精神の殺人者と呼ばれるパーソナリティー障碍(パソ障)を調べ始めたのは、わたし自身がその被害者になったからだ。
拙作『人格障碍者にタゲられた!』の中で、わたしはそれを自己愛性人格障害と呼んでいる。
この人、もしかしたら……。
関連書籍やネットに吐露された「被害者の声」を集めることによって疑いは確信に変わった。
パソ障の取る手法はワンパターンだ。
どれもこれも、わたしをターゲットに据えた加害者と瓜二つの行動をとっていた。
自己愛は洗脳を用いる。
洗脳される対象は、自己愛の耳打ちしてくる「ここだけの話」を信じる人たちだ。
「そんなバカな。そんな簡単に人は騙されないよ」
誰もがそう想うだろう。
しかし専門家ですら「自己愛からは逃げて下さい」としか云わないのだ。そのくらいあっさりと人は自己愛に洗脳される。
「ターゲットは被害妄想でプライドが高く攻撃的」
そんな「危険で攻撃的な」ターゲットを必死で追いかけ回している巨大な矛盾に、悪口を吹き込まれた人たちはなぜ気付かないのだろうと不思議なほどなのだが、騙されるのだ。
同性被害だったので、フレネミーやママ友被害を参考にしていた。遣り口があまりにも同一なので、全員おなじ加害者なのか? と想うほどだった。
・「ターゲットは問題児、すぐ問題を起こす」と云い触らす。
・貶しながらターゲットを監視し、パクリ、真似をする。
・病的に個人情報を知りたがり、攻撃の材料にする。
自己愛は常にターゲットの価値を下げる行動を取る。ターゲットの価値を下げることが、自己愛の幼児的万能感を支えるからだ。
同じことが夫婦間、親子間でも起こっていた。
親子間なら、パソ障は「毒親」と呼ばれていることが多い。
毒親はターゲットにした子を嘲ったり罵倒したり飽くことなく攻撃を繰り返す。そうしながら外部には「熱心に心配している良い親」のように振舞う。
こうすることで自己愛は、
『俺さまは嫌われ者で問題児のターゲットを見守っている王さまだ』
まがい物のプライドを保つのだ。
「十九歳で家から逃げました」
作者のゆきこさんは、そんなパソ障の父親から逃げ出した。
毒親被害の当事者であるゆきこさんはしっかりした文章で、父親の言動を克明にまとめてくれている。
突然とんでくる「命令」。執拗なあら探し。
子どもの努力や楽しみにしていることを、パソ障の親は罵りあげつらい、「価値がない」と嘲ってくる。
その様子は毒親被害者の回想にほんとうによく出て来る。
ターゲットが努力をしていると自己愛は「危機感」を抱き、友だちをつくったり楽しそうにしていると「耐え難い屈辱感」を味わうものらしい。
必ず潰してくる。
そして、ゆきこさんの父親はやはり親戚中に、娘のゆきこさんがどれほど悪い娘なのかを云い触らしている。
お蔭でゆきこさんは親戚中から嫌われている。
父親の思惑どおりだ。
そして自己愛の口説に洗脳された人々は被害者を凄まじいまでの憎しみの眼で眺め、説教をしてくるのだ。『もっと感謝する人間になりなさい』と。
海外の文献ではこういった人々を【フライング・モンキー】と名付けている。
自己愛の思うが儘に操られ、憎しみと怒りをこめて猿のように被害者めがけて跳びかかってくるからだ。
攻撃者であるにも関わらず、攻撃すればするほど、「ターゲットは攻撃的」と自己愛は云い触らす。これは投影といって、自分の中の悪行をすべてターゲットになすりつける、自己愛の特徴的なパターンだ。
貶めるわりには、「努力などというバカらしくて愚かなことをする卑しいターゲットに代わって絶賛を浴びるのはこの自己愛さま」と平然とターゲットの努力の成果をパクり、自己愛は手柄顔で陶酔する。
そこに何の矛盾もない。
努力のようなみっともないことに励む惨めなターゲットよりも、自己愛はみっともない努力をせずとも完璧で、最初からはるか上に立っているはずだからだ。
>「社会」「世間」「世の中」を馬鹿の一つ覚えのように連呼しながら、指すところは全て「俺」でしかない父の話法。(48、首をしめられた話)
愛、友情、絆、成長、挨拶、感謝。こういったお題目を自己愛は武器に使う。それぞれの単語は良いものだし正義をもっている。正義の単語をターゲット潰しの道具に用いることで自己愛の印象操作はほぼパーフェクトに人々を洗脳してしまうのだが、実のところ自己愛自身が自分の発するこれらの言葉に洗脳されているのだろう。「自己愛は絶対的正義と同等の至高の存在だぞ?」と。
攻撃的な人がいたら人はどうするだろうか。攻撃的な人からは、普通の人は大急ぎで逃げるものだ。
毒人間はいつまでも正義の説教をふりかざしてターゲットである子にしがみついてくる。
「ターゲットは攻撃的」と吹聴するくせにターゲットに粘着してしがみついている異常さに人々が気づくことが出来れば、他者を犠牲にして優越感に浸る自己愛の化けの皮は簡単にはがれる。
Twitterをきっかけに知り、最後まで一気に読みました。私はいわゆる「毒親」家庭に育ったわけではないのですが、家族とは絆、という綺麗事よりも、家族とは「鎖」であるという実感を持っているので、ゆきこさんがずっと「家族」に縛られてきた、そして今も縛られているのだと痛感します。
自分自身まだ幼い子を持つ親です。知らず知らずのうちに「毒親」にならないよう、気をつけようと思います。
19歳が福祉の穴にあたる、ということも初めて知りました。悩んでいる方がいないか、周りにも目を向けていきたいと思います。
筆者のゆきこさんも、呪縛から逃れて自由に生きていけますように。