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「おはよ。」
「よ。」
事務所のエレベーターで、知花と一緒になる。
「式の時は、ありがとね。」
俺は、知花の結婚式の日。
なぜか神さんのご指名で、知花の髪の毛をセットした。
それはそれで…認めてもらえた気がして光栄だった。
「いやいや、俺こそ。神さんからバイト代なんてもらっちゃってさ」
「千里も今度から光史に切ってもらお。なんて、調子にのったこと言ってたわよ」
「あははは、そりゃ荷が重いな」
…知花と、こんな風に話しても辛くなくなった。
以前は少しだけ、胸が痛んだけど。
今は…知花の幸せが心から嬉しい。
「それにしても、久しぶりのスタジオで緊張しちゃう」
「ああ。腹の調子、いいのかよ」
「うん」
「まあな…アメリカん時も、ずっと歌ってたしな」
「その方が調子いいみたい」
知花は現在妊娠中。
冬には三人目が産まれる。
長男のノン君と、長女のサクちゃんは双子で。
渡米後、妊娠に気付いた知花が…神さんに内緒で出産を覚悟。
俺達メンバーは全員でそれをサポートした。
…向こうで…知花と一緒に暮らした時間を思い出すと、胸が締め付けられそうになる。
昔から、俺の視線の先にいるのは…常に男だった。
初恋は中等部の時。
相手は美容師だった。
その恋が終わりかけた頃に…陸と出逢った。
陸にはハッキリ告白してフラれて…それでも親友でいてくれる。
俺は一生、陸の信頼を裏切らないと決めた。
その後…好きになったのは…神千里。
知花の旦那だ。
知花と神さんが結婚してる事を知らされた日。
俺は複雑な心境のまま、一人で飲み明かした。
俺の恋心を鷲掴みにしている男と…
音楽人として尊敬して止まない女…
どちらにともなく、嫉妬を覚えた。
だが、そんなやり場のない感情を消化させるのは得意だ。
元々俺のような男は受け入れられにくい。
いつも涼しい顔で知らない女と寝て、あまり人を本気で好きになる事がない。と言っておけば間違いはなかった。
そんな俺が…アメリカで知花と…知花の子供達と一緒に暮らして。
その愛に触れて。
気持ちが揺らいだ。
神千里の想い人と、その子供達を守っている。
それは自分が一瞬でも神さんに近付けているのでは…という錯覚を起こさせた。
そして、それを…実は知花に気持ちを奪われている事を隠したいがために、無理矢理そう思わせている自分にも気付いた。
俺は女を好きにならない。
昔からそうだ。
…そうだった。のに。
「光史?」
知花に首を傾げられて、ハッとする。
「あ、センのとこ生まれたって?」
「うん。男の子だって」
「退院したら、顔見に行こうぜ」
勘当されていた実家とも和解できたらしいセン。
学生時代は暗い印象しかなかったが…今や独特な雰囲気に癒される事も多い。
SHE'S-HE'Sに加入した頃より、ずっと笑顔が増えたし…
意外と天然な所に和まされる。
「今日って見学されるって本当?」
「ああ。ま、見学っつってもスタッフぐらいのもんだろうから、緊張する必要はないだろ。」
そんな話しをしながら八階に辿り着く。
廊下を歩いてると、聖子がボンヤリと座ってるのが見えた。
「聖子、おはよ。」
知花が声をかけて、聖子の隣に座る。
聖子は…ずっと知花が好きだった。
だから、男しか好きになれなかった俺のことも理解してくれていた。
知花の一番近い存在であるがために、辛い想いをしていた聖子は。
知花が神さんの子供を産む決心をした時から…少しずつ、変わり始めていた。
諦めがついたと言うか…打ち明けることのできない想いを、自分の中に消化する事を覚えた。
自分が楽になれるのは、知花が幸せになること。
そう、感じたんだと思う。
俺から言わせれば、俺よかよっぽど聖子の方が大人だ。
「知花ー、ちょっと来てー。」
「あ、はーい。」
スタジオから顔を出したまこが知花を呼んで。
知花は『先に行くね』と、聖子と俺に言い残して立ち上がった。
「…元気ないな。」
知花が座っていた場所に腰を下ろすと。
「…なんか、イライラしちゃって。」
聖子は今までになく、真剣な顔。
「カルシウム、とってんのかよ。」
「大量にね。」
「具合いでも悪いのか?」
額に手を当てると…
「おまえ、熱あるぜ。」
「うそ。」
「帰って寝ろよ。」
「何言ってんの。今日、公開練習でしょ?大丈夫よ。」
「……」
「大丈夫。さ、チューニングでもしよっかな。」
聖子はそう言って、昔から何度も見て来たような作り笑いで立ち上がった。
「おい。」
「大丈夫よ。」
「……」
こういう時の聖子は何を言っても聞かない。
小さく溜息を吐いて、聖子の後に続いた。
スタジオに入ると、すでに陸とセンはセッティング済み。
腕組みをした陸が。
「おせーよ。」
俺と聖子に唇を尖らせた。
「わりいわりい。って、おまえらが早いんだろ。」
時計を指差して言うと。
「久しぶりのリハに胸が高鳴って。」
センは両手を心臓に当てて目を閉じた。
その様子にみんなが何とも言えない顔をしてると…
「光史。」
聖子がバスドラの調整をしてる俺に合わせて、しゃがみ込んだ。
「あ?」
「近い内…家に行っていい?」
「ああ。」
かなり深刻なんだな。
聖子が、こんなこと言うなんて。
あ。
いや、待て。
今うちに来たら…ルカがいる。
「せ…」
「おーし、準備ええかー?」
聖子に声を掛けようとした瞬間、親父が入って来た。
F'sのメンバーとなってしまった親父は、相変わらず俺らのプロデュースもしている。
公開ということもあって、高原さんはもちろん…F'sの面々や、その他興味深々の顔ぶれがスタジオに集まった。
『あー、千寿。パパんなったんやてなー。おめでとー』
親父がマイクでそう言うと、思いきり冷やかしの声があがって、センは照れてる。
実質、センにとっては二人目の子供だけど…
ま、みんな幸せみたいだし…それはそれでいい。
「まこちゃん、コーダのとこの音色ちょっと変えられる?」
「コーダのとこー…えーと…サックスみたいなのにする?」
「あ、いいね。もしくはトロンボーンヒットかな」
「えーと…こんな感じ?」
知花とまこのやりとりを聞きながら、俺はスネアやタムの位置を決める。
さっきの聖子の様子が気になって目を向けたが…聖子はすでにベースを担いでスイッチの入った顔。
…ま、リハが終わってから考えよう。
「さ、いけるぜ」
俺が椅子に座ってバスドラを踏むと。
『おーし。新曲を続けていこやないか』
親父が言った。
今回は結構ハードな曲揃いで、演る方も聴く方もスリル満載。だと思う。
高原さんは知花にバラードを歌いたがらせるけど、今回はあえて外した。
なぜなら、このハードナンバーをアコースティックで演るバージョンも用意してるからだ。
「ONE,TWO,」
カウントをとって、俺と聖子だけがイントロに入る。
続いてみんなが加わってー…知花のシャウト。
…知花、調子いいな。
聴きに来てる人間が、口をあけっぱなしにしてることに気が付いて小さく笑う。
知花の歌も、聖子のベースのテクニックもすごいけど…何より誇れるのは、タイミングのよさ。
俺たちは、何から何まで、ピッタリだ。
一曲目が終わると。
「さすがロクフェスに出ただけのことはあるよなあ…」
そんな声が聞こえてきた。
アメリカで―
SHE'S-HE'Sのメンバー以外のアーティストと、合わせた事が数回ある。
だが、そのどれもが…俺にはピンと来なかった。
『上手いね!!』とか『やりやすかった!!』と言われる事はあったし、相手から満足感も伝わったが…俺が満足出来なかった。
普段、これだけのメンバーと演ってるんだ。
これ以上の快感は、他で味わう事は出来ない。
「……」
ふと気が付くと、聖子が振り向いた。
その顔は…酷く青白い。
大丈夫か?
俺は、目で合図する。
聖子が力なく頷いた…その瞬間。
「きゃ!!」
「聖子⁉︎」
「いっ…たー…」
「聖子!!大丈夫!? 」
知花が聖子に駆け寄る。
俺もスティックを置いて近寄ると、聖子の手から血が流れてるのが見えた。
…ベースの弦が切れて当たったのか。
「親父、聖子が手を切った。ちょっと手当してくる。」
俺がそう言うと、親父はアコースティックバージョンへの切り替えに対応してくれて、スタジオ内をスタッフが慌ただしく動いた。
「…一人で行けるよ。」
「まあ、そう言うなよ。アコースティックなら俺は後から入っても問題ないし。」
「…ごめん。」
「いいさ。それより痛くないか?」
「痛いよ。」
「だろうな。結構切れてる。」
エレベーターに乗り込んで、タオルで包んだ手を覗き込む。
そう言えば、聖子は小さい頃からよく怪我をする奴だった。
落ち着きがないと言うか…無謀な事ばかりしてたと言うか…
まあ、冒険をしない俺からすると、羨ましい性格だったけど。
「やだな…」
「何が。」
「こんなこと初めて。」
「そういえば、そうだな。」
「楽器もわかるのかな。あたしがイライラしてること。それで、冷静になれって教えてくれたのかも。」
「…そんな考えができるだけ、まだ冷静さ。」
そんなにイライラしてたのか…
何も気付いてやれなかった。
反省しつつ一階奥の医務室に辿り着く。
ドアをノックして開けると、原垣先生が振り返った。
「どうしたの…あ、痛いとこ切っちゃって。」
原垣先生は母親のような存在で、一説によると高原さんに憧れてここに入った…と。
「光史…もういいよ。」
「なんで。」
「手当してもらったら、すぐ行くから。」
「んなこと言うなよ。あ、先生。こいつ、熱もあるんだけど。」
「あら、じゃ、ちょっと計りましょ。」
聖子が、余計なこと言うなって顔で俺を見る。
そんな顔されてもな。
治療を受ける聖子を残して、俺は廊下に出る。
ドアのすぐ横にある長椅子に座って、壁にもたれた。
…最近、聖子とは少し距離が出来てた気がする。
俺が知花を好きになって…少なからずとも聖子は面白くなかっただろう。
気付いてやれなくて悪かったな…
あいつは、俺にとって一番の理解者であり、妹みたいな存在でもある。
苦しんでるなら、助けてやりたい。
ちゃんと話を聞いて…
「おい。」
ふいに声をかけられて顔をあげると…F'sのドラマー、浅香さん。
「…なんすか。」
「…あの女、その……ケガ…ひどいのか?」
「……」
キョトンとしてしまった。
浅香さんが、聖子のことを?
何かバツが悪いのか、浅香さんは一度も俺の目を見ない。
…人見知りが激しいって噂は本当なんだ…?
「…どうなんだよ。」
「あー…思ったより切れてるから…」
「……」
「それに、熱もあるし。今日は、帰らせようと思うんですけど。」
「熱?」
熱の話を持ち出すと、なぜか浅香さんが俺に視線を合わせた。
これは…
聖子の熱と浅香さん、何か関係してる…?
「…浅香さん、今日時間空いてるんですか?」
「は?」
「俺、まだこのあと打ち合せがあるんで、あいつ送ってやって下さい。」
「ちょ…ま…待てよ、おまえ…っ…」
「じゃ、お願いしますね。」
「おいっ…!!」
拒否したそうにしながらも、俺を追って来ない浅香さん。
そうか…聖子は、浅香さんと…
東さんに言い寄られてた時とは、なんとなく感じ違うから、もしかしたら上手くいくかもな。
極度の人見知りで、人を寄せ付けない。
なのに勝手に女が寄って来る。
いわば入れ食い状態だっ…て噂もあるけど。
それなら、少し内容は違っても、陸と俺も同類だ。
同類には、わかる。
浅香さんなら大丈夫。
「聖子どうだった?」
スタジオに戻ると知花が一番に駆け寄って来た。
「ああ…熱もあるみたいだし、今日は帰らせた方がいいかもしれない。」
「それで元気なかったんだ…」
「大丈夫。あいつのことだから、すぐ治るって。」
心配そうな知花に笑顔で答える。
そう。
聖子は…知花に心配をかけるのが大嫌いだからな。
その後、聖子の代わりにベースを弾いた。
知花の声に聴き惚れている神さんを見て。
全く関係ないのに…俺は…
ルカが夕飯の支度をするって言ってたな。
なんて、恐ろしいことを思い出していた。
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