3

「おはよ。」


「よ。」


 事務所のエレベーターで、知花と一緒になる。


「式の時は、ありがとね。」


 俺は、知花の結婚式の日。

 なぜか神さんのご指名で、知花の髪の毛をセットした。

 それはそれで…認めてもらえた気がして光栄だった。



「いやいや、俺こそ。神さんからバイト代なんてもらっちゃってさ」


「千里も今度から光史に切ってもらお。なんて、調子にのったこと言ってたわよ」


「あははは、そりゃ荷が重いな」



 …知花と、こんな風に話しても辛くなくなった。

 以前は少しだけ、胸が痛んだけど。

 今は…知花の幸せが心から嬉しい。



「それにしても、久しぶりのスタジオで緊張しちゃう」


「ああ。腹の調子、いいのかよ」


「うん」


「まあな…アメリカん時も、ずっと歌ってたしな」


「その方が調子いいみたい」



 知花は現在妊娠中。

 冬には三人目が産まれる。


 長男のノン君と、長女のサクちゃんは双子で。

 渡米後、妊娠に気付いた知花が…神さんに内緒で出産を覚悟。

 俺達メンバーは全員でそれをサポートした。


 …向こうで…知花と一緒に暮らした時間を思い出すと、胸が締め付けられそうになる。



 昔から、俺の視線の先にいるのは…常に男だった。

 初恋は中等部の時。

 相手は美容師だった。


 その恋が終わりかけた頃に…陸と出逢った。

 陸にはハッキリ告白してフラれて…それでも親友でいてくれる。

 俺は一生、陸の信頼を裏切らないと決めた。


 その後…好きになったのは…神千里。

 知花の旦那だ。


 知花と神さんが結婚してる事を知らされた日。

 俺は複雑な心境のまま、一人で飲み明かした。


 俺の恋心を鷲掴みにしている男と…

 音楽人として尊敬して止まない女…


 どちらにともなく、嫉妬を覚えた。


 だが、そんなやり場のない感情を消化させるのは得意だ。

 元々俺のような男は受け入れられにくい。

 いつも涼しい顔で知らない女と寝て、あまり人を本気で好きになる事がない。と言っておけば間違いはなかった。


 そんな俺が…アメリカで知花と…知花の子供達と一緒に暮らして。

 その愛に触れて。

 気持ちが揺らいだ。


 神千里の想い人と、その子供達を守っている。

 それは自分が一瞬でも神さんに近付けているのでは…という錯覚を起こさせた。

 そして、それを…実は知花に気持ちを奪われている事を隠したいがために、無理矢理そう思わせている自分にも気付いた。


 俺は女を好きにならない。

 昔からそうだ。

 …そうだった。のに。



「光史?」


 知花に首を傾げられて、ハッとする。


「あ、センのとこ生まれたって?」


「うん。男の子だって」


「退院したら、顔見に行こうぜ」


 勘当されていた実家とも和解できたらしいセン。

 学生時代は暗い印象しかなかったが…今や独特な雰囲気に癒される事も多い。

 SHE'S-HE'Sに加入した頃より、ずっと笑顔が増えたし…

 意外と天然な所に和まされる。



「今日って見学されるって本当?」


「ああ。ま、見学っつってもスタッフぐらいのもんだろうから、緊張する必要はないだろ。」


 そんな話しをしながら八階に辿り着く。

 廊下を歩いてると、聖子がボンヤリと座ってるのが見えた。


「聖子、おはよ。」


 知花が声をかけて、聖子の隣に座る。



 聖子は…ずっと知花が好きだった。

 だから、男しか好きになれなかった俺のことも理解してくれていた。


 知花の一番近い存在であるがために、辛い想いをしていた聖子は。

 知花が神さんの子供を産む決心をした時から…少しずつ、変わり始めていた。

 諦めがついたと言うか…打ち明けることのできない想いを、自分の中に消化する事を覚えた。


 自分が楽になれるのは、知花が幸せになること。

 そう、感じたんだと思う。


 俺から言わせれば、俺よかよっぽど聖子の方が大人だ。



「知花ー、ちょっと来てー。」


「あ、はーい。」


 スタジオから顔を出したまこが知花を呼んで。

 知花は『先に行くね』と、聖子と俺に言い残して立ち上がった。


「…元気ないな。」


 知花が座っていた場所に腰を下ろすと。


「…なんか、イライラしちゃって。」


 聖子は今までになく、真剣な顔。


「カルシウム、とってんのかよ。」


「大量にね。」


「具合いでも悪いのか?」


 額に手を当てると…


「おまえ、熱あるぜ。」


「うそ。」


「帰って寝ろよ。」


「何言ってんの。今日、公開練習でしょ?大丈夫よ。」


「……」


「大丈夫。さ、チューニングでもしよっかな。」


 聖子はそう言って、昔から何度も見て来たような作り笑いで立ち上がった。


「おい。」


「大丈夫よ。」


「……」


 こういう時の聖子は何を言っても聞かない。

 小さく溜息を吐いて、聖子の後に続いた。



 スタジオに入ると、すでに陸とセンはセッティング済み。

 腕組みをした陸が。


「おせーよ。」


 俺と聖子に唇を尖らせた。


「わりいわりい。って、おまえらが早いんだろ。」


 時計を指差して言うと。


「久しぶりのリハに胸が高鳴って。」


 センは両手を心臓に当てて目を閉じた。


 その様子にみんなが何とも言えない顔をしてると…


「光史。」


 聖子がバスドラの調整をしてる俺に合わせて、しゃがみ込んだ。


「あ?」


「近い内…家に行っていい?」


「ああ。」


 かなり深刻なんだな。

 聖子が、こんなこと言うなんて。


 あ。

 いや、待て。

 今うちに来たら…ルカがいる。


「せ…」


「おーし、準備ええかー?」


 聖子に声を掛けようとした瞬間、親父が入って来た。


 F'sのメンバーとなってしまった親父は、相変わらず俺らのプロデュースもしている。

 公開ということもあって、高原さんはもちろん…F'sの面々や、その他興味深々の顔ぶれがスタジオに集まった。



『あー、千寿。パパんなったんやてなー。おめでとー』


 親父がマイクでそう言うと、思いきり冷やかしの声があがって、センは照れてる。

 実質、センにとっては二人目の子供だけど…

 ま、みんな幸せみたいだし…それはそれでいい。



「まこちゃん、コーダのとこの音色ちょっと変えられる?」


「コーダのとこー…えーと…サックスみたいなのにする?」


「あ、いいね。もしくはトロンボーンヒットかな」


「えーと…こんな感じ?」 


 知花とまこのやりとりを聞きながら、俺はスネアやタムの位置を決める。

 さっきの聖子の様子が気になって目を向けたが…聖子はすでにベースを担いでスイッチの入った顔。


 …ま、リハが終わってから考えよう。



「さ、いけるぜ」


 俺が椅子に座ってバスドラを踏むと。


『おーし。新曲を続けていこやないか』


 親父が言った。


 今回は結構ハードな曲揃いで、演る方も聴く方もスリル満載。だと思う。

 高原さんは知花にバラードを歌いたがらせるけど、今回はあえて外した。

 なぜなら、このハードナンバーをアコースティックで演るバージョンも用意してるからだ。



「ONE,TWO,」


 カウントをとって、俺と聖子だけがイントロに入る。

 続いてみんなが加わってー…知花のシャウト。


 …知花、調子いいな。


 聴きに来てる人間が、口をあけっぱなしにしてることに気が付いて小さく笑う。

 知花の歌も、聖子のベースのテクニックもすごいけど…何より誇れるのは、タイミングのよさ。

 俺たちは、何から何まで、ピッタリだ。


 一曲目が終わると。


「さすがロクフェスに出ただけのことはあるよなあ…」


 そんな声が聞こえてきた。



 アメリカで―

 SHE'S-HE'Sのメンバー以外のアーティストと、合わせた事が数回ある。

 だが、そのどれもが…俺にはピンと来なかった。

『上手いね!!』とか『やりやすかった!!』と言われる事はあったし、相手から満足感も伝わったが…俺が満足出来なかった。


 普段、これだけのメンバーと演ってるんだ。

 これ以上の快感は、他で味わう事は出来ない。



「……」


 ふと気が付くと、聖子が振り向いた。

 その顔は…酷く青白い。


 大丈夫か?


 俺は、目で合図する。

 聖子が力なく頷いた…その瞬間。


「きゃ!!」


「聖子⁉︎」


「いっ…たー…」


「聖子!!大丈夫!? 」


 知花が聖子に駆け寄る。

 俺もスティックを置いて近寄ると、聖子の手から血が流れてるのが見えた。

 …ベースの弦が切れて当たったのか。


「親父、聖子が手を切った。ちょっと手当してくる。」


 俺がそう言うと、親父はアコースティックバージョンへの切り替えに対応してくれて、スタジオ内をスタッフが慌ただしく動いた。



「…一人で行けるよ。」


「まあ、そう言うなよ。アコースティックなら俺は後から入っても問題ないし。」


「…ごめん。」


「いいさ。それより痛くないか?」


「痛いよ。」


「だろうな。結構切れてる。」


 エレベーターに乗り込んで、タオルで包んだ手を覗き込む。

 そう言えば、聖子は小さい頃からよく怪我をする奴だった。

 落ち着きがないと言うか…無謀な事ばかりしてたと言うか…


 まあ、冒険をしない俺からすると、羨ましい性格だったけど。



「やだな…」


「何が。」


「こんなこと初めて。」


「そういえば、そうだな。」


「楽器もわかるのかな。あたしがイライラしてること。それで、冷静になれって教えてくれたのかも。」


「…そんな考えができるだけ、まだ冷静さ。」


 そんなにイライラしてたのか…

 何も気付いてやれなかった。


 反省しつつ一階奥の医務室に辿り着く。

 ドアをノックして開けると、原垣先生が振り返った。


「どうしたの…あ、痛いとこ切っちゃって。」


 原垣先生は母親のような存在で、一説によると高原さんに憧れてここに入った…と。


「光史…もういいよ。」


「なんで。」


「手当してもらったら、すぐ行くから。」


「んなこと言うなよ。あ、先生。こいつ、熱もあるんだけど。」


「あら、じゃ、ちょっと計りましょ。」


 聖子が、余計なこと言うなって顔で俺を見る。

 そんな顔されてもな。


 治療を受ける聖子を残して、俺は廊下に出る。

 ドアのすぐ横にある長椅子に座って、壁にもたれた。


 …最近、聖子とは少し距離が出来てた気がする。

 俺が知花を好きになって…少なからずとも聖子は面白くなかっただろう。

 気付いてやれなくて悪かったな…


 あいつは、俺にとって一番の理解者であり、妹みたいな存在でもある。

 苦しんでるなら、助けてやりたい。

 ちゃんと話を聞いて…


「おい。」


 ふいに声をかけられて顔をあげると…F'sのドラマー、浅香さん。


「…なんすか。」


「…あの女、その……ケガ…ひどいのか?」


「……」


 キョトンとしてしまった。

 浅香さんが、聖子のことを?


 何かバツが悪いのか、浅香さんは一度も俺の目を見ない。

 …人見知りが激しいって噂は本当なんだ…?



「…どうなんだよ。」


「あー…思ったより切れてるから…」


「……」


「それに、熱もあるし。今日は、帰らせようと思うんですけど。」


「熱?」


 熱の話を持ち出すと、なぜか浅香さんが俺に視線を合わせた。

 これは…

 聖子の熱と浅香さん、何か関係してる…?



「…浅香さん、今日時間空いてるんですか?」


「は?」


「俺、まだこのあと打ち合せがあるんで、あいつ送ってやって下さい。」


「ちょ…ま…待てよ、おまえ…っ…」


「じゃ、お願いしますね。」


「おいっ…!!」


 拒否したそうにしながらも、俺を追って来ない浅香さん。

 そうか…聖子は、浅香さんと…

 東さんに言い寄られてた時とは、なんとなく感じ違うから、もしかしたら上手くいくかもな。


 極度の人見知りで、人を寄せ付けない。

 なのに勝手に女が寄って来る。

 いわば入れ食い状態だっ…て噂もあるけど。

 それなら、少し内容は違っても、陸と俺も同類だ。


 同類には、わかる。

 浅香さんなら大丈夫。



「聖子どうだった?」


 スタジオに戻ると知花が一番に駆け寄って来た。


「ああ…熱もあるみたいだし、今日は帰らせた方がいいかもしれない。」


「それで元気なかったんだ…」


「大丈夫。あいつのことだから、すぐ治るって。」


 心配そうな知花に笑顔で答える。

 そう。

 聖子は…知花に心配をかけるのが大嫌いだからな。



 その後、聖子の代わりにベースを弾いた。

 知花の声に聴き惚れている神さんを見て。

 全く関係ないのに…俺は…


 ルカが夕飯の支度をするって言ってたな。


 なんて、恐ろしいことを思い出していた。

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