頭脳。世界最高の脳みそを持つ人類至宝。しかし、だからなんだとヴィルヘルムは吐き捨てられる。
このような少年に、自分を閉じ込める権限など、ありはしない。
『そんなに出たいのかい?』
「当たり前だ」
『左様で。それならターニャ、ハッチを開けてあげな』
【プロフェッサー、推奨しかねます。
『良いさ。一旦好きにさせよう』
【……承知しました】
どこか不承不承といった様子でターニャと名乗る声が了承すると、ヴィルヘルムの頭上にある天井がスライドしながら静かに開いていく。
直後、真上を見上げていたヴィルヘルムの目を眩い光が焼いた。
太陽を直接見上げたように、視界が真っ白に焼かれ、反射的に目蓋を閉じる。目蓋を通して、淡く赤い光が降りてきた。
ヴィルヘルムは徐々に薄目を開き、目を慣らしながら光の先を見る。
たっぷり二十秒ほど時間を掛けて目を開いたヴィルヘルムの視界には、黒く太い鉄骨と鉄板で組まれた天井とそこから吊るされている大きな照明が飛び込んできた。
「ここは一体――」
慣らしたばかりで未だチカチカとしている眼球を動かす。どうやら楕円形の棺桶のようなものの中に閉じ込められていたことがわかった。
ヴィルヘルムは胸の底に噴出する胸くそ悪さに歯噛みする。これではまるで死人のような扱いではないか、と。
「ここは一体どこの墓地だ……?」
自分の居場所を確認しようと立ち上がろうとしたヴィルムは、自身の胸に突き刺さる極太のチューブに気付く。
「なんだこの管は?」
「それは外さない方が身のためだよ」
つい先程聞こえたジョンの声が、今度は直接鼓膜に響いた。顔を拝んでやろうとヴィルヘルムは、馬鹿に重い体を動かして立ち上がる。しかし、思ったように足に力が入らず棺桶の縁に手をついてしまう。その瞬間、ヴィルヘルムは言葉を失った。
高い。子供の頃、ヴィルヘルムは大きな木の上に登ったことがあったが、それよりも遥かに高い。目測でも十メートルはあろう。
何故このように高い場所に閉じ込められていたのか? さらに混乱するヴィルヘルムは頭を抱えるも、とにかく脱出しなければとチューブを引き抜く。
その瞬間、強烈な
「ば、バカ!! 直ぐにチューブを着けろ!! 死ぬぞ!!」
アルミ材で組んだ足場をけたたましく踏み鳴らし、ジョンらしき少年が白衣を翻して走ってくる。少年は倒れ込んだヴィルヘルムの姿勢を整えると、彼の足元に転がっているチューブを掴み、その先に付いたアダプターをヴィルヘルムの胸に接続する。
「ターニャ、魔力供給量を十パーセントまで下げて、十秒おきに五パーセントずつ増やせ。急激な魔力供給は危険だ。
【承知しました。バイタルチェックは口頭で報告しますか?】
「そうしてくれ」
「はぁっ、はぁっ……!? い、一体、何が……?」
アダプターが接続された途端、全身に激痛が走る。呻き声を上げるヴィルヘルムだったが、徐々に虚脱感と目眩が治っていくことに安堵し、それと同時に混乱した。
「まさか、外すとは思わなかったよヴィルム」
「テメエ……ジョン・フォン・ノイマン!! 俺の体に何をしやがった!!」
「ちょっとした手術だよ」
「手術……?」
「お前、自分が死んだ時のこと覚えてる?」
「はあ? 何を言ってる?」
「心肺破裂。脾臓、膵臓、その他諸々。内蔵が七割近くダメになってた。更には出血多量によるショック状態。僕がお前を見つけた時、お前はちょうど死んだんだ」
「そんな馬鹿な話があるか!!」
「本当のことだ!!」
お互いの声が広い空間にどこまでも響く。ヴィルヘルムは生きている。それは間違いなかった。しかし、ジョンが嘘をついているようには見えなかった。
少なくとも、その声に嘘は無かった。ヴィルヘルムにはそう思えた。だが――
「俺は生きてる。意識がある。これは否定のしようがない事実だ」
「ああ、そうだね。お前は生きている。だけど、実際に死んだんだ。ヴィルヘルム・フリードリヒ・フローレンヴェルグは、西部戦線の塹壕戦で、敵兵が投げ込んだ手榴弾から、仲間を庇おうとして、死んだんだ」
一瞬、脳裏に過ぎる。自身の最期の記憶。欧州大戦最大の激戦区、西部戦線。光と衝撃。そして、激痛。灰色の空を引き裂く五機の航空機。そして、最後に見えた、風にはためく白衣。
「……そうか、お前はあの時の」
「今頃思い出したのかい? 酷い男だ」
【バイタル、再度安定しました】
ジョンが鼻で笑うその横で、ターニャが報告する。
「ああ、ありがとうターニャ。おかげで、彼の顔色も良くなってきているよ」
「それで、俺に何をした」
納得いかないことがまだある。そもそも、ジョンの言葉はあまりにも矛盾に満ちていた。生物学や医学に疎いヴィルヘルムだが、それでも心臓を失えば人間が死ぬことは知っている。にも関わらず、ヴィルヘルムは生きている。彼は自分の体に何をされたのか、問い詰めなければならない。
その権利だけは、絶対に有していて然るべきだ。
「そうだね、他ならぬお前の体のことだ。お前がどこまで理解できるかわからないけど」
ジョンは予め、そう前置きを置くと、やけに大人びた顔付きで話し出した。
「有り体に言ってしまえば、僕は破損したお前の内蔵の代わりの役目を果たすことの出来る生命維持装置をお前の体に仕込んだ。お前を生かすために」
「装置――機械で心肺機能を補ってるってことか!? 確かに理解しがたいな」
「理解できなくても納得してもらう他ない。それと、お前の左胸に取り付けてあるチューブは外すなよ? 仕込んだ生命維持装置のエネルギー供給源はお前が今乗ってる機体、ガグンラーズから供給されてる。そのチューブを外すと生命維持装置は活動を停止する。簡単に言えばお前は死ぬ。だから、気を付けてね」
「はあっ!? 死ぬ!? いや、待て。待て待て待て待て、待て!! そんなことより聞き捨てならないことを口走ったよな、今!!」
驚くヴィルヘルムに、ジョンはうるさそうに目を眇める。
「一体なんだよ、うるさいな」
「今お前、供給源がこの棺桶みたいな機械っって言ったよな? それってつまり――」
「ああ、気がついちゃったか。まあ、気づいたところでお前の運命は変わらないけど」
へらへらとジョンが笑い飛ばすが、ヴィルヘルムは何も面白くない。ヴィルヘルムは目の前の少年が、本当に悪魔のように思えてしょうがなかった。
悪魔は太古の昔から商売上手な生き物として描かれてきた。一度契約すれば欲したものを与え、契約を履行せよと求めてくる。
では、命を救ってもらったことに対する見返りは一体何か? 予想することもできないヴィルヘルムは震え上がることしか出来なかった。
【お話中のところ申し訳ありませんが、敵対勢力反応を検知致しました】
「ああ、タイミングが良いのか悪いのか。まあいい、彼に役目を果たしてもらおう。ターニャ、彼のサポートは頼んだよ」
【了解しました】
狼狽えるヴィルヘルムを気にすることなく、ジョンがその場を離れる。同時に棺桶の蓋が閉まり、再び闇に閉ざされる。
『やあ、ヴィルム。今、お前が気づいた通り、お前はそこから降りられない。より正確に言えば、お前はガグンラーズから降りたら死ぬ』
「……俺に何をさせるつもりだ?」
『ターニャから聞いてるだろう? ガグンラーズは対インベーダー用の兵器だって。兵器の役割は今更説くまでもないよね、ヴィルヘルム・フリードリヒ・フローレンヴェルグ伍長』
「戦えってのか? 俺に。死んでるところを無理矢理叩き起して。もう一度、戦場に行けと。そう言うのか?」
『そうだよ』
「……悪魔め」
『安心して、自覚はあるから』
度し難い。許し難い。
助けて欲しいと望んだつもりは無い。にも関わらず、勝手に蘇らせられて、暗く狭い場所に幽閉され、挙句戦えと命じられる。人権など欠けらも無い扱いだ。
とはいえ、もう一度死にたいとは、思えなかった。
死ぬのは怖い。ヴィルヘルムは死が己を飲み込む瞬間を知っている。もう二度と味わいたくないとも。
「くそったれ……」
悪態を吐く。
さりとて、最早退路はない。
『覚悟は決まったかい?』
「不本意だけどな」
『なら良い。ターニャ、彼に操作端末を』
ジョンがターニャに命じると、ヴィルヘルムの足元からヘルメット状の何かがせり上がってくる。
『ヴィルム。それを被るんだ』
「これは何だ?」
『世界を救う聖剣の柄――といった所かな?』
一ミリも理解できない比喩にヴィルヘルムは白ける。
「……まあ、どうでもいいか」
どうせ既に死んでいるのだから。諦念に満ちた心のまま、彼はヘルメットを被る。その瞬間、視解が虹色に染まる。柔らかな、オーロラのような光。
続けてターニャの声が響く。それも、直接、頭の中で。
【
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