第10話 遺された者

 チハルは、ミキに付き添われて、自宅に帰ることとなった。

 ミキが、心配そうな顔で尋ねた。

「チハル、本当に大丈夫なの?」

 少しだけ無理をして、笑みを浮かべたチハルは、答えた。

「大丈夫だよ。ただ、久しぶりにやったんで、ちょっときつかったね」

「何を、やったの?」

 聞かれて、チハルは戸惑った。この力のことは、今まで、誰にも話したことがなく、話すつもりも無かった。

 でも、ミキになら、話しても良いと思った。そう思ったからこそ、あの場にミキを呼んだのかも知れなかった。

「見たんだよ。私には、それしかできないからね」

 不思議そうな顔を浮かべるミキに、チハルは続ける。

「あの女性――ヒデオさんの後ろに居る女性がね、死ぬ瞬間を見たんだ」

「死ぬ瞬間?」

 ミキは、オウム返しをすることしかできない。

 果たして、話したところで、どれくらい理解してもらえるかは分からない。そう思いながらも、チハルの話は止まらなかった。

「霊の目を覗き込むとね、その人が死んだ瞬間が見えるんだ。瞬間って言うより、死ぬ直前って言ったほうが合ってるかもね。その人が、死ぬ直前に見たもの、心に浮かべたものなんかが、見えるの。声とか音は、聞こえないんだけど、でも、そういうのも全部、見えてる感じがする。色んなものが、ごちゃ混ぜになって見えるから、見た直後は、何が何だかよく分からないんだよね」

「何が見えたの?」

 こんな話をしても、疑うことなく、また、遠慮することなく、質問してくれるから、私は、ミキのことが好きなんだ。

「学校のすぐ側にある、あの交差点に向かって、走ってるっぽい景色が見えた。赤い車も見えた。その他にも、色々見えたけど、今はまだよく分からないや」

「そういうのって、後になってから、色々と分かるもんなの?」

「運が良ければ、何かを見た時に、急に閃いたり、ぼーっとしてる時に、急に頭の中が整理されたりして、”あ、こういうことか”ってなる感じかな」

「運が悪いと?」

「いつまで経っても何も分からないまま、忘れちゃうかもね」

「へー。じゃあ、後は神頼みだね。あ、でも、神様は、お金出さないと動いてくれないから期待できないなー」

「神様は、そこまでガメつくないよ、きっと」

 本当に神様が居るのかは、私には分からないけど、と思いながらチハルは答えた。

「でもさ、これで何も分からなかったら、チハル、倒れ損だね」

「そうだね。はは」

 チハルは自嘲するかのように、笑った。

「倒れるほど頑張ったのに、交差点に向かって走ってたことしか分からなかったら、ウケるね」

 言ってから、ミキが、ふと何かを思い出したような表情になり、言った。

「そう言えばさ、どうして倒れちゃうの? エネルギーの使いすぎ?」

「んー、それは自分でもよく分からないんだけど、多分、死を経験するからだと思う」

 ミキは、よく分からないという表情を浮かべて、チハルを見つめている。その視線に促されるように、チハルは続ける。

「死ぬ瞬間の光景とか、想いとか、そういうのが全部見えるから、精神が疲れちゃうんだと思う。直接、痛みとかを感じるわけじゃないんだけど、そういうのも見えちゃうんだ」

「へー」

「危ない目に遭った時に、ヒヤッとするでしょ? あれの強力版って言えば、少しは分かりやすいかな?」

「へー、なるほどね。へーへー」

 ミキは、頻りに頷き、納得していたかと思うと、チハルに言った。

「やっぱり、チハルはすごいねー」

「え、いや。そんなことないよ」

「だって、そんなことできる人、居ないよー?」

「でも、他の人には言わないでね」

 こんな話が他人に伝わったら、気味悪がられたり、証拠を見せろと絡まれたり、ろくなことが無いに決まっている。

 嫌な想像をして、黙り込んでいたチハルに、嬉々としてミキが言った。

「チハルは、何回も死ねるんだね」

「え?」

「だって、普通の人は一回しか死ねないじゃん。でも、チハルは何回も死ねる。これってすごいことだよー」

「いや、死ぬのは一回で充分だよ」

 相変わらず、ミキは、感性が不思議だな、とチハルは思った。


 タカシは、まさに今、外野がこちらに向けて投げようとしているボールを注視した。

 ボールは、タカシの胸を目がけて、真っ直ぐに飛んでくる。

 避けるか? いや、捕る。

 タカシは、自分の胸の前でボールを受け止めつつ、両の腕でしっかりと押さえた。

 反撃だ。

 タカシは、身体の向きを変え、相手の内野選手目がけて、ボールを放つ。

 ボールは、相手の右腿にぶつかり、斜めに跳ね返った。

「あー、やられたー」

 試合終了だ。

 こうして、放課後のドッヂボールは終了し、子ども達は、銘々にランドセルを背負いだした。

「また明日なー」

「この後、駄菓子屋行こうぜ」

「うん」

「うちでゲームしようぜ」

「今日こそ勝つ!」

「タカシー、お前はどうする?」

「今日は、帰ろうかな」

 子ども達の集団は、いくつかの小さな集団に分かれて、校門から飛び出していく。タカシは、みんなが出ていくのを、見届けてから、一人で家路についた。

 本当は、みんなと、もっと遊んでいたかった。でも、今は、ゲームは……。

 家に着いて、玄関の鍵を開ける。靴を脱いで廊下に上がると、タカシの気分は、一気に落ち込んだ。

 タカシが廊下に上がると、いつも、おかえり、と言って迎えてくれた母は、もう居ない。

 タカシは、自分の部屋へと行き、ランドセルをベッドの上に放り投げた。少し前までは、この後、すぐにテレビゲームをするのが習慣だった。

 ベッドの端に座ったタカシは、テレビの前に置かれたゲーム機を見つめ、深い溜息を漏らすと、自分でも分からない内に、涙を流していた。

「お母さん……ごめんなさい……ごめんなさい」


 翌日、休み時間に、トレイに行こうとしたタカシが、教室を出て廊下を歩いていると、曲がり角の向こうから声が聞こえてきた。

「でも、俺、本当に見たんだよ」

「またー。お前、すぐ嘘つくからな」

「嘘じゃねえって。あれは、絶対にタカシの母ちゃんだった! マジで幽霊だったって。真っ青だったもん」

 タカシが、急いで曲がり角まで行くと、四人の友達が、輪を作るように向き合って、話しているのが見えた。

「どこで!? どこで見たの!?」

 彼らは、タカシを見て、しまったという顔をした。

「あ。タカシ。ごめん」

 小学生と言えども、母を亡くしたばかりの友人に向かって、その母の幽霊を見たなどと言ってはいけないことくらいは分かっていた。しかし、自分が見た不思議なものを、友達にも伝えたい、という欲求を抑えるには幼すぎた。

 彼らは、しばらくの間、気まずそうに黙っていた。

「ねえ! どこで見たの!? 教えてよ!」

 タカシは、必死になって聞いた。

「お願い! 幽霊でも良い! もう一回、お母さんに会いたいんだ!」

 目に涙を浮かべながら、必死で問うタカシに気圧され、一人が口を開いた。

「交差点だって……」

「交差点?」

 目撃した当事者が、それに続いた。

「お前の母ちゃんが事故にあった、あの交差点で見たんだ。なんか、高校生のおねえさんと話してた」

「え?」

 別の一人が口を開く。

「やっぱりおかしいだろー。そんなところで、人間と話してる幽霊なんていねえって」

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