鬼籍課は今日も荒れ模様

wumin

第1話トラックだったんです!

雛菊ひなぎくは顔を引き攣らせた。

 何故かって?

 今彼女の目の前にいる、ノルマの相手がのたまったあまりの発言に対してだった。


 「あのですね。トラックだったんですよ!」


 目の前の人物……二十代前半くらいの、無職っぽい風体の青年は、そこをしきりに強調していた。

 上下緑色のジャージ姿で、寝癖がすごく無精ひげがちらほら……いかにもな雰囲気を醸し出している彼へ、雛菊は言った。


 「トラックだったら、何だと言うんです?」


 トラックだったでは何のことだかさっぱり分からないし、そもそもトラックとはどういった意味を当てはめればいいのか、と。


 「トラックに撥ねられたに決まっているじゃないですか! チート持って、異世界転生ですよね? 常識じゃないですか! あんた給料貰ってるんでしょう?」


 何こいつ、殴りたい……そんな目で、ノルマを見る雛菊。

 彼女は紺色のはかまに着物姿で、ブーツを履き、腰まである髪をリボンでポニーテールにしている、大正辺りの女学生を思わせる格好をしていた。

 左右に分けた長い前髪を手で弾くと、雛菊は青年へと嫌みったらしく言い返す。


 「あら、嫌ですわ。そんな都合のいいことが、そうそう起きる訳ないじゃありませんか。大体ですね……」


 だが、彼は雛菊の話を聞き流し叫ぶのだ。

 左右の耳が一直線に貫通でもしているのだろうか?


 「いやあ! これこそがトラックの起こす奇跡! ああ、因みにどんな異世界なんです? 剣と魔法の世界ですか? 家が貴族とかで、イケメンでハーレム囲って、未開文明の連中相手に無双する? それとも、魔王が世界を脅やかしている世界に、勇者とか救世主として転移ですか? チートはどんなやつ? できれば因果律操作とかがいいんだけどなぁ! あと、異世界語とか、どうなってますかね?」


 ……どうしようもないあんぽんたんがここにいる。

 何より、人の話を聞いていないから、会話が成立しないのだ。

 話が通じない相手というのは、それだけで精神をガリガリと削られる。


 「はぁ……」


 雛菊は顔を引きつらせながら、それでもどうにか笑顔を作ろうとして溜息をもらした。

 一体どうしてこんなアホの相手をしているのだろう、と。

 しかしそれが彼女の仕事なのだ。

 冥府の役所、鬼籍課という課の送迎担当、それが現在の彼女の肩書きだったからだ。




 「という訳だから、ぱぱっと行って、ちゃちゃっと終わらせてきちゃってもらえる?」


 上司が言った。

 ハスキーボイスな鬼籍課の上司は、無駄に筋肉質な体つきで、その上ハードボイルドな顔立ちだ。

 ここ鬼籍課に配属される前は、プロの殺し屋だった、という噂まであるくらいだ。

 カラシニコフとかを持たせたら、きっとさまになるだろう、と雛菊は秘かに思っている。

 だが、そんなことは本人の前では彼女は決して言えない。

 言わないではなく、言えないのだ。

 何故なら上司の風体と言うのは……フリルの付いた服を着て、肩まである髪の先を内側にカールさせた髪を手で弾き、椅子に腰掛けティアードスカートから足を伸ばして組んでいる。

 それも二重に組んで。


 「じゃあ雛菊ちゃん、頼んだわよぉ!」


 あたかもそれが雛菊の仕事であると言わんばかりの勢いで、上司が仕事を割り振ってきたのだ。

 放っておけばそのうち有給がなくなるばかりか、残業手当の付かない午前様をやらされかねない――と雛菊の危機センサーが警報を鳴らした。


 「あの……これは春菊しゅんぎくのノルマじゃないんですか?」


 春菊というのは雛菊の同期で、歳も近く同じ鬼籍課の送迎担当の同僚のことだ。


 「ああ~ごめんねぇ~」


 上司は身体をくねらせながら、雛菊に抱きつこうとした。

 身の危険を感知し、咄嗟にそれをかわさなければ、彼女の身体はひしゃげ、ゴリラに握られた歯磨き粉のチューブのようになっていたことだろう。


 「ああ~ん! 雛菊ちゃんのイジワルっ!」


 と上司の声が雛菊の耳へとこびりつく。


 「春菊ちゃんは、今富士山に不老不死薬の探索に行かされているからねぇ……だからちょっといけなくなっちゃったのよ。それで頼めるのは、今雛菊ちゃんしかいないのよぉ! だから、お・ね・が・い☆」


 (どっちが楽なのかな……)


 苦痛を天秤にかけてみる雛菊は、二パターンの未来を考えてみた。

 このバーにでもいそうな上司と気の済むまで労基法について口論するのと、素直に唐突に言い渡された過剰ノルマを終わらせるのと。


 (どっちが、マシ?)


 そして雛菊は後者を選んだ。

 

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