第9話 見る力

 結局、昼休みになるまで、ミキは話の続きを教えてくれなかった。

 ミキに言われたからかも知れないが、今日は、やけに周りの生徒の視線が気になる。チハルは、そう感じていた。

「で、ミキ。噂って何?」

 ミキは、顔をほころばせて言った。

「そこの交差点で、チハルが、幽霊と喋ってたって」

 チハルの顔が強張る。

「え、何それ? 誰が言ってるの?」

「もう、みんな言ってるよ。何人も目撃してたって」

 チハルは、すぐに思い当たった。女性の姿をしたヒデオと、あの交差点で話しているところを見られたのだ。

 確か、亡くなった女性は、この近隣の住人だったと聞いたことがある。あの交差点を利用する人の中には、あの女性のことをよく知る人が、それなりの数、居たのだろう。死んだはずの人間が、死んだ場所の近くに立っていた。幽霊だと思われても不思議は無い。

 普段のチハルは、自分の能力のことを、他人に知られたくなく、なるべく目立たないようにしているのだが、あの時は、理解不能なことが起こりすぎて、そんなことに気を回す余裕は無かった。

 どう誤魔化したものか。あれはヒデオだ、あれは狸だ、と言っても信じてもらえないだろう。どうせ信じてもらえないのであれば、狸だと言ってしまう手はあるか。

「ああ、あれは狸だよ。みんなも、狸に化かされたんだね」

「ウケる。チハル、狸ネタ、引っ張るねー」

 それよりも、チハルは聞きたいことがあった。

「そんなことよりさ。ヒデオさんのことで、聞きたいことがあるんだけど」

「なになに?」

「そもそも、なんで霊に憑かれたのかな? ミキ、心当たり無い?」

 ミキは、視線を左上に投げ、頭の中で検索をしているようだった。

「んー、なんかあったかなあ」

「なんか、おかしなこととか、しなかった?」

「ヒデオ、いつもおかしいもん」

 笑いながらミキは答えた。チハルも、質問してから、その質問に意味が無いことに気付いた。

「ああ、そう言えば、初デートの時に、ヒデオが花束持ってきたんだけど」

「へー」

 狸の割には、中々やるじゃん。チハルは、少しだけ感心した。

「その花束、拾ってきたとか言ってたんだよね。超ウケるー」

「拾ってきた!?」

「多分、冗談だと思うけど、私も受け取れなかったよー」

 そう言うことか。あの交差点に供えられていた、献花を拾ってっちゃったんだ。でも、あの女性からは、ヒデオに対する怒りは、あまり感じられないんだよな。まあ、顔を見た限りでしかないけど。

 チハルは、悩んだ末に言った。

「ヒデオさんの除霊さ、私がやるよ」

 ミキは、驚いた顔で言った。

「マジで!?」

「うん」

「でも、百万円払えないよ」

 ヒデオと言い、ミキと言い、私が金を取ると思っているのか。

「お金は要らないよ」

「でもさ、すっごく強い、侍が憑いてるんでしょ? 神様の力が必要だって、ヨッシーが言ってたよ。百万円払わないと、神様が助けてくれないって」

 ヨッシーは、ペテンにしても、もう少し取り繕えなかったのだろうか。

「ヨッシーのことは、もう忘れて。その人はインチキだから。ヒデオさんの後ろに、侍なんて居ない」

「マジで!? ヨッシー、インチキなの? 超ショックー。モーゼの孫なのに? なんで?」

 そこはまだ信じてるのか。というか、モーゼも間違ってるんだけど、そこはもう良いや。

 ヨッシーへの罵詈雑言を、片っ端から並べ立てて、とりあえず満足したミキが、チハルに言った。

「でも、なんで急にやってくれる気になったの? チハルって、見えるだけで、除霊とかはできないって言ってなかったっけ?」

「うん。でも、ヒデオさん、困ってるんでしょ? やるだけやってみるよ」

「ありがとうー。チハル、マジ親友」

 チハルは、少し罪悪感を覚えた。

 チハルが、この話をミキに持ちかけた理由は、ヒデオと二人だけになることを避けたかったからだ。もし、ヒデオが危険な存在であった場合、ミキにも危害が及ぶ恐れがある。それを承知した上で、ミキには同席してもらわなければならなかった。

「早速だけど、今日、ちょっと付き合って」


 学校が終わり、チハル、ミキ、ヒデオの三人は、先日の公園に来ていた。ヒデオには、もちろん、当初の男性の姿をしてもらっている。

 この公園を選んだ理由は、今日は、チハルのほうが人目に付きたくなかったからだ。

 いつにも増して、真剣な目でチハルは言った。

「今日は、その女性の要望を確かめる。その女性に消えてもらうには、要望を叶えてあげるのが一番だと思うから」

 もっとすごい力を持つ人なら、簡単に除霊ができるのかも知れない。でも、私には、その力が無い。私には、見ることしかできないから。

 そう思いながら、チハルは続けた。

「この後、私が、倒れたり、気を失ったりするかも知れないけど、時間が経てば多分治るから、あんまり心配しないでね」

 ミキが心配そうな顔で言う。

「えー、チハル、大丈夫なの? あんまり無理しないでよ? 私、ヒデオより、チハルのほうが大事だから」

 ヒデオ本人を目の前にして、随分なことを言うな。そう思ったチハルだったが、恐らく、ミキが本心で言っているであろうことが分かるだけに、少し嬉しかった。

「これ、大変なんだよー? ミキの彼氏だから、特別にやるんだからね」

 言い終えてから、チハルは覚悟を決めるように、表情を引き締めた。

「しばらく、静かにしててね」

 チハルは、ヒデオの背後に浮かぶ女性の悲しそうな目を見て、さらにその奥を見通すように、意識を集中した。


 視界が、激しく上下に揺れている。走ってるみたい。

 あの交差点が見える。

 紙袋?

 右手が、袋の中身を取り出した。

 子ども?

 真っ赤な車。

 無軌道に振り回される景色。

 目の前が、一瞬、赤く染まった後に暗転した。

 

 目を覚ますと、チハルは、ミキに膝枕をされていた。

「あれ? ここ……」

 チハルの意識は朦朧としており、現状を把握できない。

「あ、気が付いたー? チハル、本当に倒れちゃうんだもん。びっくりしたよー」

 ぼんやりと、ミキの顔が見える。

「あれ? あれ?」

「無理しないで、休んでて」

 そうか。休んでて良いんだ。気が楽になったチハルは、しばらく、何も考えずに、意識を、赴くままに任せた。

 先ほどの光景が、フラッシュバックしてくる。

 あの紙袋、どこかで見たような。

 中身は何だったかな。

 中身にも見覚えがあるような。

 数分後、徐々に意識は明瞭になっていき、自分が置かれている状況を思い出してきた。

 目の前の、ミキの顔が、はっきりと認識できるようになってきた。

「ミキ、随分静かじゃん」

「チハルが、心配するなって言ったから、騒がずに待ってたんだよー」

 そう言って笑うミキの目は、少し潤んでいるようにも見えた。

 少し離れたところに立っていたヒデオが、歩み寄ってきて、言った。

「女性の要望は、分かったのですか?」

 そう言われて、チハルは、それを確かめようとした結果、自分がこうなっていることを思い出した。

「うーん。少しだけ見えたけど……。ごめん。後で、落ち着いてから、整理してみる」

 今日は、これで解散することとなり、ヒデオとは空き地で別れた。

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