8
「こっち来いよ。」
テレビを見てるルカに、ベッドから手招きする。
「……」
まあ、来ないよなー…と思っていたが。
ルカは意外にも素直にベッドにやって来た。
押し倒したり距離を置いたり。
気まぐれな俺の態度に、腹を立ててるとばかり思っていたが…
どうやら、ここ数日の冷たいあしらいに落ち込んでいたようだ。
「あたし、アメリカに帰ろうかな…」
俺の隣に寝転んだルカが、小さくつぶやいた。
「どうして。」
「……」
俺の問いかけを無視して。
ルカは小さくあくびをする。
「ここにいても、退屈なんだもの。」
「だろうな。」
「どうして分かるの?」
「好きでもない男と暮らして、楽しいか?」
顔だけ向けてそう言うと、ルカは俺に目を合わせて唇を尖らせて。
「…あたし、一人でここにいる間に色々考えた。」
今までになく真面目な声で言った。
「色々?」
「そう…色々。」
「例えば?」
俺の問いかけに、ルカは上半身を起こして俺を見下ろすと。
「光史は、どうしてあたしを追い出さないの?」
ここに来て今日までの中で、一番…あ、やっぱこいつ綺麗だな。って思う顔で言った。
―浅井さんと話をして、十日。
俺の頭の中で、ほとんど出来上がった関係図。
だけど…分からない事がある。
ルカが、俺のところにやって来た理由。
「…結婚したしな。」
とりあえず、ルカを見つめながら言うと。
「…嫌がってたじゃない…」
ルカは俺から視線を外して、また隣に寝転んだ。
…ご丁寧にも、俺に背を向けて。
「結婚自体は嫌がってなかったぜ?見た目はいいからな。」
「見た目…」
あからさまにムッとしたつぶやきが聞こえた。
「言葉遣いと料理下手と、セックス拒否っていう悪条件にはうんざりしたけど。」
「…言葉遣いは悪くないし、本当は料理も出来るもん…」
「嘘つき…と。」
「…仕方なかったんだもん。」
「どう仕方なかったんだよ。」
背中に向かって言葉を吐き続けてると。
「……光史っていじわ…」
ルカがそう言いながら、こっちを向いた。
そして、ずっとルカの背中を見ていた俺と至近距離で目が合って…
「っ…」
自分から振り向いたクセに、真っ赤になって俺の頬を両手で反対側に押した。
「……いてーんだけど。」
「ち…近かったからビックリして…」
「おまえが勢いつけて振り向くからだろ?」
「だっ…だって…」
「この手を離せ。首が痛い。」
「………帰って来なかった日って…本当に……に……行った……の?」
「は?」
何やらごにょごにょと口ごもるルカに聞き直すが、そうすると…
「あいてててて…おま…おい、痛いっつーの。」
さらに力をこめて、ぐいぐいと俺の頬を押す。
何なんだっ。
俺は仕方なく起き上がって、一旦ベッドから降りた。
前髪をかきあげながら、文句を言ってやろうとベッドの真ん中に座り込んだルカを見下ろすと…なぜか、赤い顔。
「…どうした?赤いけど。」
「―……」
ルカは抱えたクッションに顔を押し当てて。
「…ぼんばぼびぼぼぼぼ…びっばぼ……?」
くぐもって何を言ってるか分からないが…随分真面目な様子で何かを言った。
妹感覚でそばに置いていたつもりでも…
ルカの幼さと鈴亜のそれは全く種類が違う。
本人の告白が本当なら、ルカは早くに両親を亡くして祖母と暮らしてた。
そのせいか…悪態の演技以外から感じ取れるのは、いつも…遠慮がちに寂しさを訴える視線。
ハッキリ言葉にはせず…
…残念ながら、俺には何も察してやれない。
ちゃんと言葉で伝えてくれないと。
「なんて言ったんだ?」
ルカの隣に座り込んで、腰を抱き寄せた。
「っ…!!」
驚いたルカがクッションを外した隙に…それを取って投げて、そのまま押し倒す。
「な…何…」
「なんて言ったのかって聞いてる。」
「……~…っ…」
ルカは真っ赤になったまま、キョロキョロと視線を彷徨わせた。
…こいつ、自ら裸で初夜を過ごした演技までしたクセに。
全然男慣れしてないな。
「俺には『びんぼんばんぼん』っていう風にしか聞こえなかったから。」
右手でルカの前髪をかきあげる。
…マジでこいつ、美人だな。
揺れる目元を親指で撫でると、ルカが小さく息を飲んだ。
「あ…」
「ん?」
「……」
「ちゃんと言え。」
「……行ったの…?」
「あ?どこへ。」
「~……」
「聞こえない。」
耳をルカの口元に近付けると…
「ち…近いよ…誰にでもこんな風にするの?」
少しだけ暴れながら、それでも耳には優しい声で言った。
「……」
そう言われると…この距離は近い。
そして傍から見ると、まるで恋人同士だ。
寝る事を楽しむだけの相手とは…まあ、少しだけ疑似恋愛風に楽しむ事もあるが…
…おい、俺。
『妹感覚のつもり』はどこへ行った?
さすがに妹にこんな事はしないだろ。
「…めったにこんな事しねーけど。」
そう言って離れようとすると…
「…帰って来なかった日…女の人のとこ…行ったの…?」
小さな声が、聞こえた。
「……」
今…どこか疼いたな、俺。
「…行ったと思うか?」
もう一度…至近距離で目を合わせる。
「……」
頬に触れると、ルカが…ゆっくり目を閉じた。
………あ?
これは―……
誘ってるのか?
「……」
なぜか、久しぶりに…胸が高鳴った。
目の前に綺麗な女。
文句はない。
据え膳食わぬは男の恥とも言う。
だけど俺は…
唇が触れそうになった所で、切り出す。
「…おまえの父親は、丹野 廉だな?」
その言葉に、ルカが驚いたように目を開いた。
「……」
さっきより至近距離。
それでもルカは赤くならず…それどころか若干青白い顔になった。
「怒らないから、正直に話せ。」
出来るだけ優しい声で言ってみる。
するとルカは伏し目がちになって…少し顎を引いた。
「…あたしがここに来たのは…」
伏し目がちだった目が、ゆっくり閉じられて。
ただそれだけなのに、愁いを帯びた美形は、さらに美しさを増したように思えた。
「…あたしの母さんを…自殺に追い込んだ父親の…」
「…え?」
「父親の想い人の家族を…不幸にするためよ…。」
「……」
…ルカの母親は…自殺だったのか。
そして、母親を自殺に追い込んだ父親の想い人の家族…
……ん?
どうしてルカがそれを知ってる…?
「…おまえの言い方だと、丹野さんの想い人はうちの母親って事だな。」
ルカの顔の横に頬杖をつくと。
「…誰もそんな事言ってない。」
ルカはプイッと顔をそむけた。
「俺を困らせようと思っただけとか、親父の方が良かったって言ったけど。」
「え…ええっ…?あたし、そんな事…」
「もう諦めろ。おまえは分かりやすい。」
「~…」
「確かに丹野さんは昔、うちの母親に片想いをしてたらしいけど…」
「…ほら…」
「でも、おまえの母親と付き合って、おまえが生まれたんだよな。」
「…結局、母さんはその人の代わりだったのよ…」
「根拠は?」
「…あたしの名前…漢字で書くと……瑠璃色の歌、よ。」
瑠璃色の歌。
つまり…瑠歌。
「でも、だからってそれがどうしてうちの母親に繋がる?」
「…お母さんの名前、瑠音でしょ?だから…」
「……」
そうだと言われると、そうとも取れる。
反対に、単なるこじ付けとも思える。
だが…実際それで命を落とした女性がいる。
…一人娘を残して。
「おまえはこの話、誰から聞いた?」
前髪を指でかき分けると、ルカの身体がかすかに震えた。
「…日記で読んだ…」
「日記?」
「母さんの日記…」
それからルカは、消え入りそうな声で生い立ちを語った。
最初は母方の祖母と暮らしていた事。
だが、自分が10歳の時にその祖母が他界し、それからは施設に預けられた事。
施設で16歳を迎えた時、施設長から渡されたのが…母親の日記と遺品だったらしい。
ルカは俺に顔を背けたまま、淡々と語る。
自分を信じてくれない恋人のために、丹野さんは新居を用意した。
そこで、親子三人…新しく生活をスタートさせよう…と。
当時、FACEの人気は徐々に上向いていて。
丹野さんは…彼女と娘の事を誰にも話していなかったのだろう。
それが裏目に出て…
彼の来ない部屋で待ち続ける日々。
愛されている。と自信が持てないまま、彼女は愛する男を失った。
「最初は、バカだなーって。ほんと…バカだなーって…それしか思わなかったの。」
ルカがそう思いたくなる気持ちも分かる。
自分を残して、愛する人を追った母親。
自分を生きる希望としてはくれなかったのか、と。
…一度死に目が向いたら、きっと何も目に入らない。
すぐそばに希望があっても。
ルカの母親…ダイアナには、追う事で想いが成就されるとしか考えられなかったのだろう。
それこそが…彼女の希望だった…。
「…っ…」
無意識にルカの頭を抱き寄せると、ルカは一瞬身体に力を入れたものの…すぐに小さく溜息をついて俺の胸に顔を埋めた。
「…バカだな…って思って…だけど、そこまで母さんを絶望に追い込んだ父親が憎くて…」
「……」
「そうしたら…今度は、父親を骨抜きにしてた女が…どんな女なのか…って気になって…」
「復讐してやろう。って思った?」
「……最初…ほんの、最初だけよ…」
溜息を吐いて、ルカの髪の毛に唇を落とす。
ああ…こりゃもう、妹じゃねーな。って、小さく笑った。
「ずっと事務所に泊まってた。」
耳元でそう言うと、ルカが顔を上げた。
「…え?」
「女んとこ行くって言って、事務所行って泊ってた。」
「……」
「こんなに綺麗な女を近くで見てたら、他の女に目ぇ行かないよな。」
もういいか。
俺も諦めた。
うっすらと涙目になってるルカの顎をすくいあげて、そのままキスをする。
「…丹野さんは、ルカの母さんを愛してたよ。」
唇を離して、頬を撫でながら言うと。
ルカはキスと俺の言葉、両方に戸惑って妙な顔をした。
「ふっ。その顔。」
「だ…だって…っ…」
「丹野さんのバンドメンバーに見せてもらった。」
「…何を…?」
「丹野さんがオーダーしてた指輪。中にTo Dianaって彫ってあった。」
「えっ…?」
「嘘じゃないぜ?」
「……」
ルカはしばらく呆然としていたが、やがてふっと優しい表情になると。
「…良かったね…母さん…」
そう、小さくつぶやいた。
俺はそんなルカを見て。
「…はじめまして。丹野瑠歌さん。」
笑いながら…額を合わせた。
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