結:賀茂という男



 目が覚めると、俺は南大門なんだいもんの前で横になっていた。痛む節々を庇いながら起き上がると、隣には賀茂が静かに座っていた。

 もう、あの喧噪はここにはない。

 獣耳の住人たちも、金色の妖しい光も、鮮やかな声もどこにもない。祭のあとの静けさのように、暗闇だけが延々と広がっている。


 賀茂は白い吐息で悴む指先を温めながら、視線を流し俺を見遣った。


「おかえり、長岡君」


 まるで裏京都から帰還した俺を迎えるように、彼はにっこりと笑った。掛けられていた黒いコートを手渡し、問いかける。


「こんな手の込んだ事をして一体何の意味がある」

「そうだね、準備が物凄く大変だったよ。二度とやりたくないね」

「二度とはごめんだ。転んだ時に顔を打った。まだ痛い」


 ごめんよ、と賀茂は笑いながら立ち上がりコートを羽織る。


「でも、京都は面白いところだってきみが思ってくれるなら、僕にとっては大きな意味があるんだよ」


 楽しかったかい、と柔らかい口調で尋ねかける賀茂に向かって俺は溜息を吐いたあと、静かに頷いた。

 それと同時に、俺は大切なことを思い出した。


 裏京都は賀茂の悪戯ではあったが、今宵の記憶が夢でも幻でもなかったのだとすれば、最後に出会ったあの黒髪の美女も、表世界のどこかに存在しているということだ。これはようやく巡って来た好機に違いない。


「あの黒髪の美女は誰だ」

「黒髪の? 一般人もようけいたからねぇ。僕も全員は把握してないし」

「とぼけるな。彼女は俺のことを知っていたんだ。お前が用意した役者だろう」


 ふらりと歩き始めた賀茂は、黒い空に輝く月を仰ぎ、何かを思い出したように両手を打った。


「恥を承知で頼む、この通りだ。彼女を俺に紹介してくれ」


 俺が必死で頭を下げると、賀茂はにやにやと笑いながら「仕方ないなぁ」と零した。そして、くるりと身を翻す。


「見る目はあると思うけど、残念だね」


 賀茂は長い睫毛に縁取られた涼やかな目でウインクをした。


「あれは僕だよ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

妖し裏京都の秋宵 泉坂 光輝 @atsuki-ni

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ