第8話 大胆な暴露
チハルとヒデオは、交差点から場所を移し、近くの公園に来ていた。ヒデオが、正体を明かすには、人目の無いところが良いと言い出し、チハルが、この公園を提案した。
人目の無いところの最たるものは、密室であろうが、この正体不明の存在と、密室で二人きりになることは、チハルにとっては、絶対に避けたい事態だった。
この公園は、三方を塀に囲まれていて、近隣の家々からの視線も遮断されている。残りの一方は、人通りの少ない小路に面している。
人目の少ないところに来ること自体が不安であったが、この住宅街の中の公園で、滅多なこともしてこないだろう、という推測の基、チハルはこの公園を選んだ。
さらにヒデオは、姿を変える瞬間だけは、チハルにも見せられないと言うので、チハルは、公園内のトイレを利用するよう勧めた。
公園の中には、人一人が入れる、男女兼用のボックス型トイレが有った。
チハルは、ヒデオを離れた場所に立たせ、まずは自分でトイレの中を目視し、中に誰も居らず、おかしな物は何も無いことを確認した。
「じゃあ、このトイレの中に入って、本当の姿になってから出てきてよ」
ヒデオは、言われるままに、トイレの中に入った。
チハルは、その様子を、少し離れたところから見張っていた。中で、ヒデオは、一体何をしているのか、と、チハルが思いかけた瞬間、トレイの中から、ばふっ、と音が鳴り、すぐにトイレのドアは開いた。
ヒデオがトレイの中に入ってから、わずか、三秒足らずの出来事であった。
トイレのドアを開けて出てきたものを見て、チハルは、言葉を失った。
「これが、私の正体なのです」
そう言われてもなお、チハルの口から、言葉が発せられるのには、時間を要した。
「た、狸……?」
通りから見えないよう、トイレを背に立つもの、それは大きな狸だった。でっぷりとした腹を抱え、不自然ながら、二足で立つその姿は、普通の狸というよりも、どちらかというと信楽焼のそれに近かった。
「狸が、人に化けてたってこと?」
「そうなのです」
これが、上司から授けられた秘策であった。
チハルは、全身の力が抜けていくのを感じていた。
狸が人に化けるなんて、お伽噺の中だけのことだと思っていた。こんなことが、現実に起こるのだろうか?
思考がまとまらないチハルを余所に、ヒデオは言った。
「私は、どんな人にも化けられるのです」
そう言うと、ヒデオは、トイレの中に入る。
トイレの中では、変化が行われているのだが、この時にも、ヒデオは一工夫していた。口から、ばふっ、という爆発音のような音を発すると同時に、全身の見た目を、一度、煙のような質感に変えてから、別の人間へと変化していた。これは、トイレの中にまで付いてきているであろう、監視者に対しての配慮であった。
またも、数秒の後にドアが開く。
「これが、最初にあなたと会った時の姿です」
確かに、そこには、チハルが何度も見た、イケメン男性の姿があった。
唖然とするチハルを余所に、ヒデオはトイレに入り、数秒後には、また別の姿で現れた。
そこには、制服姿のミキが立っていた。
「どう? ウケるでしょ? あは」
ミキそっくりの声を出す。
「チハルさんにもなれますよ」
そう言って、四度、トイレの中に入ろうとした、ヒデオを、チハルは止めた。
「分かった! 分かったからもうやめて」
「信じていただけましたか?」
ミキの声で言われたチハルは、少々不快感を覚え、やっぱりもう一回、姿を変えてもらうことにした。
「さっきの格好に戻ってよ。悲しそうな、女の人に」
元々の男性の姿になってもらおうかと思ったチハルだったが、その男性と二人で居るところをミキに見られたくない、という思いが立ち、女性への変化を要望した。
ヒデオは、トイレの中に入り、悲しそうな顔の女性になって、姿を現した。
それをしげしげと眺めながら、チハルが言う。
「私が言っておいて、アレだけど、あんた、本当に悲しそうな顔してるわね。もっと、普通の顔できないの?」
「私は、この女性の、この顔しか知らないのです。そうですか。これは悲しい顔なんですね」
「誰がどう見たって、悲しい顔でしょう」
「私は、人間の表情というものが、よく分からないのです」
そうか。狸には、人間の表情が分からないのか。と、納得してしまいそうになる自分に気付き、チハルはかぶりを振った。
チハルは改めて考えた。このまま信じて良いのか。猜疑心を呼び起こそうと努めてみたが、やがて、無駄な抵抗だと諦めた。
相手は、いくらでも姿を変えられるのだ。もはや、狸が本当の正体であるのかすら、確かめようが無い。決して、気を許さず、しかし、ただの化け狸として扱う。それが、自分の精神衛生、一番良い選択肢だと思った。
しかし、あれだけ恐れていた相手の正体が、狸だったとは。チハルは、全身に、どっと疲れを感じた。
「私の正体については、信じていただけましたか?」
「分かったわ。信じるわよ」
「ありがとうございます」
「悲しそうな顔で言わないで」
チハルは、一人で、家路についていた。
あの狸、いや、ヒデオ? ああ、もうややこしい。今後は、ヒデオで統一することにしよう。ヒデオに憑いている霊をどうにかしなければならない。
除霊は、また今度、という約束をして、ヒデオとは空き地で別れた。
チハルは、これから自分がやらなければいけないことを想像し、憂鬱なまま帰宅した。
二日後の朝。チハルは、母親に叩き起こされた。時計を見ると、8時10分。まずい、遅刻だ。
「どうして、もっと早く起こしてくれなかったの!」
「起こしたけど、あんたが起きなかったんじゃない」
繰り返される同じ光景。急いで、朝食と着替えを済ませて、家を飛び出す。
スクランブル交差点で、またもや赤信号に足止めされる。右下に視線をやると、やはり、ガードレール脇に、花束が置かれていた。
そう。私が、あの女性に見覚えが有ったのは、毎日、この交差点で見かけていたからだ。あの女性は、先日の交通事故の被害者だったのだろう。それが、ある日、急に居なくなったと思ったら、ヒデオに憑いていた。ヒデオは、一体、何をしたんだろう。まさか、ヒデオが轢いたわけでもないだろう。むしろ、狸は轢かれる側だ。
ダッシュで教室に駆け込む。
「今日もぎりぎりセーフだったね。今日は何があったの?」
「いやあ、狸に化かされちゃってね。走っても走っても、学校に近付けなかったんだよ」
「ウケる! 今どき、狸とか」
ミキは、相変わらず楽しそうだ。
そう。今どき、狸なんて。私も、つい二日前まではそう思っていた。
「チハルさー、あんた、すっごい噂になってるよ」
唐突にミキが言った。
チハルには、心当たりが無かった。
「え、どんな噂?」
担任が来てしまい、この話は途中で打ち切られた。
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