第4話上司
「雛菊ちゃん、またぁ?」
鬼籍課の部屋ではハスキーな声とともに、雛菊の目の前で、揺るふわっとした髪が、しかしごつい手で弾かれた。
無駄にハードボイルドな顔が、劇画調で強調されている。
「す……すみませんでしたぁっ――!」
ガクガクと膝が震え震え、目の前で足を二重に組む上司を上目遣いに見て、次に起こるだろう反応に一喜一憂している雛菊。
確かに無駄にハードボイルドな顔で威圧されると心理的に圧迫されるだろう。
鍛え抜かれたいかつい筋肉は無駄な肉を持たず、保健室の人体模型とか解剖学教室に置かれている教材のようにはっきりと線を示しているほどだ。
かなりの力があることがそこからも分かるだろう。
上司が激昂のあまりに、雛菊を殴らないとも限らない。
ここは冥府で、鬼籍課なんていう役所に属していようが、死者はもう死なないとも言うけれど、でも彼女だって怖いものは怖い。
小姑みたいに、妙にねちっこいかもしれない口調で、『雛菊さん、この有様はなぁに?』なんてネチネチとお小言を言われ続けるのは、誰だって心が冷えるはずだ。
だが雛菊も理性では分かってる。
そもそも鬼籍課の職員には、暴力の振るいようがないことを……なにせ肉体などないのだから、暴力自体が意味を成さないのだけれど――本当に怖いのはそんなことではないのだ。
「雛菊ちゃん――!? 何かされなかったぁ――!?」
血相を変えた上司に、雛菊がいきなり抱きつかれた。
雛菊が青ざめる。
ジュラルミンの盾とかならひしゃげそうな腕力と、威圧感溢れる剛毛の腕には青々しい剃り跡、二メートルは軽く超えるであろう巨躯に、劇画調のハードボイルドな顔が、雛菊を抱擁し頬ずりした。
精神衛生上のストレスは、間違いなく彼女を蝕むであろう。
肋骨が折れ心肺にダメージが与えられる!?
肝臓や脾臓、腎臓などが内出血して臓器不全を起こす!?
所謂クラッシャーシンドロームになる!?
肉体がないのだから、そんな物理攻撃ごときで雛菊は挫けはしない。
だが……
「いやああああああああーーーーーーーーーー!!?」
剃り跡が生々しい上司の顔が、雛菊の柔肌を擦り上げる。
(や、やめ――)
髭が中途半端に伸びているから、頬ずりされるたびに雛菊の精神をガリガリと削っていく。
「し――始末書なら書きますからあああああああああーーーーーーーーーー!!!」
有らん限りの声を以って、叫びを上げる雛菊だったが抵抗むなしく、その恐怖の光景を見ていた一言居士氏もまた、声にならない叫びを上げていた。
「ふうん……」
ぐったりしている雛菊の横で、上司の頷く声がする。
「つまりあなたは、自分の望み通りの転生をしたい、と駄々をこねたと言うわけね?」
上司は両手を机の上に置き、顔の下で手を組んで、首をわずかに傾けてから微笑む。
「……」
ごくりっ……と生唾を飲む音、それに引きつらせた顔で小刻みに震えるのは、縄で縛られ天井から吊るされた一言居士氏だった。
自分の部下でさえ、あのような仕打ちをする上司……スターリンの恐怖政治下で、人々をそのどん底に陥れただろう、かのラヴレンチー・ベリヤの顔が脳裏をよぎる。
部下でさえあの扱い……であれば、たかがノルマだとか、一介の魂に過ぎない自分など、どのような扱いを受けるのか……その顔は戦々恐々としている。
上司はにこやかに笑いながら言った。
「いいんじゃない、望み通りに転生させてあげれば?」
「――!?」
何という物分りのよさ!
上司の言葉に我が耳を疑い首を傾げる雛菊、それとは対照的に顔を輝かせる一言居士氏。
「ほ、本当に? 本当にいいんだんなっ!? 言質は取ったぞ? 取ったからな?」
吊るされながらも、一言居士は果敢に言った。
口約束と称して、後で翻されないために。
「それで……一言居士さんといったかしら? あなたは一体どんなところに転生をしたいの?」
そう、問われる。
だから言ってやった。
望み通りに転生させないと自分に向かって言い放ったそこの大正女学生()のことを――
「そこのアバズレ――ひゅぐぅっ!?」
と言いかけて、ジュラルミンの盾くらいならひしゃげるのではないだろうかと思われるほどの、鍛え抜かれた上司の拳が――ジャブが一言居士氏の顔にめり込んだ。
それも
非難するように口を尖らせてから、上司は嗜めて言うのだ。
「……
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