ふぁんあーと

AIHoRT

ふぁんあーと

 絵描きでも物書きでも全てのクリエイターにとってもっとも嬉しいのは,それを見た誰かから感想をもらえた瞬間だ.自分以外の誰かが認識して初めて作品には命が吹き込まれる.


 私はしがない絵描きだった.余暇のたっぷりある大学生の身分を活かして漫画や絵を描いていた.将来はその手の職にありつきたいと思うが今の自分の実力では到底叶わないだろうことは理解していた.贔屓目に評価しても私の絵の実力は高いとは言えない.オリジナルの漫画は勿論,たまにアニメやゲームのファンアートを書いても誰からも相手にされないことからそれは明らかだった.コメントなど貰ったのはいつが最後だったか.初めは存在した評価を期待する心などは薄れ,向上心などはなくなってしまった.褒めてくれなくとも最早辛辣な悪口でもよかった.誰かに見られたという証が欲しかった.誰もいない森で倒れた木が音を立てないのと同じように,誰にも見られない作品など死んでいるのも同じだった.


 売り込めばいいではないかと,私の唯一の友人はしばしば言った.待っていても誰も来ないならばこっちから見せに行くしかない.謝礼を払ってでも著名な人物に宣伝を頼むか,大道芸人が往来でパフォーマンスをするようにオープンな場所でなりふり構わず自分の実力をひけらかせばそれなりに人が寄ってくるのではないかと.


 友人は良い奴だ.大学をサボりがちな私をしばしば講義へ引っ張り出してくれるしたまに私の部屋へ遊びに来ては共にゲームをしたり酒を飲んだり大学生らしい時間をくれる.だがこれに関してはそう簡単な話ではないのだ.そのように大っぴらな宣伝をすることを許されるのは実力が伴ったものだけだ.ただの1人もいいねをつけない私の絵にはその価値はない.これを言うと決まって友人はやれやれと首を横に振る.お前は自分の絵に自信があるのかないのかどっちなんだ.評価されたがっているくせに自分からされにいかないのは道理に合わない.お前が欲しいのは評価ではなく,何を出しても褒め称えてくれる信者ではないのか.私はこれに返す言葉を持っていなかった.



 VTuber,仮想世界の住人たち.アニメ調の3Dや2Dのアバターを被って動画を投稿したり曲を作ったりVR技術の発展に貢献したり,様々なクリエイター活動を行っている.彼等の魅力の1つはファンとの絶妙な距離がある.彼らはSNSやライブ配信を通じてファンと直接交流する機会が非常に多く,ファンたちはアニメやゲームのキャラクターが現実に現れ活動しているような錯覚を覚えるのだ.


 私はとあるVTuberのライブ配信を見ていた.友人の勧めだ.これからVTuberは来るぞ!お前も一端の絵かきなら流行の最先端を追うべきだと熱弁していた.私はあるVTuberの配信を見てなるほどと思いわずか半日のうちにどっぷりハマってしまった.VTuberもファンも皆同じ夢を見ている.新しいカルチャーの誕生と発展の瞬間に立ち会っている陶酔感がそこにあった.私はそんな輝かしい空気に当てられて,すぐに影響されてしまうタイプなので,彼女のファンアートを描いた.テーマは夢と希望.我ながら可愛くかけたと思う.


 Twitterに投稿したが,評価などは期待してなかった.友人が感想をくれればそれでいいかと思っていた.しかしなんとVTuber本人がそのファンアートをRTしてくれた.VTuberには本人が熱心なエゴサーチをする場合があることを私は知らなかった.いいねをくれた.リプライで素敵な絵をありがとうと言ってくれた.さらに,そのVTuberが反応したためであろう,少し遅れて今まで受け取ったこともない数のRTといいねが届いた.かわいい,素晴らしい,また描いてほしい,あなたのこんなシチュエーションも見てみたいと,温かいコメントが届いた.鳴り止まぬ通知の音.突然の事態に驚き,初めこれが自分に向けられた好意であると解釈することができなかったが,理解したときあまりの感激に心が揺さぶられ涙を流した.裏表のない純粋な好意でもって自分の作品に反応されることはこんなに嬉しく幸せなことだった.


 私は次々とファンアートを描いた.その度に温かい反応が私を迎えた.そんな幸せな時間はしかし長くは続かなかった.正確には傲慢な私がそれ以上を求めるようになってしまったのだ.ファンアートの中でも特に上手いものはただ感想を貰えるだけでなく動画内の転換で紹介されたりサムネイルに使われたりすることがあるのだ.私の絵はそんなものに使われたことはない.客観的に見て私の絵が下手くそだということだ.いやそんなことは認めたくない.この絵の何がいいのだ.確かに絵は私はよりも数段上手いが,同じ構図で私だって描いたことがあるし,こんな解釈なら私の絵にも含まれているではないか.


そんなことをぼやいても頭では自分の絵が下手だから表現したい世界に実力が追いついていないことは分かっていた.何を表現するかが勝負の世界で,私はまずその土俵に立てていない.何を表現してもそれをそれだと理解してもらえない,理解してもらえるだけの画力がない.VTuberとそのファンは暖かく私の絵を褒めるが,それはVTuberを描いたから褒めるのであって私の絵を褒めているわけではない,とさえ思ってしまうのはまた友人にひねくれ過ぎだと笑われるだろうか.私は評価されたくなってしまった.上手いと言って欲しくなってしまった.


「でもあんなもの僕には書けない」

 久々に私の部屋へ遊びに来た友人へ愚痴ると,やはり友人は呆れたような顔をした.つい先日はただ反応されたことに涙を流していた癖にそれではもう満足できなくなってしまっているのだから.

「VTuberにとってはどれも素敵なファンアートさ.上手い下手で差別なんてしないさ」

「そんなことはわかっている.でも僕のは絶対あんな風に使ってもらえない.僕の絵はちんちくりんで奇妙奇天烈で味が濃すぎるんだ」

 明らかに友人はめんどくさそうな顔をした.彼がこんな顔をする時は決まってしごくもっともな結論を出してこの話はもうやめようと切り上げる時だ.

「なあ.初めから反応が欲しくてファンアートを書いたわけじゃないだろう?書くことを楽しめなくなっているならいっそのことしばらく忘れてしまうのはどうだい?」

 私はこれに返す言葉をやはり持っていなかった.



 それから数点のイラストを描いたが全く納得のいく出来にはならなかった.こんなものを投稿しても意味がない.もっとも上手いものを書かなければならない.だがそれにはどうすればいいのか.絵を描き続けるしかないか.それでうまくなれるのか.


 Twitterでもっとうまくなりたいと愚痴をつぶやいたところ,1件のダイレクトメッセージが届いた.アカウント名は malice で,アイコンは標準のまま.さらにフォローも呟きも0の不気味なアカウントだった.メッセージの内容は一言.「上手い絵が描ける『手』に興味はないか」.こんなものは釣りか荒しの類に決まっているのだから無視するのが当たり前である.どうせbotだろうからまともな答えはこないに違いなし,botでなかったとしてもくだらない情報商材の販売に案内されるのがオチだ.馬鹿馬鹿しい.


 だからこれは戯れである.こいつにYesとメッセージを返すのはただの気まぐれであり,別に何か期待しているわけではない.こんな馬鹿がいたと後で晒してやる.


「承知しました.ではあなたは『子供』です.利き腕にその証を現出させましたのでご確認ください.あとはそれの指示に従えば,あなたの夢は容易く捕らえられるでしょう」


 気が付けば右手に口がついていた.意地汚くベロが飛び出し牙の生えた口がぽっかりと空いていた.この口を見て,いつもの私なら悲鳴を上げて病院へ駆け込みそうなものだが,これがここに存在することに何の違和感も覚えなかった.生まれつきずっと苦楽を共にしてきたように馴染んでいた.さらによく観察すれば,喉の奥は暗黒へとつながっており底が見えず,よだれだけが湧き出てくる.ふいてもふいても乾かずペンが滑ってしまうため,仕方なく包帯をまいてそこにペンを突き刺すように握ることにした.初めこれでは満足な絵は描けないように思えたが,その心配は杞憂だった.


 口が絵を描こうというので早速取り掛かることにした.始めはまだ手が馴染んでおらずイラストを1つ書き上げるのに休まず取り組んで丸一日かかった.イラストを描くうちに徐々に見える世界が変わっていくのを理解した.今まで見えていなかったものが見えるようになる.この世界にはほとんどの人が気付かぬ「流れ」がある.赤い風とでも形容すればいいのか,掴むことのできない煌めく赤色の粒子が漂い空気中に濃淡を作り,時には漂い,時には大きなうねりとなって荒れている.この美しい粒子が舞う赤い世界こそが真実なのだ.手によってこれが見えるようになったのだ.これを描きたい.


 計10点のイラストを書きあげたころには2週間も時間が立っていた.その間水も食料も一切口に含まなかった.絵を描くのにそんなものは必要なかった.私は口が自分のものとなっていく感覚に興奮を覚えた.私の元の画風はどちらかといえば丸みを帯びた曲線が多く柔らかく温かい印象でパステルカラーを好む傾向にあった.しかし今や鋭い直線と鋭角が目立ち,陰鬱とした暗い色使いの中にぶちまけるように衝撃的な赤色を投げ込むようになった.私はこの画風の変化を咎めるつもりはなく,むしろ積極的に取り入れた.モチーフにしたはずのVTuberの描写はあまりに抽象的になりすぎて面影がわずかに残るのみになってしまったが構わなかった.この絵を理解できるものは1万人の中にも1人もいないかもしれない.それも構わない.私は私だけが宇宙の真理に到達しようとしている高揚感と選民感に浸り恍惚としていた.




 友人が部屋に飛び込んできた.なにやら喚き立てていたが無視した.せっかく今いい流れが来ているのにこんな奴に構って流れを切りたくない.

「あの絵は一体だれが書いたんだ.狂った絵を描く芸術家の絵をパクッて自分が描いたことにしただろう」

「なんだと」

 無視を決め込もうと考えていたがその言葉は看過できなかった.今やっと私のものになった絵柄を偽物だと言うのか.私はここで初めて友人の方を振り向いてにらみつけた.

「あれはおれが描いた.素晴らしいイラストだっただろう」

「有象無象ならともかく,ずっとお前の絵を見てきたおれがあんなに画風の違うものを見て騙されるわけがないだろう.だがそんなことは今はいい.お前は,それ,何日も寝ていないんじゃないのか.今すぐ横になるべきだ」

「おれが描いたんだ!」

 思わず怒鳴った.だが冷静になれば,報われなかった頃から私を信じ続けた人間に対して,この口を見せずに絵の腕が上がったという結果だけを見せても信じないのは無理がない.ならばこの口を見せるために私はこの包帯をほどく.チャンスをやろう.この手を信じるならばよし,さもなくば.

「確かにおれは上手くなりすぎた.お前が信じないのも無理はない.見ろ!この手がおれに絵を教えたのだ.この手がおれに語り掛けたのだ『もっとうまい絵を描きたくはないか』と」

 友人は驚愕の表情を見せた.舌なめずりするこの口におそれ後ずさる.いい光景だ.だがこいつはこの口を信じていない.この手に何が起こったのか問いただしてくる.もはや問答に意味はない.直接理解せさせるしかない.

「まだ信じていないようだな.お前も『子供』になればわかる」

 飛び掛かり右手の口で喉元を噛みちぎろうとした.食い破って穴を空けそこに子供を植え付けるのだ.


 だが友人は私の攻撃をひょいとかわしてあっと言う間に私を羽交い絞めにした.後で知ったことだが,二週間引きこもっていた私の動きは素人目にもあまりに隙だらけだったらしい.私は暴れまわって叫んだ.高尚なものを理解できぬこの下等生物にこの世の真実を教えてやろうとしているだけだ.邪魔をするな.


 私はふと熱が引いたように冷静になった.何故私は友人を噛み殺そうとしたのか.怨嗟の言葉は私の口ではなくもう一つの右手の口から垂れ流されていた.口はもはや私の制御を離れて,勝手な意思をもって暴れまわっていた.人間の関節では不可能な動きを強制する.鈍い音を立てて手首の骨が折れる.ぶちぶちと音を立てて肉が千切れる.痛みに絶叫してもうやめろと叫んだが口にそれを聞く耳はない.完全に口は私の腕を離れ,どういう理屈か,とんでもない力で地面をけり,部屋中を跳ねまわる.もはや友人を噛み殺さねば止まることはないように思われた.


 友人は私が思うよりずっと懸命だった.鍋で右手を受け止め蓋を閉めるとあっという間にガムテープでぐるぐる巻きにして閉じ込めてしまった.手は未だに暴れまわっていたが,流石に金属の鍋を噛み尽くすほどの力は持っていなかった.部屋全体は手がまき散らした私の血で真っ赤に染まり,この部屋で猟奇的な殺人が行われたといわれても誰もが疑わないほどだった.


 友人の話によれば,しばらくの後におそるおそる鍋の蓋を開ければ,干からびた私の右手の皮とおよそ人の肉体から出たとは思えぬ深緑色の粉末があったらしい.友人はそれらを二度と人に触れることの無いように鍋ごと人の立ち入らぬ樹海へ埋めた.



 私は病院で左手にタッチペンを握りファンアートを書いている.出血があまりに多すぎて右腕のほとんどが使い物ならなくなってしまった.絵もさらに下手になってしまった.しかし画風は元に戻った.


 あんなことがあったのにまだ絵を描くのかと友人に言われた.自分でも不思議だった.上手くならなければならないとう強迫観念から来る憑き物は右手と共に消えたが,それでも何故か描きたくて仕方なかった.私はもう絵を描かなければ生きていけなくなってしまっていたのだ.



 病院の窓から差し込む温かく明るい光の中で,カツカツとタブレットにペンを走らせる心地よい音が聞こえてくる.覗き込めばその男は柔らかな笑顔で必ずこういうのだ.

「どうだい私の絵は.下手くそだろう」

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