「……サラ、悪い。遅れた」


 そのざわめきに隠すようにハイトが密やかに遅参の詫びをサラへ告げる。最後の最後までハイトに見とれていたのか、サラはハッと我に返ると小さく首を横へ振った。すまなさそうに眉尻を下げるハイトに向かって、サラは花がほころぶような笑みを向ける。それを返事と受け取ったのか、ハイトの口元にも淡い笑みが広がった。


『なーんだ御前、そんなやに下がった顔しやがって。そんな性格じゃなかったじゃねーかよ』


 そんな小さなやりとりに口元を緩めた瞬間、すぐ隣から尖った甲高い声が聞こえてきた。視線を流せば、水龍シェーリンと同じように天井の飾りに腰を下ろした少年がぶすくれた顔で二人の事を見下ろしている。


『老君、久しいな。祝いに駆け付けたか』

『ハッ、舐めた口叩いてんじゃねぇよ。駆け付けるも何も、俺はずぅっと傍にいたっつーの』


 水龍の傍らに人身姿で顕現したのは、フローライトの国守の神である詞梟ミネバだった。恐らくサラも、王であるサエザルも、詞梟の人身がこんなに生意気盛りな少年だとは思ってもいないだろう。智者の国の神は賢者を思わせる老人の方が似合いそうな物だが、神の人身は初代の王が起想したイメージが元になる。神自身に変えられるものではないのだ。


『姫に構いたいならば、もっと素直に構いに行けばいいものを』

『べっつに! 構いたいわけじゃなし!』


 サラは詞梟の事を『放任主義』と評しているようだが、実際の所は違う。詞梟は、この姿を人にさらしたくないだけなのだ。深く王族と関わると、どうしても声のトーンや語感からイメージを持たれやすい。寡黙で知恵物の渋いキャラというフローライト王族のイメージを崩したくないがために、詞梟はあえてサラ達とは距離を取っている。


『構って、シルヴィアみたいに壊れていくのを見るのは、もう嫌だ』


 その距離を、近年一度だけ縮めた相手がいた。


 だが詞梟が愛した彼女は、詞梟に愛されたが故に壊れていった。その痛手がまだ詞梟に残っている事も、水龍は知っている。


 水龍にとってのハイトが、詞梟にとってのシルヴィアだった。そのことを知ってから、水龍もハイトとの距離を考えた事がある。


 だが。


『今の姫は、そんな事にはならんと思うがな』


 儀式が始まり、婚約の誓約を交わす二人の姿を見下ろしながら、水龍はわずかに瞳を細める。


 脳裏に流れていくのは、今までハイトを見詰めてきた柔らかな思い出ばかりだった。しなやかで、清らかで、いつでも真っ直ぐに前を向く愛し子の姿を思い、水龍は詞梟へ言葉を向ける。


『そして、ハイトも』

『……ハッ、サラを泣かせてみろ。酷い目にあわせてやるからな』

『それを言いたかったからわざわざ顕現したのか』

『あんたが姑その一と化してんのは知ってんだ。サラの輿入れが決まっちまった以上、しっかり釘は刺しとかねぇとな』

『我は一などではない。本物の姑であるリゼ、第二、第三の姑と化すリフェルダとマイスト、それに次いで四番目だ』

『ハッ、数なんてどうでもいいっつーの』


 階下では粛々と儀式が進み、祝いの盃が交わされている。この盃が終わればひとまず儀式は終了だ。婚約式は王城内で内々に行われる行事だから、民への披露目もない。


『さて、我からの祝いとして、一つ奇跡でも起こそうか』


 水龍は独白とともに腕を振るう。長い袂に追従するように舞った燐光はスッと空へ散ると水滴となって帰ってきた。ポツ、ポツ、と青空から染み出した水滴は、晴天の下にスコールのような雨を降らせる。予兆もなく突然降り出した雨に、広間に詰めた人間といわず、外からも騒然とする気配が水龍にも伝わった。


『チッ、しゃあねぇな』


 その雨に向かって詞梟が腕を構える。そのタイミングを見計らって水龍は雨を引き上げさせた。


 サッと清められた空気の中に詞梟が引き連れる琥珀の光が舞う。その光はサァッと広がると幾重にも重なる虹を作り出した。見事な虹は、おそらく王城の外からでも眺める事が出来るだろう。


『随分粋な真似をするではないか、老君』

『アクアエリアでの吉祥なら雨だけで事足りるかもしれねーが、サラはフローライトの人間だ。フローライトじゃ雨だけでは吉祥にならねーんだっての』


 ざわめく広間の中へ視線を投じる。光が作り出す幻想に目を丸く見開いたハイトの手を、そっとサラが握っていた。それに気付いたハイトが笑みを深くしてサラの手を握り直す。寄り添って立つ二人の姿は、やがて来る未来を見ているかのようだった。


『お前達ならば、どんな未来でも切り開いていけるさ』


 祝福の声が飛ぶ中、慈しんで育てた子の晴れ姿に水龍は柔らかく瞳を細める。


『さて、祝宴にどうやって潜り込もうかな。老君は簡単に潜り込めそうだが、我はいささか目立つでな』

『はぁ? 御前、あんた、人間に混じってまで祝宴に行きてーのかよ?』

『祝宴は良いぞ、老君。美味い料理、上等な酒、そして何より人々の陽の気がとても良い』

『……あんたも性格変わったな』

『なに、お互い様ではないか』


 二柱の神が軽口を叩き合う中、虹は王城を飛び出してどこまでも広がっていく。


 それはまるで、手を取り合って王城を飛び出していくハイトとサラの姿を表しているかのようだった。




 アクアエリア第二王子ハイトリーリン王子と、フローライト王女アヴァルウォフリージア姫の婚約は、広く両国の民に祝福されたという。


 婚約しても相変わらず破天荒な日々を過ごしたとか、お騒がせな従者も主二人に負けずに活躍したとかいうのは、また別のお話。




【Baroque ‐家出王女は藍玉を惑わす‐ END】

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