ないものにされてきた現実が、ここにある。

言うことが二転三転し、何かあれば暴言暴力、必要な出費すら渋る。
著者ゆきこさんの父親は、親と呼ぶに値しない存在だ。
それでも、社会は、ゆきこさんの父親から、子どもを養育する権利を取り上げないどころか、ゆきこさんの側に変わるよう要請しさえする。
それだけではない。
当時成人年齢が二十歳であったため、十九歳のゆきこさんは児童でもなく、未成年であるという曖昧な立場に苦しめられる。
このエッセイを”虐待をする親から逃げた十九歳の話”で終わらせてはいけない理由がここにある。
この話は、制度のはざまで救済されない人々がいることを思い知らせてくれる。

このエッセイを読んだ後、身の回りのあらゆる制度が”家族仲がよく、家族が協力的である”前提でできていることに気づいた。
それは、地獄の釜の蓋が開いた瞬間かもしれない。
でも、それを知ってしまったら、ないことにはできない。

最後に著者のゆきこさんは無事に大学を卒業する。
しかし、彼女の日常はこれからも続いていく。
多くの虐待サバイバーが語るように、「逃げてからが本番」なのだ。
一読者として、これからのゆきこさんの未来が明るいことを願うけれど、その傷はこれからも疼くことを僕は知っている。
それでは逃げたことに意味はなかったか。
そんなことはないと思う。
少しでもよい方向へと自分で動けたことに、大きな意味がある。
自分を大事にするための一歩は、大きなものだ。

でも、これはハッピーエンドじゃない。
ないことにされ、傷つきながらも前に進んだ人の、大切な記録だ。

卒業おめでとうございます。
自分を信じて先へ進んでいってください。

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