第8話徳を積めばいいところに生まれるらしい
……翌朝。
「ふ……ふざけんなっ!」
鏡に向かって物を投げつける一言居士氏がいた。
尤も彼の投げた物は全て鏡に吸い込まれ、その上鏡から飛び出して一言居士氏へと弾き返されたのだけれど……。
「ねえ、何がそんなに面白くないの?」
と問う雛菊へ、一言居士氏は声を荒げながら答える。
「今度も金持ちに生まれたんだ」
「……それで?」
「そうしたら事業に失敗して無一文になったんだ! 舐めてんのか!?」
「……」
よほどの資産家でもない限り、預金の利子だけで食べていくのは難しい。
「それにしても、資産家に生まれながら、事業に失敗して無一文とか……それって本当に資産家なのかな?」
雛菊の素朴な問いには耳を傾けることなく、一言居士氏はただむなしく天井に向かって吠えるばかりだった。
「確かに……確かに上級国民の血は確かに流れてたけど――小○女で家○き子って、一体どういう了見だぁ――っ!?」
「ははは……」
なるほど、そういうケースもあるんだねえ……と妙に納得する雛菊は、でもお茶を濁したように笑って誤魔化すしかできなかった。
何と言うか、この気まずさには耐えられないのだ、と。
……その日の昼頃。
「だから、何でこうなるんだよぉっ!?」
再びというか三度というか、一言居士氏の
「今度は何が気に入らなかった訳? どうせまた――」
と雛菊がいうより早く、不満の声が放たれた。
「家が金持ちなのはいいっ! 頭よくて東大一発合格だって悪くない!」
「それの何が不満だってのよ?」
世の中には膨大な奨学金という名の借金を背負わされて社会に出る貧困家庭の子とか、東大受験苦節十年の浪人生みたいな人だっているというのにこの言い草だ。
「しかもイケメンで、スポーツも万能……」
「……自慢でもしに来たの?」
だが、違った。
「にも拘らず、家族が宗教にドはまりして家庭崩壊! 幼なじみは俺のこと捨てるし、人間不信になって、トラックで歩行者天国に突っ込んだんだ!」
何たる犯罪者コース!?
雛菊が哀れみの視線を送った。
「馬鹿にしてんのかーーーーーーーっ!?」
そう叫ぶのだが、彼は非常に諦めが悪かった。
そしてその日の夜になっていた。
「何でこうなるんだよ……俺が一体何したってんだよ?」
一言居士氏が泣いていた。
『幸福な家庭はどれも似通ったものであるが、不幸な家庭は皆それぞれ不幸である』という格言を雛菊は思い出した。
「その……」
(何て言おう……男の人の泣いているところなんて、見たことないよ……)
と気まずそうに一言居士氏を見る雛菊だった。
(人生がどうやってもうまくいかないというのは、当たり前のことなんだけどな……)
けれども、泣きに泣く一言居士氏をみていると、とてもそんな台詞は言える気がしなかった。
「……来世を決めるのは、積んだ徳なんだって言われているんだけどさ――」
だから雛菊は提案した。
「本当に……できるんだろうな?」
一言居士氏はこれで十八回目になる同じ問いを雛菊へと放つ。
「不可能じゃないわ。でもそのためには、誰かに恩を吹っかける必要があるの」
と雛菊がため息混じりに答える。
雛菊の提案は、誰かの夢枕に立つ、という極めてシンプルな方法だった。
適当な人を捕まえて、夢に現れた一言居士氏が、その人に何でもいいのだが善行をさせる、というもので、言ってしまえば他力本願そのものだが、一言居士氏は本気だった。
どういうことか?
雛菊は昔あの上司から聞きかじったことを思い出していた。
心には共鳴現象と言うのがあるらしい、ということを。
らしい……と言うのは未だ証明されていないからだが、要は誰かのやったことが、自分の精神に影響を与えるというものだ。
ある夜に幽霊が枕元に立っていて、適当な善行をしろとその人へと要求する。
で、本気になって善行したその人も心に、幽霊が共感すると、善行したのと同じような精神状態となって、その力で以っていいところに生まれようという試みだった。
雛菊の狙いとは、一言居士氏を夢枕に立たせて、誰か適当な相手に善行をさせ、それのご相伴に
「で……相手はどんなのがいい? できれば知り合いとかがいいと私は思うんだけど――って、どうしたのっ!?」
両手を床に置き膝を着いて頭を垂れる一言居士氏は、三跪九叩頭の姿勢で、絶望の淵を覗いていた。
「ちょっとっ!? 何でもうグロッキーなの? 私何か――?」
(地雷でも踏んだ?)
と雛菊がわたわたする。
「俺……ボッチだったんだ」
今頃になって何その告白――と雛菊が顔を引きつらせた。
「で、でも……頼れる知り合いくらいはいるでしょ? というか――」
「いない! いないんだ……!!!」
一言居士氏は天井を仰ぎ見て叫んだ。
「兄弟はいない、親戚も音信不通、友人は作れなかったし――」
「…………」
(ああ……やっちゃった――)
と後悔する雛菊だったがもう遅い。
「落ちこぼれだったし、勉強も出来なかった……」
トラウマを掻き毟るように一言居士氏が狂気の笑みを見せて独白している。
「それにスポーツだって、いつもベンチか補欠だったし……友達――? 何それ美味しいのっ? 彼女――? そんなの空想上の生き物だろ!?」
(暗黒面に堕ちた?)
フォースの力がある世界なら、念力くらいは使えただろうに……が、残念ながら、そんなうまい話は創作の中にしかないのだ。
「俺の人生には何にもねえ! お金もねえ、仕事もねえ、それもそのはず学がねえ! 俺こんな人生いやだ! こんな人生いやだ――!!!」
(何ていう替え歌を歌ってんの――!?)
まるでええじゃないかのように、歌い踊って一言居士氏は壊れてしまったのだ。
「ちょ……ちょっと、落ち着いてってばっ! 誰でも、誰でもいいんだからっ! 夢枕に立つのは誰でもいいんだよ――っ!?」
取り乱していた一言居士氏を落ち浮かせるまでに、再び時間が過ぎていく。
時計を見ればちょうど午前二時くらいだった。
(あああ……深夜手当て、付くんでしょうね……)
恨めしそうに時計を見ながら、それでも目の前の
「ほ、ほら――時間だって、ちょうどみんなが寝静まった時間帯だしさ……」
と一言居士氏へと提案を勧める。
「……うまくいくだろうか……」
度重なる不遇と失敗で、氏は心を折られ、完全に自信を喪失しているようだった。
「ほ、ほら――何となくだけど……今度こそはうまくいくような気がするのよ……」
というか、うまくいってほしいのだ。
いい加減開放されたかったのだから。
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